こんな所に居られない
またあの部屋に戻って懐中電灯を頼りに捜索か。特に何か出る訳でもないとはいえ暗い部屋は苦手だ。詠奈との寝室は間接照明が基本的には点いている。天蓋とカーテンも込みでぼんやり残る視界がまた寝るのに丁度いいのだ。
「王奉院詠奈は死なないってどういう事だよ」
「はい?」
殆どの人間は死体に気分を害してまともに動けない。一部はフリとはいえキャストにとっては真実だ。十郎にリビングの警備を任せて春からカメラを受け取った。深紅君に持たせて相互監視の意味合いも込めて二人で探している。幸い、鍵束なんかと違って本はタイトルさえ明らかならそれでいい。後は原型を保っているかどうか。
「アイツは死んだんだ。好きだった………死なないってのが、意味分からない」
「あれは景夜さんが心霊なんてばかばかしい事を言い出したから言ったまでで……与太話ですがご存じですか? 彼女は何十年も姿が変わらないという話は」
おお、今度は出鱈目だ。情報も精査せずに垂れ流すなんてよろしくない。だから与太話扱いなのだろうが、この命に賭けてそれはあり得ないと言わせてもらおう。彼女と出会った時より身長は少しだけ伸びたし、髪だって伸びた。胸も大きくなったし……勝手に不老にするなと。
「それはそれは……」
この部屋が暗くて助かった。与太にしても限度がある話にNGシーンみたいなにやけ面が止まらない。隠しカメラにはばっちり映っているのだろうか。もしそうだとしたら後で怒られそうだ。でも、笑うなって方が…………
「……妙ですね」
「え!」
まさか夜目が効くのかと思って、表情を強張らせるも彼の声が向いた先は俺ではなくて、刻まれずにすんだ本へと向けられている。合計三冊、降霊術やら死神の事やら呪いの事やら、一括りにオカルトと呼んで差し支えない本が積んである。部屋を探索した成果だ。
「な、なんだ…………本は妙だろ。深紅君だって俺の物言いを馬鹿にしたじゃないか」
「そう言う意味ではなくて、状態が綺麗すぎるんですよ。この色んな物が積もった部屋で本は殆どバラバラに切り刻まれてます。なのにこれらの本だけが一切の傷跡なく埋もれてたんですよ。まるで狙って残したみたいに…………」
そう言って、俺の方を見遣る。怪しんでいるのはいつもの事だが、この部屋に入ったのは行方不明の八束さんを除けば俺だけだ。どう切り抜けよう。
「……俺がやったって言いたいのかよ。そんなにこの変な本を見せたかったらみんなが来てくれた時に渡すんじゃないのか? 八束さんも何もしてない。大体狙って残したって何だよ。結論を言うのは簡単だけど具体的にどうやったら周りの物をこんな風に切り刻めるんだ?」
ハサミで紙をチョキチョキするのとは違うんだぞ、と言い切ると深紅君は渋面を浮かべて言葉を詰まらせる。彼は常識に囚われる節がある。まさか刀で部屋中を滅多切りにするなんて、そんな力押しを推理に組み込む事はないだろう。まず刀の存在をキャストは知らない訳だし。
「ああ! もうたくさんだ! 俺はこんなに協力してるのに何でもかんでも疑われちゃたまったもんじゃない! 俺は先輩だぞ!? 好きな人が死んで、今度は犯人扱い! ふざけるな! 先に戻るからその本はお前が持ってこい!」
「え、いや、そんなつもりは……!」
感情に身を任せる素振りを続けて階段を下りる。この軋みは彼の耳にも届いただろう。ハッタリじゃない、ちゃんと下りた。こういう、いわれのない疑いを受ける事は昔の家で慣れている。俺の話なんてちっとも聞いてくれなかった状況もよく似ている。
息を荒くしながらわざと足音を大きく立ててリビングへと帰還。ここぞとばかりに鼻息を荒くしてソファに力強く座る。
「沙桐。機嫌が悪そうだな?」
「付いていったら何かにつけて犯人扱いだぞ! 怒るなって方が無理だろうが!」
「はは。まだそんな体力があるだけいいな。もうここに居る奴らはそんな気力もなさそうだぞ」
「お前はどうなんだよ十郎。俺にはお前が一番冷静に見えるけどな」
