黒い噂の御令嬢
王奉院詠奈は俺の初恋であり、憧れの存在でもあった。母親に支配されていた俺と何者にも縛られない彼女は正反対の存在だ。そんな彼女だから俺を助けてくれた。そういう意味では紛れもなく恩人だ。買われた側の俺がとやかく言う権利はない。それを踏まえた上で、言いたい。
「詠奈ってこんな多かったのか?」
スタイルこそ違い過ぎるものの、詠奈の顔は町中を歩くだけでもちょいちょいと見かける。意識すれば当然のように見つかるからこれまで自分がどれだけ周りに目を向けていなかったかも明らかになってしまった。詠奈と一緒に帰る時は窓を遮られた車で帰るから見つけようがなかったのもあるか。
「もしかして死体が足りないのか? でもそれならアイツの顔に整形させる意味とかないよな」
「私も詳しくは分からないけど……聖はどう思う?」
「……詠奈様。口癖のように私は殺せないと仰ってますよね。そのギミックという可能性はございませんか?」
「ギミック…………ああ! そういう事か?」
詠奈自身が普通の人間なのは良く分かっている。それは互いに生まれたままの姿を知っている俺だからこそ、ちゃんと言える言葉だ。身体の中まできちんと人間。例えば彼女が人間そっくりな機械だなんて、そんな事はあり得ない。
だがそんな人間でも疑似的に死なないように見せかける事は出来る。例えばそう、自分と同じ顔の人間が何人も居たら? 王奉院詠奈は法律の制約を受けない立場に居る。だから恐らく―――戸籍なども存在しない。ある必要がないからだ。そんな物がなくても彼女は自由に振舞える。誰も彼女を罰せない。個人情報から詠奈を特定する事が不可能となれば一番はやはり顔になる。
―――よくよく考えたらそんな立場の人間が護衛もつけずに出歩く筈もないのだが。
数撃てば当たるとばかりに狙う人間が居る事からして、詠奈を排除する事を焦っているのか。いずれにせよ、不死のギミックは単純だ。詠奈が何人も整形させているならそれを殺した所で詠奈は殺せていない。本人だったとしても、それを本人と判別する方法がないから殺してみた方が早いという理屈だろう。
スタイルは違うと俺も言ったけれど、それは服装で幾らでも誤魔化せる。詠奈の行動力は不自然だ。俺は電話でやりくりしている事を知っているけど、内情を知らなければこっそり動いていると思っても不思議はない。
「で、俺にしか殺されないってのは傍にいるのが本人だからって事か……」
「実は景夜さんが好きな詠奈様も影武者なんて事は……ないよね?」
「証明は出来ないけど、俺は詠奈を信じてるよ。それに…………」
アイツは自分が狙われる事を愉しんでいる節がある。俺には理解しがたい価値観だけど、誰にも命を狙われない状況というのは退屈なのだろう。俺と過ごす時間を何より大切にしているのは、裏を返せば楽しんでくれている証拠だ。
「……詠奈は、俺に嘘なんて吐かない。俺の傍にいる詠奈は、王奉院詠奈だ。それは間違いないよ」
「そう、だね。ていうか違かったとしてもあの人に買われた事は間違いないんだし、従うしかないよね」
「そういう事だ。こんなにぽろぽろ偽物見かけると俺達も巻き込まれそうだし帰ろう。車を呼んでくれ」
「じゃあ聖、呼ぶ?」
「え?」
「こういう時に点数を稼ぐのは当たり前でしょ。ほら早く」
心配性(と呼ぶには聖が無防備だが)の姉に押されて電話から迎えを呼ぶ妹。車が来るには数分かかるから、それまで何かするべきか。しなくても話していれば時間は経過する。
「二人の個人的な価値観としてはどうだ? 詠奈のしてる事って、どう思う?」
「そうだね。法的には悪い事だと思うけど……昔に比べたらずっと楽だよ。危ない事してた訳じゃないけど、詠奈様に買われなかったら私達姉妹の仲はきっと壊れてたと思うから」
「そう……なのか。変わった事してたんじゃないなら、詠奈はどうやってお前達を見つけたんだろうな」
「さあね。詠奈様はそういうの話してくれないし、あんまり興味もないかな。今の生活、怖いけど満足してるよ。景夜さんにも会えたし」
何か釈然としない。
彩夏さんをはじめとして何人かに購入までの経緯を聞いたが、その何れも詠奈の周りに誰かが居たという話は聞いた事がない。いずれもアイツは単身で誘っているらしい。
それを把握しているからこそ、詠奈が一人で出歩いている所を狙っている? だとするなら、今はどうして出歩かない? 満足なんてしていないだろう。特別な人間はまだまだ沢山居るはずだ。
―――それとも実は、出歩いているのか?
