辛苦に満ちた欲求
キャストの一人としてリビングに戻ると、友里ヱさんが英子らから命琴を守っている所に遭遇した。
「何だよお前、どけよ! 命琴はあたしらの友達だから」
「友達だったらこんなに怯えないっしょー。閉じ込められて気が立ってるのは分かってるから一回座りなよ。あ、景くーん! おひさー!」
「トイレから帰って来たばかりなんですけど……」
きゃぴきゃぴと振舞っているのは演技という訳でもない。友里ヱさんはいつもそうだ。ふざけてるのか真面目なのか良く分からないから……あの時、真面目な顔で言ってきたことが印象に残ってしまう。
それにしても現場はどうなるか分からないとはいえ、俺が守るのではなかったか。こっそりどころかこれでは堂々と助けている。何だか申し訳ない。俺と詠奈は隠れ部屋に潜む三人とギリギリまで濡れ場をありにするかどうか話しあっていたなんて言えなくなった(俺は専ら否定派)。
「詠奈ちゃん!」
「ごめんなさいね、交互にトイレを使っていたの。その様子だと犯人は見つかっていないみたいね。でも誰かが一人で歩いてる事もなくて安心したわ」
詠奈は命琴に害が及ばないように英子と友里ヱさんの間に座る。俺は十郎の隣しか空いていなかったのでそこに座るしかない。
「詠奈さん。トイレから戻ったのなら知らないかと思いますが、冷蔵庫の中身が丸ごと入れ替わっていました」
「そうなのよ詠奈ー! きっとあの春って子がやったんだよ! そうに違いない!」
「えー私も一緒に閉じ込められてたじゃん! どうやって入れ替えるのさ!」
「俺達を眠らせた後に入れ替えたらいいじゃねえか!」
「あっ……」
春の立ち位置は貧乏くじだ。どうしてもこの状況を作らないといけないが、詠奈は信用を毀損出来ない。助け舟を出したのは意外にも梧だった。
「ね、心音ちゃんを疑い過ぎじゃない!? 詠奈と沙桐が一番最後に来たんだから、入れ替えるのって難しいわよね!」
「その通りです。お二人もまた捕まって眠ったのなら最初からここに居なければ不自然ですよ。眠らされた当時離れていたから時間差が生まれたという言い訳は通用しません。それなら冷蔵庫から食材を移動させている彼女の姿を目撃している筈ですから」
普段使いの敬語が出てしまっているものの、八束さんのフォローは完璧だ。家主の詠奈と実行犯の春はどうしても疑いの目が向きやすい。詠奈に至っては既に一度深紅という後輩に目をつけられた。信用度合いで言えばまだまだ圧倒的だが、疑いの向く回数を減らすに越した事はない。
何せこれから死亡偽装を図るのだ。偽装という発想にも至らせないように、出来るだけ絶望してくれるように。詠奈はみんなの頼れるリーダーでなければいけない。
「……幸い、水道水は通っているみたいですから水でも配りましょうか。これだけ集まっているなら犯人も来られないでしょうから」
八束さんとはまだ会話もしていない。あの人と俺や詠奈に関連性を見出すのは難しいだろう。そもそも金髪でモデルみたいな高身長の彼女は立って歩くだけでもちょっと圧力がある。弱気な振りをする春は徹底的に突くのにあの人には何も言わない辺りがいじめっ子の本質だ。
「……私もやる……」
「有難うございます士条さん。ではお盆の用意を」
暇を持て余している事なんか誰が見ても明らかだ。残った人間はどうしても考えないといけない。考えたくない事だけれども、けれど外は土砂降りの雨だから、無策で突っ込むと痛い目を見る。
犯人を捕まえるか、脱出するか。
いずれにせよその手段は考慮しなければならないのだ。
「……さて、深紅君。何か気になる事があるように見えるけど?」
「―――詠奈さん。気づきましたか?」
「何が?」
「気づいていない筈がないでしょう。食材を移動した……それはどうしてですか?」
「んなもん俺等への嫌がらせだろ。みきちゃんと映画ん中でらぶちゅっちゅしたかったのにマジだりーよな」
「僕達が地下から脱出するのを見越していたみたいに思えませんか?」
