意志亡き王の号令を
リビングの鍵を開けて飛び込んだが、詠奈と命琴の姿はなかった。鍵を見つけたのに二人が居なくなったら元も子もない。
「おい、二人共いないぞ!」
「これは…………どういう事ですかね」
「何処かに隠し通路とかあるんじゃない? だって……人が急に消える訳ないでしょー」
「さ、探しましょう!」
そうは言うが、隠し通路なんて話は詠奈から聞いた覚えがない。だけど人が消える事も考えられないのはその通りだ。詠奈はこの場において精神的な安定剤―――リーダーの役割だった。それが理由もなく消えるのは全員の精神状態にも拘ってくる。しかも直前に八束さんが消えたばかりだ。
―――どういうトリックなんだろう。
八束さんが窓から逃げたのは分かる。あれは俺のせいで忽然と消えたように扱われているだけで実際は単なるフィジカルだ。しかし詠奈は? 体育祭でバテるような普通の女の子が同じような事が可能かと言われると怪しい。命琴も一緒なら猶更。
梧の一声をきっかけにおのずと捜索が始まった。八束さん同様みんなは他の場所を探し回っているが、最上深紅だけはリビングに残り痕跡を調査しているようだった。
「ふむ……」
「どうかしたのか?」
「これは……妙だと思いますね。二人の声を聞くに何かに襲われて慌てていた筈なのに、部屋が全く荒れていない」
確かに部屋は荒れていない。コップこそ倒れているが埃の立った様子もなければ椅子や机の位置がずれている事も、壁に掛けられた絵画が落ちているとか、血痕があるとか、そういった変化は見られない。
詠奈にしては迂闊な判断だ。ずっと隠し部屋に居る彩夏さんがフォロー出来なかったのだろうか。
「……でもそれがどうしたんだよ。詠奈達が消えたのは事実だ。君はまさか、これも詠奈が悪いって言うのか?」
「沙桐景夜さん。貴方もいい加減目を覚ました方がいいですよ。王奉院詠奈は僕達と何かが違います。僕は貴方の家族でも親友でもないですけど、あれはちょっと怪しすぎる。個人情報一切が不明な人を怪しまないなんて無理じゃないですか」
「景夜さん! 詠奈さんは見つかりましたか!?」
春がカメラを片手にリビングへと戻って来た。こんな状況でも呑気に撮影している頭の弱い子と見られているのか、それとも後で何処を探したか分かるように相変わらず記録係として動いているのかは判然としない。実際は映画の撮影係なので、俺はカメラ目線になって頭を振った。
「いいや、見つかってない」
「春さん。ちょっと撮影しておいてください。僕の正しさを証明する時です」
「え? あ、うん」
映画的にはむしろ好都合だ。深紅君はカメラを引っ張って、一個一個詠奈が怪しいと思われる証拠を提示していく。
「視えない……詠奈さんはそう言っていましたが、この明るさで見えないという事はないでしょう。僕達が鍵を開けた時、電気は点いていました。それならば目がみえなくなったのか、それも違います。怪我をしていません。カメラを良く回してください。血痕、ありますか?」
「ははぁ……確かに、ないね」
「僕はこれを詠奈さんの嘘と思っています。だから消えたのもどうにかしたに違いないんです」
「どうにかしたって、どうやったの?」
「それは…………」
思いついていないようだ。この違和感は何なのかと思っていたがようやく掴めた。彼は詠奈が悪いという結論ありきで推理している。理由はどうあれ詠奈の不自然な部分に目をつけたのは凄いと思うが、どんな状態になっても詠奈が何かしたという前提からどうにか推理を繋げようとしているから、ちょっとおかしくなる。反感を買いかねないというか、少なくとも詠奈が信頼されてるこの状況ではとても有効な手段ではない。
詠奈が悪いのは、正しいのだが。
「詠奈の嘘かどうかは置いといて、人が急に消えるのがあり得ないのはその通りだ」
隠し扉があったとしても見つけるのは難しいだろうからもっと一般的な目線で考えよう。人間が隠れられる場所は沢山あるが、詠奈だけならともかく命琴まで消えたという事は隠れたというよりこの部屋から移動した可能性が高い。諸共死亡偽装しようというなら、事情も伝えられていまい。
台所の地下収納の扉を開けると、そこには梯子が続いていた。
―――これでいいんだよな、詠奈?
