犯人は誰だ
暫定的な犯人の逮捕は平穏を取り戻させてくれた。英子は個室に閉じ込められる事になり、鍵を使えば看守代わりの人間も必要ない。映画は撮影できなくなったし約二名が死亡、一名が行方不明になってしまったものの、これで一件落着だ。
「雨が上がったら警察呼ぶよな?」
「…………俺は剱木を探すからな!」
何だかホッとしてしまったせいだろう。みんなは空腹を感じるようになった。犯人が捕まっても実はまだまだ分からない事が沢山あるのだが、最早それどころではない。冷蔵庫の肉に関しては詠奈が毒味をしてくれたお陰で誰も警戒心を抱けなかった。
仕込んだ人間を除けば深紅君だけは『肉はあんまり好きじゃない』と言って遠慮したが、お腹が空いた人間は仕方ないからこれを食べようという流れになっていた。この場で唯一疑いを持つ彼も、そればかりは制止出来ない。生前の詠奈にしてやられたし。
「…………んー。何かちょっと、違うかも」
「え?」
友里ヱさんが俺の傍でぼそっと不満を漏らした。
「詠奈が居なくなったらもっとこう、抑圧してた行動が出るかと思ってたのに、死んだらそれどころじゃなくなったんだなーって」
「あ………ああ? 何の話だ?」
「景君。ちょっとカメラの外に出よっか」
連れられて廊下に出る。近くには暇を持て余した十郎がその辺りをうろついているが、彼は仕込みの人間だ。そこまで気にする必要はない。
「イジメっ子だよ。詠奈様が居なくなったら、守ってくれる人が居なくなるぜぐへへって感じでイジメるのかと思ったら、詠奈様が死んだショックでもっと抑圧されるなんて想定外」
「あー……英子のグループを除いたら他のいじめっ子って主犯格男だしな。男って大体詠奈が好きだから」
じゃあ英子達に任せればいいかと思いきや、今度は命琴が死んでいるので何も起きやしない。友里ヱさんの企みは分からないが、失敗に終わりそうだ。俺が守る必要もない。
「…………詠奈の方が一枚上手だったんじゃないか?」
「いーや、いじめっ子には何が何でもイジメをしてもらうね。じゃないと私がスッキリしないしっ」
「でもこれ以上は何も進展なんて……」
ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!
叫び声が聞こえたのは二階からだ。それも英子達を閉じ込めた筈の部屋。誰の叫び声か分からない。複数人だったような気もするし一人だったような気もしている。
「何だ!?」
今にも折れそうな階段を駆け上がって扉を叩く。中から聞こえるのは啜り泣きと慟哭、共通するのは手遅れな発狂。何があったか確認する為にも扉を開けようとしたが、そうだった。鍵がかかっている。
振り返ると、リビングに居た殆どの人間が下で俺の反応を窺っていた(階段に大勢が乗ったら壊れると思ったのだろう)。
「誰か鍵持ってないか! 中を確認する!」
「僕が持ってます! 今行きますね!」
元々誰かに特別指示して任せたつもりもなかったから深紅君が持っていたようだ。彼もまた階段を上がってきて扉を叩く―――までもなく、中の反応が只事ではない様子を表していた。
「よお、なあ。監禁から逃げる為の作戦って可能性はないのか?」
「ない!」
「言い切るんだなあ」
「足元から血が漏れてるんだよ!」
十郎の疑問を封殺して、扉が開くのを待つ。鍵束は恐らく敢えてそうしているのだろう。どの鍵が何処で使えるかが示されていないから一々開けるのに時間がかかる。時間がかかっても良かった、さっきまでは。雨が上がったら警察に引き渡すという想定が外れなければ。
「開いた!」
深紅君が鍵を外して扉を開ける。外側に開く扉故、中がどうなっているかは現状彼にしか分からない。この血は……勿論異常な事だけど。これだけで中の事情を察するのは傲慢だ。
「……………………」
「どうしたんだ?」
ベタン、と深紅君が尻餅をついて動かなくなる。俺も中を覗こうとして―――そう言えばこれが映画だったことを思い出して、春を呼んだ。カメラは彼女がずっと持っている。この光景も撮影させた方が良いだろう。
「……みんなはリビングで待っていてくれ! あんまり直接見るもんじゃない! 後でカメラ越しに、見てくれ」
「そうか? 俺は直接見たいぞ」
