またいつか、さようなら
「まあでも、ステーキもしたら何でも上手いと思うんだよな!」
「焼き加減について特別指定は受けなかったので、危険を減らす為にも火を通しました」
肉を見ていると、詠奈の家に来るまでステーキとソテーの違いが分からなかった、という余談を思い出す。単に恥ずかしい思いをしただけのエピソードだが、あの時の詠奈はラム肉を食べていたっけ。それとこれはまるで別物だけど……肉の盛り付け方が、ちょっと似ている。色彩を加えようにも他の食材がないという設定を忘れていたかのようだ。
「調味料はなし?」
「塩と胡椒を少々。幸い調味料は片づけられていなかったので、毒味の際の贅沢とあらば」
「なんか剱木って下から丁寧に話すからお手伝いさんみたいだよな~。や、そこがいいんだけどさあ!」
「有難う、剱木さん。もう十分よ。それじゃあ毒味をするわね」
ごくり、と全員が息を呑んだ。深紅の信用が下がっているとは言えども、もしかしたらという事もある。誰もが詠奈の食事シーンに目を奪われている中で、ただ一人俺だけが、その所作の美しさに見惚れていた。
これから人肉を食べようって時に、いつもの風景を忘れていない。一度食べたからって慣れるものではないのに、映画の撮影の為だけに平常心を装っている。ああ、これが厚切りのステーキであったなら、音も立てずにカットする姿も見られたのに。
「いただきます」
誰かの肉が、詠奈の口へと運ばれる。人肉と分かっているとフォークを刺した時に溢れる肉汁でさえ嫌悪感を抱いてしまう。
「…………少し固いけど、何ともないわね。もう少し待ちましょうか」
「ほ、本当に大丈夫なのか詠奈? 本当に本当か?」
好きな子を心配することは特別な行為じゃない。詠奈を好きな男子なら誰でもするし、出来る事だ。彼女は聞こえていないように食器を動かして綺麗に肉を平らげていく。途中から女子も詠奈の食べ方に目が行くようになって、それで会話がなくなった。
五分経っても十分経っても、詠奈の体調に変化はない。当たり前だ。だってこれはただの人肉で、人肉だけど毒ではないのだから。だからもう十五分経とうが三十分経とうが同じ。
「―――私は一先ず安全という結論を出しておくけど、彼の様に怖いなら手を出す必要はないわ。食材が入れ替わったという事は何処かに元々の食材もある筈よ。空腹が限界を迎える前にそれを探し出せばいいだけ。簡単な話ね」
食料について予め答えを言っておくと、一か月分は運び込んであるらしい。飽くまで学生の自主製作映画という体裁なら撮影期間も短くて問題はない。勿論キャストが想ったよりも頑丈で誰も死にそうになかった場合は追加で食料を運び込む算段だとか。どれだけ長く撮影しようと編集の力は偉大であるのだ。
―――細かい事気にしたって、そもそもこれは映画じゃねえもんな。
日程を分けて撮影したり、監督が制作陣と話し合ったりするような光景は見られない。一発撮りで、映画の内容は俺達が決めなければいけない。リアルの追求という名の虐殺ショーだ。デスゲームが出来なかった名残と言ってもいい。
「さて、私達を閉じ込めてくれた犯人が見つかるまでここを拠点にするべきだと思うけど、深紅君。貴方はどう思う?」
「何故僕に……?」
「だって、色々気になっているんでしょう? 気が済むまで調べたらいいと思うわ」
付き合いのある者なら分かっただろう。詠奈は遊んでいる。丁度良く色々気になってくれる人が居るから話を振りやすいのだ。きっと彼が居なかったら俺を動かすつもりだったが、個人的に親交があるのは同級生からは周知の事実なので怪しく見えてしまう。
だが深紅とは初対面だからそうはならない。
「今、私が使ったナイフの他に食器棚にナイフがあると思うからそれを武器にして二人一組で散策。ここを空っぽにしてしまうと安全じゃなくなるかもしれないから、四人は残しておきたいわね。私は信用がないようだから残っておくわ。他に残りたい人は居る?」
「わ、私も詠奈ちゃんと一緒に残るよ。テレビ、見られるよね……だ、誰も来ないなら見てたいな……」
「緊張感がない意見だけど、扉を閉めておけば一先ず安全なのはそうね。そうだ、この家はどの部屋へ行くにも鍵を掛けられるの。鍵束がまだ奪われていないなら……二階の書斎にある筈。景夜君と剱木さん。悪いけど……見てきてくれるかしら」
「わ、分かった」
「行きましょうか」
一見して関係がないように見える組み合わせ。だが八束さんを彼に紹介したのは俺であり、傍から見ても決して無関係とは言い切れない。一年の深紅にそんな事が分かるかは微妙だ。
八束さんは食器棚にあったフォークを握ると逆手に持って俺と共に書斎へ行く。詠奈が『二階』と予め言ってくれたお陰で道を知っているみたいに行っても怪しまれない。直接階段を経由しているので、今度は俺達が上る音がはっきりと聞こえる。こんなに軋んでいるなら、やはり向こうからも聞こえているのだろうか。
「八束さん。もっとフランクに振舞った方がいいんじゃないんですか? なんか聞いてる感じいつもの調子すぎて不安なんですけど」
「問題ありません。誰にでも私はある程度丁寧に接しています。それとも景夜さんは私に獣として接しろと言うのですか?」
「それは……絶対違うと思いますけど」
獣、というのはあの夜に見た剱木八束の本性の事だろう。刀を持たない彼女は徹底的に自制を行っており、あれを忌むべき物と捉えている節がある。自分の首輪は自分以外が持っているべき。詠奈に買われている現状を、満足しているかはともかく肯定している。
書斎に入ると鍵束が机の中に入っていた。これで……お終い?
「ここで何かしなくていいんですか?」
「ふむ……少し辺りを探してみましょうか。この辺りにある筈です」
「何が?」
「刀が」
…………何やら物凄く嫌な予感がしてきたが、何らかの指示があるのだろう。書斎の机周りをはじめに、壁の棚や壺の中を見て回ってみる。窓には土砂降りの雨が打ち付けて外の風景が良く見えない。誰かが動いている様なそうでもないような……
―――コツン。
「ん?」
「どうかしましたか?」
「いや、今窓に石が当たって―――」
―――コツン。
やっぱり当たった。
雨が差し込むのを承知で窓を開けると、外から物凄い勢いで細い箱が投げ込まれた。箱の上からも布でぐるぐる巻きにされており、余程中の物を濡らしたくないように思える。
「ほう」
「八束さん、これは―――」
慌てて窓を閉めながら、投げ込まれた物体を剣豪へ。彼女は手に持ったフォークで布を引き裂くように破いて、中の物を確かめた。
「…………景夜さん。段取りを確認しましょう。今から私はかつての己に戻り、この部屋を切り崩します。貴方はそれを見て叫び声を出してください。そして事情を聞きに来た人らに『死神を見た』と言ってください」
「……あの。男の俺が言うのもなんですけど、そういうのって八束さんがやった方が……いいんじゃないんですか?」
「あの日から恐怖には昂る気魂を持っていまして。私ではその務めを果たせないでしょう。ですからお願いします」
八束さんは緩く編み込んでいた髪を解くと、目を閉じて、その場に正座する。
「これが詠奈様が死を偽装する合図になるのです。くれぐれも失敗なきよう―――私はここを切り裂いた後に外へ出て暫く姿を眩ませるつもりです。フォローは出来ません……信じていますよ」