それとなく机に置かれたカメラを覗いてみる。やっぱり撮影中だ。アングルは深紅の方へ。編集したら彼が主人公になるのだろうか。
「地下から脱出される見込みがないならこんな事をする必要がありません。また食事を与えたくないなら空っぽでもいいと思います。あの肉は何でしょうね。詠奈さん」
「―――さっきから、どうして私にばかり聞いてくるのかしら」
「そうだそうだ! 詠奈を疑うな!」
「女子のせいにしようってのがまず最低なんだけどこの後輩」
「どうぞ、水道水なので危険はないと思います。先に三杯程毒味をしました」
深紅はとにかく詠奈を疑っているらしい。どれだけ理屈を並べ立てても納得出来ない事はある。潔白示したいなら道は一つ。ひょっとすると彼女はこれを見越していたのか。
「それじゃああのお肉。私が毒味しましょう」
「え……」
「わざわざ犯人が残した食材なら毒が盛られていると考えるのが一般的よ。そこまで疑うようなら私が犠牲になるわ。剱木さん、悪いけど肉を手頃なサイズにカットして焼いてくれるかしら」
「…………あまり得意ではないので、カットはともかくそれ以降は誰か手伝ってくれると」
「はいはいはい! 俺俺俺俺! 剱木、俺に任せろ!」
「介斗さん」
剱木だとか八束だとか呼び方が安定しないのは気になるが、いまだに距離感を決めかねているのだろうか。なんとか好感度を稼ごうという下心丸出しの行動も俺は否定しない。ちゃんと親切になっている。
「肉が安全ならあれだけを残した理由はわからなくなるけどそれでいいでしょう。探偵さんの真似事は結構だけど理由もなく問い詰められるのは不愉快だわ」
「……そ、それはごめんなさい。じゃあ違う事を話し合いましょうか。犯人が複数いるかどうか、とか」
「複数いるならそれこそ逃がす道理はないでしょう。単独犯よ。きっとどうやっても引っかかるように飲み物全てに睡眠薬を仕込んでいたのね。ここに来ないのも数で不利だからでしょう。恐らく今は形勢逆転中。だから毒見が済んだら二人一組で武器を持って犯人を探すべき。捕まえられたらここはもう安全。雨が止んだら警察に引き渡して改めて映画の撮影。どう?」
取らぬ狸の皮算用ではないが、詠奈は何事もなくうまく行った場合の話しかしておらず、不測の事態を考慮していない。しかしみんな、軽く乗せられてしまう。
「……いや、散り散りに動き回るべきではないと思います。現状で春さんが怪しいとされているのですから二人一組ではその片割れが共犯者だった場合……」
水を得た魚のように活きが良く、滔々と流れる反論。だが今では誰も耳を貸そうとしない推理は酷く滑稽……というよりもコケコッコーだ。煩い以上の意味が生まれない。煩いだけ。黙って欲しい。そんな空気をみんなから感じる。
方向性は正しいのにこうなるなんて。だがこの短時間の積み重ねを考えたらさもありなん。コミュニケーションで詠奈に上回られたらこうもなる。
「……妙な臭いがしてきたわね」
「一応、調味料で仕上げています。彼が」
「料理出来る男子ってどうかな! どうかなあ!」
「……素晴らしい事だと思いますよ」
「うおおおおおおおおおおお!」
「わ、悪い臭いじゃないんだけどな……」
人生で二度も人肉の臭いを嗅がないといけない日が来ようとは。仕込みの子と合わせて大多数からやめた方がいいという忠告を出したが、彼女はこれを一蹴。最上深紅が疑ってくるから仕方ないんだと強調する。
「うわー。えぎぃな」
「えぎい!?」
「あの一年勘だけはいいんだけど、やり方に問題ありすぎな。正しけりゃ人がついてくるって思ってそうだ」
「……世の中不正だらけだもんな」
「誰だって美味い汁は吸いたいから仕方ねえよ……実際あの肉ってどうなんだろうな。案外美味かったりするかもな。ししょ……子女の剱木さんが作らないなら」
……その誤魔化しは無理やりがすぎるな。
十郎も大概大根役者か。これは骨が折れそうだ。