「隣で誰かが泣いてたら冷静になっちゃうときってあるだろ。あれだよ。こんなしんみりしてたら俺はしんみり出来ないね。皆今にも泣きだして爆発しそうだろ。収穫はどうだったんだよ」
「アイツが持ってくるから知らない! 俺は好きな人を殺されたんだぞ! それを本当に……深紅君がやったんじゃないのは分かるけど、あんなに難癖付けられたらいよいよアイツのせいにしたくなる!」
十郎との口論は狙った演出ではないが、お互い目くばせで承知済みのやり取りだ。キャストが感情を抑え込んでいるのはこの重苦しい空気による抑圧だろう。だから率先して俺が解放した。先発が居れば後続が繋がる。キャストが暴走してくれないと映画として動きにくい。
俺なりに考えた作戦は成功した。
「いーやこいつのせいだ!」
湊谷左京が連れの梧ヴァネッサを指さすと、みんなに知らしめるように大声を上げる。
「詠奈を殺したのもコイツだよ! こいつは不幸をばら撒く女なんだ!」
「な、何よ左京。それは言わない約束で―――」
「煩い黙れえ! 詠奈を恋人にしたらお前みたいな安いべん……捨ててやる所だったのに! 殺しやがって!」
癇癪みたいな怒り方だが、それで十分だ。梧ヴァネッサを壁に追いやると、躊躇なく顔を殴りつけて、ついでにお腹にも蹴りを入れる。彼女は必死に抵抗はしているがそれも防御行動だけであり反撃には出ようともしない。
まるで風評に思い当たる節があるような。
負い目を感じている?
「暴力は駄目です! 一旦落ち着きましょう!」
「黙れ! お前なんかに何が分かる!」
一度解放された鬱憤は抑えられず、止めに入って春をキッチンに突き飛ばしてまで尚も暴行を続けようとする。突き飛ばされた当人はこれが映画である事を忘れたのか頭に血が上っている様子。そこに保管されている包丁を掴んで今にも物理的な反撃に出そうな勢いだ。
それを止めたのは、先程まで吐くフリをしていた友里ヱさんの―――棒読み。
「こんな状況でイジメとかちょーださいんですけどー」
「ああ!?」
「湊谷左京君。梧=ヴァネッサ=翼ちゃんを一年生の頃に強姦するような形で交際関係に発展。当時虐められていた彼女を守る見返りに体を要求。写真を脅しの材料にして万引き、暴行、冤罪作りとやりたい放題。そんな最低なゴミでももうちょっとまともだと思ってたのになー。またイジメるんだ」
「…………!」
「うう…………うううう!」
暴力に屈したというよりは、その過去を全てバラされた事が堪えているのだろう。梧ヴァネッサは壁を滑るように泣き崩れる。左京のヘイトは詳らかに経緯を語る友里ヱさんへと向いていた。
「何だ、その話。出鱈目やめろよ」
「それじゃあ雨が上がったら一緒に警察行こっか。証拠は沢山あるから全然、出るとこ出てもいーよ」
「ホラ吹いてんじゃねえこのクソ女! 俺がそんな事してる訳ねえだろうが!」
カタカタ。
友里ヱさんの感情は分からない。いつもの軽薄な印象は消えて、詠奈のような無表情だ。フリをやめたのは……映画の中の話だけ? 本当に?
カタカタカタカタ。
「そんな事してるから言ってるんでしょー。詠奈さんだって同じことを狙ってたんじゃないのー。人を言いなりにさせるのが好きみたいじゃん。家にあるAVとか全部そういうのだったよね」
「おい、何だこの揺れ」
「知らない! 分からない!」
「もうやめてよ! ねえ今はそんな事よりもさ!」
「―――てめえ! ぶっ殺してや―――――――!」
「待ってください! 駄目です、ちょっと、まっ」
多人数が同時に喋る混沌とした状況でも深紅君の声は良く響く。だが車が急には止まれないように、出した拳も急には引っ込められない。部屋の揺れが一層大きくなってリビングの電気が一瞬落ちる。
時間にして二十秒。
雨のベールに囲まれた暗闇に次から次へと取り乱す中、電気が点いて視界が取り戻される。
「がっ………………ご……」
湊谷左京は、喉に包丁を突き立てられてその場に膝を折っていた。