金の草鞋で尋ねる人生
「成程…………それで私に」
「―――すみません」
詠奈のする事を止める事は出来ない。誰かが殺されるならそれはもうどうしようもない事だ。だが誰が殺すかという決定権が俺に委ねられたら話は別。出来れば誰にも殺しはしてほしくないけど、頼まれた以上、仕事を放棄する訳にもいかない。正にこういう時こそ聖の評価を上げるチャンスかと思うかもしれないが、アイツに人殺しなんてしてほしくない。仕方ない時は勿論あるけど、今回は俺が抗える。
「景夜さんが謝る必要を感じません。合理的な判断かと思われます。誰がより多くの人を殺した事があるのか。景夜さんが事情を聞いた中では私がダントツでしょうから、私に頼めばそれほど罪悪感を抱かずに済む。そういう事ですね」
「……そ、そういう訳じゃ」
「恐怖が手に取るように分かりますよ。ええ、そうみられても仕方のない事をしました」
「違うって―――」
「怖がらせるつもりはありませんでした。その話は喜んで引き受けましょう。それが私の使命だって―――」
「違うって言ってるでしょう!?」
俺が普段強気じゃないからって勝手に話を進める。八束さんはやっぱり悪い人じゃない。人を殺した事のある人間を根っからの聖人とは言わないけど、確かな事が一つ。今の彼女には罪悪感がある。
身長差から体に飛びつくしかなかったが、恐れていない証明の為にもキスをした。何でもない廊下で無防備な女性に飛びつく事の不審さと言ったらなかったが、八束さんの体幹は異常で少しも揺らがない。ただ俺の行動に驚いて目は見開いている。
「怖がってる人にキスなんか出来ますか!? ええ!?」
「…………」
「誰にも殺してほしくなんかないですよ! でも誰かを選ぶようにって言われたんです! 鰓場にって選択肢はない! それだったら……せめて苦しまない様に殺せる人がいいじゃないですか。漫画よりも人は簡単に死にます。極論その辺りに体を叩きつけるだけでも死ぬと思います。でもそれはきっと凄く痛い」
殺さない様に手加減するのもきっと難しい。人は想像以上に脆い。だから必要なのは攻撃力ではなくて、どれだけ綺麗に殺せるか。
「あの夜見た剣は、死者の剣。八束さんみたいに異常な環境で育たないと得られない物です。月の様に鋭く、屍のように死を潜ませた静かな刃。死ぬその瞬間まで何も感じられない様な…………何となく分かりました。詠奈は別に苦しませて殺せなんて言ってません。貴方なら漫画みたいに……綺麗に骨を断って首を斬る事も出来るんじゃないんですか?」
「…………成程。殺しの腕を買ったのに違いはないと。そういう事なら……可能です。そもそも私に甚振る趣味はありません。命じられない限りは出来るだけ素早く殺すのが私の信条です。そこに目をつけたなら間違いないですね」
「……お願い出来ますか?」
「ええ、全く問題なく」
八束さんに地図を渡すと、彼女は一通り目を通してから地図を丸めて手に持った。誤解は解けたようで嬉しいが、勢いでキスをしてしまったことが今更のように恥ずかしくなる。一人で勝手に顔を焦がしていると彼女はその場で膝立ちになって、お返しのキスを頬に。
「…………そう、気になさらず。今の私にとっては嬉しい配慮です。私を怖がらなかったのはこれで二人目……勿論最初は詠奈様ですが。そのような人間と二人も出会えて私は嬉しいです。樹海から出て良かったとさえ思います」
「…………や、やっぱり無理だったら言ってくださいね。その時はまた……か、考えますから」
「私より殺しを重ねた人は居ますが、綺麗に殺すという点で私以上は居ないでしょう。御心配なく。親の言う事を聞かない子の元へ鬼が征くかの様に、忽ち殺して見せましょう」
―――誰なんだろう。
八束さんは多分配慮しているからボカしている。みんながみんな本性を隠しているとは言わないが、聞かなければ過去は隠されたままだ。気になりはするものの、きっと尋ねるのは今じゃない。だって今聞いてしまったら、次から偏見を抱いてしまうかも。
「じゃ、じゃあ確かに渡しましたよ。お願いしますね。俺は帰りますから」
「景夜さん。最後に一つだけ」
階段を上ろうとした所で、振り返る。八束さんは朧夜のような暗い視線を投げかけて、首を傾げた。
「本性を隠す事は誰にも出来ません。詠奈様が飽くなき渇きに満たされているように、私がいつでも衝動を引きずり出せるように。沙桐景夜さん――― ああ失礼。王奉院景夜さん。貴方の本当の願いは何ですか?」
「八束に渡したのね」