「詠奈。恋人が居る奴にはマークつけておいた。確認してくれ」
「有難う。そしてご苦労様。丁度ケーキを食べる所だったけれど、君にあげるわ。正当な報酬よ」
「お、本当に!? やったー!」
私室に用意されているシンプルな椅子に座ると、詠奈も対面に座って署名リストを眺める。
「…………へえ。こんなに居るんだ。学校でイケない事をするのも無理なしって事? でも学校は勉強する所だから良くないわね」
「俺達が一番言っちゃいけない事だと思うけどな」
「本当にそう? みんなは学校で良い子にしなくちゃ社会に出られないのよ。良い成績を取って……私は有能なんだと示さないといけない。それが出来ない人は野垂れ死ぬだけ……ああ、女性は身体を売る事は出来るけどね。誰もが彩夏みたいに上手く回避出来る訳でもないから大変。でも君は仮に退学になっても私のモノだから関係ないわ」
「そういう……話なのかな」
「むしろ退学になってくれた方が家族計画を前倒し出来るからとても嬉しい事なのだけど……安心して。約束はちゃんと守るわ。君に楽しい学生生活を送らせる。これは絶対に守る」
「お前を……妊娠させても?」
「女子高生を懐妊させるなんて珍しい体験が出来るわね。おめでとう」
詠奈の価値観に触れていると、自分の常識もおかしくなりそうだ。それはいけない事だって分かっているのに、彼女が許してしまうから、どうにも抑えがきかなくなる。
「それよりも……ああ、君は接点があまりないか。あの高校にイジメが蔓延っているのは知っていると思うけど、見て? 私をいつも楯にしている……命琴を虐めてる人達は全員彼氏が居るんですって」
「―――全員参加希望だよな。お前はその子も殺すのか?」
「私の後ろに隠れるだけで特に迷惑は被っていないし、何よりいつも占いをしてくれるから考え中よ」
俺の見ている所では当然そんな光景はない。四六時中一緒に居る訳ではないから何処かでそういう事があるのだろう。俺が居るという事はイジメっ子の女子も近くに居るという事でもあるし(関係の薄い人間も近くに居るという意味で)
「占いなんて信じるんだな。ちょっと意外だ」
「そういう訳じゃないの。精一杯のお礼としていつも勝手に占ってくれる。私は信じていないけど、それが彼女にとって誠意のある返礼なのでしょう。価値はどうあれ、その真心を無碍にはしないわ。ただ、いつもの調子じゃ私が死ぬフリをする所でまともなままでいられるかどうかって心配もあるの。殺すつもりもないけど、発狂させたまま社会復帰させるのも何だか酷いでしょう。だから考え中」
「…………」
詠奈には友達が居ない。
彼女はクラスメイトの殆どをそうみなしていない。低価値の同級生以上でも以下でもなく、余計な事をするようなら処分する程度の好感度だ。そんなアイツが誰かを配慮するなんて、それこそ意外だった。
「…………お前の新しい顔が見れたみたいで嬉しいな。へへ」
「何の事?」
無表情のまま詠奈は首を傾げている。無自覚ではあるようだ。そこもまた愛らしい。フォークでケーキを切って、口に放り込んだ。
「……っ何でもないよ。で、そいつら全員エントリーさせるとしたら残りは落とすんだよな? 変に待たせても悪いから落選したなら落選したって伝えるべきだと思うけど」
「―――ああ、そうね。命を買えなかった人はそれでいいけど、命を買えたのに落選したんじゃ、もったいないわ。有効活用しないとね」
詠奈は地図を広げると、一見して出鱈目な場所に✘印をつけていく。俺にも手伝わせてもらうとそれは終わる頃には膨大な数になっていた。別に一筆書きをしたら絵が浮かび上がるみたいな仕組みもなさそうだ。
「これは一体?」
「拉致監禁までスムーズにいくように撮影の日までランダムに死んでいってもらうわ。景夜、悪いけど渡してきてくれる? 誰にやらせるかは君が決めていいわよ」
次回で章は終わりです。