無知は罪である
「う、うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
切った屑が目に入るから危ないと言われたので目を閉じた。隣では八束さんが手筈通り暴れている筈なのに、聞こえる音は紙や木の切断される音ばかりで彼女の存在を認知させるような音を感じ取れない。息遣いさえ、それは自分のだと確信出来る。
断続的というよりも連続的、空間全てがシュレッダーにでもかかっているかのように忙しない。ガガガガガガという音は壁を斬りつけているのだろうか。音の間隔が狭くて掘削音にも聞こえる。
そんな工事現場みたいな騒音がものの数分で止んで、誰も何も言わないからゆっくり目を開けてみたら―――そんな声を出してしまった。切り崩すと言うからてっきり周りの机とか観葉植物とか本を切るのかと思っていたが、八束さんが生み出した鋼の竜巻は部屋中を滅多切りにして、俺をちり芥の山に埋めてくれた。ただ力任せに斬っただけでは決してあり得ない滑らかな断面と、明らかに選別して残された本の一部。棚が崩れてしまったので埋もれているが、あの人はわざわざ切ってはいけない物を見極めた上で残したのだ。
「う、うわあああああああああ………」
閉めた筈の窓は開いており、外から滝のような雨が流れ込んで絨毯を濡らしている。ついでに照明を切ってくれたから俺も演技をしやすい。多少のおかしな点は暗闇で誤魔化せると信じたい所だ。
「どうした!?」」
俺の情けない声を聞いて続々とキャストが集まってくる。一番に駆けつけて来たのは友里ヱさんであり、彼女は示し合わせた様に懐中電灯をポケットから出すと暗闇に染め上げられた部屋を照らして―――口を掌で覆った。
「うわあ! なにこれ!」
「沙桐。何があったんだ?」
十郎に助け起こされて一先ず明るい廊下へと連れ出される。事情を知らないキャストが大勢いる中で大根芝居は許されない。驚いたのは本当の事だから、それを前面に出して演技をしないと。
「わ、わ…………分からない! 部屋に入ったら部屋が暗くなって―――八束さんが電気をつけようとしたんだ! そしたら部屋が崩れ始めて―――き、気が付いたら何処にも居なくなってた! 光源ないけど、俺なりに探したんだ! 何処にも居ないんだよ!」
「ふむ。その言い方だと最初から電気が点いていたんですか? それはおかしいですよ」
「最上君。ちょっと黙ってください。さっきからやたら疑ってるみたいですけど、一々言葉の揚げ足を気にして厳密な表現をする方が怪しいって思いませんか?」
「う…………」
湊谷左京に咎められて深紅が引き下がってくれる。実際、これ自体は嘘なので追及されたら嘘を貫き通せたかどうか怪しい所だ。彼は何も知らないけど感謝しないと。
「景君。見た感じ本が文字通り塵積って感じだけどそこに埋まっちゃってるって事はないの?」
「わ、分からないけど……」
「何々!? 何があった訳!?」
二階の廊下にこれだけの人数は収まりきらないし、階段も不安定なのであまり密度の高い状態にはなりたがらない。一階から英子が心配そうな表情で見上げていた。春が対応する。
「だ、だいじょーぷみたいですよ! ただ剱木さんが突然消えたとかで、沙桐さんが取り乱してたんです!」
「ちょっと大丈夫なのそれ!? 優子大丈夫だってさー。もどろー」
―――二人はリビングで拠点として待機する組だったのか?