「うん、渡した。あの人がぴったりだと思って」
「そうなの。それじゃあお茶の続きをしましょうか。ケーキをもう一つ用意したの。夕食の時間まで楽しくお話ししましょうね」
机の上で手を繋ぎながら、もう片方の手でお互いに食べさせあう。これ自体はちょっとしたゲームというか遊びだ。少し食べるのが不自由な中でどうやって食べるか、みたいな。満足そうに指を絡ませながら鍵盤でも打つように指を波立たせる詠奈。表す言葉など見当たらないくらい可愛い。
「もうすぐ夏休みだよな。やっぱり期間中に撮影するのか?」
「勿論。どれくらい時間がかかるか分からないから早い内にね。ああそうだ。休みに入る前に一回くらい更衣室が汚れるくらい本気で気持ちいい事したいわね。いっそバレてみたい気持ちも少しだけ」
「やめてくれよ……」
「冗談。バレるというならもうバレているでしょう。昼休み以降はいつも下着を着けていないし……いつも階段の下から眺めているのだから分かるでしょう? 今日だって放課後までやる事ないからって顔を突っ込んで……えっち」
「なんでそんな振り返るんだ……あ、あれは勢いだよ。お前があんまり誘うから……」
「そうそう、私が悪いのよ。君が悪くないから、気にしないで気持ちよくなってね」
「なんかいいようにされてるような」
「君は私の物だからそれが正しいのよ」
詠奈は俺と会話をすると決めたら余所見をしない。何かをしている最中で会話が成立したら話は別だが、こういう時は誠実だ。携帯に視線を落としたりもしないし、他の誰かが割り込んで来たらそっちを優先する事もない。
「詠奈って、時々普通の人みたいに感じるよ。お嬢様なのに」
「それは褒めているの?」
「そういうのじゃなくて、疑問って言うのかな。価値観が違うのに時々噛み合うって言うか。八束さんがまともになってるのってどう考えてもお前のお陰だと思うんだよ」
「市井に寄り添う気持ちはないけど、私だってこの世を理解したいと思っているのよ。そうでなければモノを使う事は出来ないわ。独りよがりな王様は、その命もか細いの」
「…………そんなに優しいなら、聖の事はもうちょっと緩く見て欲しいなって思うんだけど」
「随分あの子に肩入れしているのね。やっぱり胸?」
「お前が言っちゃうのか! お前の方が……二回りくらいあるだろうに。肩入れって言うほどじゃないだろ。アイツはただ最近運が悪くて、噛み合ってないんだ。処分に関してはお前の方針だから何も言わないけど、あんなことが積み重なって死んだんじゃ理不尽だよ。大目に見てやってくれないか?」
「―――君たってのお願いという事なら考えておくわ。でもそんな事に思考を割いている余裕があるの? 夏休みなんだから、君は子作りの事を考えないと」
「え?」
ケーキもカップも空になった。
詠奈は俺をベッドに誘うと、服の中に手を入れて、耳元で囁く。
「私は消極的に懐妊を避けているつもりだからいいけど、他の子には何も言っていないわ。そろそろ誰か一人くらい孕んでも良いんじゃないかって思ってるんだけど」
「…………い、良いのか? それはお前的に、どうなの?」
「大歓迎よ。妊娠、出産までの流れに皆が慣れたら私の時に誰も慌てず済むでしょう。病院に頼ってもいいけど、その場合はどれだけ死人が出るかも分からないし……」
「ごめん色々言いたい事あるけど、何で夏休みは子作りする前提なんだ? ていうかその。いやごめん。本当に今更なんだけど不特定多数とやるのはその……」
「病気の事なら少し高くついているけど問題ないわ。深刻な病気には罹らないから」
「何言ってるんだ?」
「お金で買えないものはないのよ。たとえそれが奇跡であってもね」
「…………か、仮にそうだとしても! 映画を撮影するんだろ! どれだけかかるか把握してないのに子作りしてる暇なんかないじゃないか! まさかと思うけどパニックホラーで濡れ場を用意するつもりか? あるかもしれないけど妊娠までやらないだろ!」
詠奈は目をぎょっと見開いたかと思うと、背中からベッドに倒れ込んであんぐりと口を開けた。
「―――私としたことが失念していたわ。確かにそう。被ってしまうわね」
「そうだろ!?」
「ええ。長くしないと」
間もなく国会が緊急で開かれ、夏休みと定義される長期休暇は法的に延長が可能になった。このあまりにも目的の見えない流れにマスコミはおろか普段いがみ合っている政党同士も喧嘩の口実にすら出来ず困惑していたが、裏に居る存在を慮ってか何も言わず。
夏休みが、やってきた。