金一封の重みは命の重み
「うーん、こんなに集まるなんてちょっと意外だな……聖、獅遠。そっちと合わせて幾らくらいだ?」
「二〇〇人ちょっと……?」
「女性が多いのは意外ですね。詠奈様にお近づきになりたいと考えるのは男性だけかと思っていました」
「微妙に失礼だけど間違ってないよ。下心ありきで男性の方が多いと思ってたんだけどな……」
「自分より美しい人には嫉妬したくなるのが女性の醜さ! って女性の私が言うのも変か。この中で許可が得られたのはまだ数人程度。大半は我が子の命をお金で変えたくないって当たり前なんだけど、母数って大事だね」
世の中にはお金で我が子の命を渡せるような親もいる。詠奈のキャスト集めはその無常な現実を浮き彫りにしてしまった。その気になれば強引にでも連れて行ける犠牲者に、敢えて配慮したどうでもいい一幕。そこには世の無常と呼びたくない悪辣さが潜んでいた。
「詠奈様も大変ですよね。価値を低く見積もっている人相手に高く見積もった金額を払わないといけないなんて」
「価値は立場によって変わるし、詠奈様にとって今だけは大切な映画のキャストだから仕方ないよ。それより聖、貴方……詠奈様に目をつけられているみたいだから暫く離れて業務をしていた方がいいよ。私も庇えないから」
「姉さん。でも」
「でもじゃない。景夜さんが来る前の詠奈様を知ってるでしょ。月の様に鋭く、氷のように冷たかった……景夜さんが来なかったらもう確実に処分されているよ。分かってる?」
俺が居ない時の話を隣でされると物凄く気まずい気持ち、理解出来るだろうか。混ざりたくても混ざれないから離れたいけど、離れたらまるで申し訳ない事をさせたかのような錯覚を……錯覚じゃないけど……相手にさせたみたいになって。
「昔の詠奈ってそんな冷たかったのか?」
署名表を首に掲げながら当てもなく校内をぶらぶらと。放課後だから許される無法の中で、姉妹の話に興味を持った。署名は確かに集まっているが、俺の持つ紙に書く人は主に知り合いだけだ。誰とも知り合いじゃない場合―――つまりこの話を人づてに聞いた場合は、大抵獅遠か聖のどちらかを狙う。だからハッキリ言って、俺は暇になる。
「そりゃもう。必要以上に誰かを買わないのも優しさだって最近ようやく分かった。昔はもっと気軽に処分してたよ。景夜さんが来てから凄く変わった」
「…………想像出来ないな」
「景夜さんに想像して欲しくないだろうから、いいよ。でも姉としてはこの子が心配……悪意はないんだけど、この子ってたまにおかしな距離感で物を言うから」
話している間にも署名は集まる。選考(というか命の選別)待ちがまた一人。獅遠は迂闊な妹のサイドテールを撫でると、聖は不思議そうな顔で姉の顔を見ている。
「…………」
「獅遠?」
彼女は意を決したように目を瞑って。
「景夜さん。この子ペットとして飼わない?」
「ぶふっ!」
何か口に物を詰めていたとかではない。強いて言えば言葉が詰まって咽込んだ。獅遠のあんまりな申し出にちょっと、返す言葉が見当たらない。
「な、何言ってるんだよ! そ、そんな事しないよ!」
「でも景夜さんなら買っても何もしないでしょ? 詠奈様から買ってくれたら私も安心出来るんだけど」
「そういうんじゃなくて……買って何もしないってのも詠奈に怒られそうで。俺も買うのは本意じゃないからそこで色々ややこしくなりそうで……その、聖の価値なら確かに買えるけど、そういう使い方は良くないと思う」
「景夜さんがちょっと欲求不満になった時とか、使ってもいいんじゃない?」
「姉さん!」
「冗談では言ってないよ。景夜さんが詠奈様みたいに業務に割り当てるってあまり考えられないし。そもそもそこまで仕事もないでしょ」
「…………」
学校でなんて会話をしているんだ。