「お、おい! 詠奈と命琴はどうした?」
「えー命琴ん奴は詠奈にべったりだからリビングだけど、それが何? アンタ気になるの? あんなブス」
「いや、みんな来たのにあの二人だけ気にならないのかなって思って」
「多分詠奈も気になってたろうけど、命琴が怯えて邪魔だったんでしょ。いいじゃんそんなの後で聞けば。それよりも剱木って人が消えたんでしょ! 何処に行ったのよ!」
「お、俺に聞くなよ! 危うく死ぬ所だったんだからな!」
映画の流れは自然と消えた八束さんを探す運びとなった。この屋敷は一か所に多くが集まる事を想定されていないが、屋敷自体は相応に広い。詠奈の家には遠く及ばないけどかなりの物だ。だから別荘という言い訳も聞いている。詠奈が裕福な家の出身である事くらい、誰かが説明しなくても皆勘付いている。
単なる野次馬根性だった英子率いる命琴イジメグループはリビングの方へと去っていく。参加メンバーの中ではあれが最大手だ。梧ヴァネッサと士条の方は主犯格だけが参加している。多分、詠奈がよく見かける面子だったから選定された。
「八束さーん!」
「剱木さーん、何処に行っちゃいましたかー?」
「…………因みに何処にいるんです?」
「外のワゴンカーで待機中だよ。ふんふん、ここまでは良い感じ、私ってば詠奈様が八束さんとフィットネスしてる所に遭遇した事あるけど、あの人関節の可動域どうなってんの? めっちゃエグいよねー」
「まあ、お風呂場でI字バランスしても全然崩れないですもんね。詠奈は結構普通だから分かります」
「景君がおだてて逆立ちまでさせて、ぺろぺろしてたあれねー」
「…………あの、俺が変態みたいになるんでやめてもらっていいんですか? 映画のジャンルが変わっちゃう……」
「気にする所ってそこなの?」
「もうプールであんな事したんだからいいですよ変態扱いは!」
どうせ八束さんは見つからないので捜索はいい加減だ。どう考えても見つかるはずがないトイレや風呂場にまで顔を出して探すフリを続ける。この後の話は聞いていないから俺も動くのを期待するしかない。
「ねえちょっと! みんな! リビングに鍵がかかったんですけど!」
エントランスまで戻って来た英子がややヒステリックになって声を荒げる。異常をききつけたキャストは一度捜索を中断してリビングの方へ。確かに扉は閉まっており、鍵は掛かっていた。硝子張りとかでもないので中の様子は見えない。
「え、詠奈!?」
人ごみを掻き分けて、扉にくっつきながら聞き耳を立てる。二つの甲高い声が、飛び交うように聞こえた。
『やめて! やだ! 助けて詠奈ちゃん! いやあああああああああ!』
『命琴! 何処…………視えない………………誰か、助けて……………だれ、か!』
「詠奈!」
「詠奈!」
「詠奈さん!?」
「詠奈!」
男子が口々に、ついでに仕込みの女子も不安そうに色めき立つ。あの詠奈が慌てふためく様子なんて、何がなんだかさっぱりだ。十郎が景気よくドアを蹴りつけたが漫画みたいにはいかない。これを破るにはもう何十発、何百発……うるさすぎて犯人が来てしまうかも。
「そうだ、景君って確か鍵束取りに行ったんだよね!? あの部屋探せば鍵が見つかるかも!」
「そ、そうか! 分かった!」
そう言えばそういう建前があった。慌てて階段を駆け上がると、既に深紅が懐中電灯を片手に部屋を探している。
「君も持ってたのか?」
「引き出しから見つけたんです。鍵ですよね、一緒に探してください」
「お。おうそりゃ勿論! 見つかるかどうかは分からないけど……!」
八束さんとここに来た時に鍵は発見出来なかった。こうなる事が分かっていたら事前に見つけていたのにどうして言ってくれなかったのだろう。この探す時間が大事という事か?
「……なあ、ほんの興味で聞くんだけど、どうしてあんなに詠奈の事を疑ったんだ? アイツ、人から恨まれる様な事はしてないぞ」
少なくとも学生としては、周りに関心が無さ過ぎて無干渉だ。
「―――市内の高校でバイオテロが起きた事件は御存じですか?」
「…………うちの高校だな」
「そんな事はあり得ない。あれはただ頭のおかしい人が暴れ回ったというだけの事の筈です。僕なりに調べてみても感想は変わりませんでした。なのに報道では、まるで大袈裟。テロがあったなんてとんでもない。しかし新聞各社が嘘を吐くのもおかしな話です。一体何が起きたのか。僕なりに考えましたよ。それで、調べてるうちに辿り着きました。貴方は事情も知らずにあの人と仲良くしているんだと思いますが、気を付けた方が良いですよ」
「事情を知らずって……入学したばっかりの一年にそんな事言われる筋合いはないよ。詠奈の何が分かるんだ」
「少なくとも、無知なまま調べようともせずに友人づきあいをする貴方よりは知っています。例えば―――ご存じですか?」
深紅君は鍵束を見つけ出すと、俺の顔にライトを当てて目を細める。
「王奉院詠奈は学校に住所を提出していません。それどころか個人情報の一切が保存されていないんです」
―――そ。それは。
そんな程度の情報で、俺にマウントを…………?