「十郎。ふざけてる場合じゃないんだ」
「沙桐がそう言うなら分かったよ。戻ってる」
「え―――」
みんなを追い返している内に春が部屋にカメラを入れて―――その惨状に言葉を失った。
英子が死んでいる。
話はそれだけだが、奇妙なのは状況だ。喉を切られて部屋全体に血をぶちまけている。周囲で泣き喚く女子に例外なく返り血が浴びせられており、だがその手には何もない。それどころかこの部屋には刃物になりうる物体が存在しない。
じゃあ刃物が原因で死んだ訳ではないとするのも難しいだろう。喉はぱっくりと割れている。幅の広い刃物が突き刺さったかのような傷口を、どうやって素手や床や壁を使って再現する。
「………………」
刃物と言うと扱いに長けた人間を一人知っているが、そもそもここは完全な密室だった筈ではないか。あの人でも殺す事は出来ない。それなら犯人はやっぱりこの中に居るのか。
『…………パニックホラーって事は誰か襲ってくるよな。何するつもりなんだ?』
『それは秘密。映画の中で解明してね』
いや。
そうやって不信感を煽りたいだけならあんな言い方はしない。詠奈に指示された殺人鬼は必ず居る。考えるべきはそれが内部か外部かというくらいで。もしも犯人はこの中に居ると言いたいのなら。
探偵の力が必要だ。
春のカメラに光景をばっちりと収めた後は、みんなでデータを確認する事になった。何があるかお楽しみなんてことは言わず、見せる前にきちんと死体が映っていることは伝えた。見たくない人は見なくてもいいと言って、それでも見た人は自己責任だ。
詠奈と命琴を殺した犯人が見つかって一件落着。それはどう考えても幻想だった事をキャストにも知らせる映像。空腹がどうとか犯人がどうとかいう問題じゃない。二人の死は所詮映像越しで後に残ったのは肉片だけだったけど、ここにはちゃんとした死体がある。現実逃避は出来そうもなく、死体と目が合ってしまった梧ヴァネッサはシンクに吐いていた。
「…………か、考えてみればさ、アイツ等に俺等閉じ込めるのって無理だよな……。犯人……別、なの……うぉ………」
左京は辛うじて吐いていないが、限界を迎えるのも時間の問題か。仕込みの人物も一様に吐きだしそうになる演技をしている。深紅君と―――俺と十郎だけだ。まともなままでいる事を選んだのは。
「別々に考えるべきですね。二人を殺したのは彼女達だとして……発端は別の人物が。しかしそうだとしても状況が―――」
「………………」
どうしよう。
今更、詠奈達の意図に気づいてしまった。
八束さんにちゃんと言われていたのに。直後に言われた事を忘れて必死に演技をしていた。『死神を見た』とあの時言わなかったせいで、ここで繋がらないじゃないか。
「………………」
恐らく流れはこうだ。不可解な死を発端に俺が口にした『死神』というワードが非現実的な殺戮者を生み出し、キャストにパニックを与えるというもの。詠奈の死も英子の死も八束さんの滅多切りも全てはこの瞬間の為にあった筈だ。
やらかした。
今更言うと、不自然になる気がする。そういうワードは錯乱している時に言うからこそ、その瞬間は『錯乱しているだけ』と受け入れられ、後になって思い返されるのだ。俺は間違いなく正気を保っている。だからアドリブで、どうにかしないと。
「あ、あ、あ、あのさ。こんな事言うのも……今更遅いって思うんだけど」
「どうしましたか?」
「や、八束さんと一緒に行った部屋で鍵……探してたんだけど。もしも俺が原因だったなら思い当たる節があるっていうか……偶然かもしれないけど、あったんだよ。確か。心霊的なあれ。なんだけど……」
深紅君は訝るような視線を俺に向ける。誰でもそんな目線を向けると思う。錯乱演技をしなかった上に指示にも従わなかった俺が悪い。
「心霊…………それを言い出したら何でもありになりますが、あの部屋を探してみましょうか。一応ね。景夜さんの事は良く知りませんが、そんなまともじゃない事を言うなんてどうかしています」
「そ、そんなの言い出したらこの状況がまともじゃないだろ。詠奈が死んだのだって……俺からすれば」
「王奉院詠奈は死なない、と聞いています。心霊とやらが本当なら、同様に生き返るでしょうね」