獅遠は下世話な話をしたいんじゃない。姉として聖の身を案じた上で提案している。詠奈が居るから聖をそういう目で見られないとか、そういう話は一緒に風呂に入って、プールであんな事があった手前論じる意味がない。
だが欲求不満と言っても詠奈はその気になればいつだって付き合ってくれるし、 そんな食っても喰らい尽くせないような貪欲さもない。聖を買った所で毎回それを頼むのも申し訳ない。その手の行為が疲労を伴うのは良く分かっているつもりだ。初めてでも経験豊富でもそれは変わらない。
「…………まあでも、獅遠が心配する気持ちは凄く分かるよ。後で詠奈に話してみるよ。どういう形になるかは置いといて、俺が死んでほしくないって言えば一先ず何かしら考えてくれると思うんだ」
「…………」
不安そうに俯く聖の手を握ると、何となく笑いかけてみる。こういう時の対処法は分からない。分からないから精一杯励ます。
「大丈夫だよ聖。お前には死んでほしくない。死なせないからそんな顔しないでくれよ」
「………………」
表情が晴れない。
どうしよう。
「獅遠。話が変わった。トイレに行こう」
「へ?」
身体は正直だから。それは何かと詠奈が口にする表現である。俺は口下手だから、詳しい事は身体に聞くのが詠奈だ。俺は口下手だから、言葉で励まそうとしても伝えられない。
だからやっぱり身体で教える方が手っ取り早い気がした。特に今の聖は失敗(本人に非がなくとも)続きで自信を無くしており、自分の価値について見失っているのではないだろうか。
俺達には人権がない。それは全て詠奈の手に委ねられた。考慮されるのは価値であり、あるかないかが全てだ。何故身体に聞くのか? 偏にそれは、聖自身に価値はあると教える為に他ならない。
「はぁ、はぁ…………あ、あんまり人居なくて……良かった…………」
「………………また、はしたない声を」
「…………わ、分かっただろ。俺は死なせない。見捨てる様な価値だったらこんな事しないんだ」
「は、はい…………うぅ……ど、どうしましょう姉さん」
「ん?」
獅遠はスカートを捲るように下着を履き直しながら妹の方を見遣る。そして今更気づいたように声を上げた。
「あ、貴方下着履いてなかったの!? 履き忘れるなんてないでしょ、意図的!? 何考えてたらそんな事になるの!?」
「その……男性の方の署名を集める際に…………」
「つ、使った……?」
「いえ、見せただけですけど……」
「―――そんな事に頼らなくても署名は集まると思うんだけど。どうしてそんな真似を?」
「――――――」
「――――――」
揃って二人が、口を噤んだ。
「え? 何? もしかして触れたくない事……?」
「そうだよ。あんまり聞かないで。それよりも今さっき連絡が入った。命を売った人が結構増えたってさ」
「……? 急に増えるなんてあるのか?」
「そこは詠奈様に聞かないと。じゃあ聖について誤魔化しにくいからそろそろかえろっか。出来るだけ速足で」
それから俺達は逃げるように校舎を後に。陸上部の奴らと遭遇しなかったのは不幸中の幸いか。黒塗りの高級車を探したが、見当たらない。連絡して少し待てばそれで済む話だが、何となくもう少しだけ探したくて駅前まで来てしまった。
こんな街は都会でもないが、駅前は流石に人気もある。宗教勧誘の人間であったり、田舎の観光に来た人であったり、お菓子を売る外国人であったり、様々な人間がここに居る。
仲でも目を引くのは、覆面を被ったライダースーツの集団。交番が直ぐ近くにあるから悪さをするとは思えないが、不穏な気配がする。駅から出て来た人物を、彼らは一斉に取り囲んで連れ去ってしまった。
「…………なあ獅遠」
「何?」
「詠奈って一体何人居るんだよ。もう死体は十分だろ」