「おい深紅君。みんなを呼んできてくれ! この地下収納、梯子が続いてる! 地下室なんだ!」
「何ですって! ……分かりました、一人ではいかないで下さいね!」
春は撮影の為に彼の方に付いていく。彼に見つけさせるべきだったのかどうかは今も少しだけ悩んでいるが、俺に主導権があれば映画として話を動かしやすいだろう。
「…………俺なら、行くんじゃないか?」
深紅君には逆らう事になるけど、もしも事情を知らない側であったのなら、自分は行くような気がする。好きな女の子の危機だ。それ以上の理由なんて要らない。
「詠奈!」
錆びだらけの梯子を下りて奥へ向かうと、屋敷の古めかしさとは打って変わって大金でも入れている様な厚い鋼鉄の扉と、隣には向こうの景色を映すテレビカメラ。詠奈と命琴が眠るように伏していた。
「詠奈! 起きろ詠奈! おい!」
扉は開かない。鍵穴があるから地上階で見つけた鍵束に正解の鍵があるのだろうか。扉を相手に空しい格闘を繰り広げている内に他のキャストが地下へと下りてくる。
「沙桐景夜さん! 勝手に行かないでって―――!」
「うるさい詠奈が危ないんだろ! 行かないって選択肢はない! それより鍵! 深紅君鍵だよ鍵! その中のどれかが入るんだ! 二人が閉じ込められてる!」
「―――! わ、分かりました」
「ちょっともう何? 誰がやってんの!?」
「お化け?」
「あり得ない。早く詠奈を助けろよ! つーか俺が助ける!」
「馬鹿一年生に任せられるかここは俺が!」
男子の方はまだいまいち真面目になりきれていないようだ。この期に及んで詠奈に対する好感度稼ぎを考えている。彼らが真面目にならざるを得ないのは詠奈が死んでからだ。さて、鍵を開けたとして彼女はどうやって死ぬつもりなのか。
仕掛けが動いたのは、深紅君が間違えた鍵を挿してしまった時。
ガコンという音が聞こえて、上の方から地響きのような音。また、石臼を引くような音と共に連動してカメラの中の映像が揺れている。パラパラと壁が零れ落ちて、詠奈と命琴が目を覚ました。
『これ…………は』
『え!? え!? ええ!? 何でえ! て、天井が落ちてくる!』
「詠奈! ……聞こえてない! 深紅君早く!」
「分かってますやってます!」
「貸せ! 俺がやる!」
誰はやろうと無数の鍵束から正解を引き当てられない。心なしか鍵を間違う度に吊り天井の落ちる速度が上がっているようにも感じる。カメラ越しにも落ちる天井が遂に見えて、命琴が詠奈に抱き着いた。
『詠奈ちゃん助けて! 怖いぃぃぃぃ……!』
『これはちょっと……難しいわ。あの女性が犯人だったのかしら。ああ…………命琴。今から絶対に私から離れないで。貴方は私が守るわ』
『ひぃぃぃぃん………』
『ごめんなさいね、こんな目に遭わせてしまって。こんなつもりではなかったの。私はただ映画を撮りたかっただけ…………みんなにも、謝りたかったな』
「詠奈!」
カメラが遮られるように、吊り天井が完全に落ちる。身体を圧し潰すその間際まで、王奉院詠奈は目を閉じる事もせず己が死を受け入れていた。
嘘と分かっていても、心は穏やかでは居られない。まるでそれこそが、彼女の望む終末のようで。