背徳の道のり
便宜上、事情も知らず巻き込まれる側を役者と呼ぶが。パニックホラーと言っても撮影を知らせずに閉じ込めるならこちらの認識は大体デスゲームと変わらない。どれくらい閉じ込めるつもりかも判明してないが、食事を配給する必要があるなら結構な日数を過ごす事になりそうだ。
「こっち側の仕込みは普通の食事をこっそり貰うのは……まあいいとして、他の人にはどうやって出すつもりなんだ?」
「自然な文脈を探るんだったら仕込みの人に料理してもらうのが良いと思うけど。まさか生で人体を用意しても調理しようと思わせるのは無理がありますね……」
「誰が殺人鬼をやるかはともかく、閉じ込めた存在が居るのは明らかなんだから、食事の用意くらいはされていてもいいじゃない。話の主導権は握っていて欲しいけどあんまり自由にしてしまうと脚本が壊れてしまうわ」
勝手に動いてくれる分にはいいが、してほしい事をしてもらわないのは話が違うと言いたいのだ。詠奈が撮りたい映像は人肉と知らずに食べるシーンだろうか。後でどうやってそれを判明させるかが肝となるが、それは一先ず置いといて。
「ちょっとコックさん。詠奈に人肉味見って本気で言ってますか? ていうかまず人肉料理って衛生面は大丈夫なのか?」
「馬鹿野郎、俺だって料理人の端くれだ。味見はしてねえが衛生面は問題ねえよ。色々検査する方法はあるからな。味に関しちゃ、俺の心ん中の人道に反する。なんか、理性が拒む。食べんなって」
「でも詠奈が食べろって言ったら食べるしかないですよ。そういうもんですから」
「コックに食事に関する強制はしないわ。万が一ゲテモノ食いに目覚めても困るのは私だし。かといって他の者に味見を任せてもそれが本当に求めていた味かどうかは判断できないから……仕方ない。お望みどおりに味見をしましょうか」
「詠奈!」
「人道なんて知らないわ。美味しかったら人肉でも食べるけど……まず美味しくないのは、これまでの歴史が物語っているわ」
「……人肉食の歴史なんてどう間違っても紡がれないだろ」
「さて、そういう歴史の中で生きているからそう思っているだけだと思うわよ。人肉が美味しかったら今頃家畜として扱われる人間も居たかも……取り敢えずこっちに持ってきてくれる?」
「あいよ……不味かったら言ってくれ。調整する」
二人の間で平然と流されている会話も、俺にとっては不気味だ。家畜として扱われる人間なんて風刺画の中の話だろう。厨房の方に一度コックが引っ込んだのを見ると、俺は詠奈に耳元で囁いた。
「本当に食べるのか? ていうか人肉食べるシーンを撮りたいなら別に美味しさなんて必要ないと思うんだけど」
「君、美味しくて夢中になる料理が実は食材ですらなかったって言われたら食欲を失くさない? 自分はなんて物を食べたんだと気持ち悪くなるくらいは想像出来ると思うけど」
「……そう言われても、経験がないし」
「よく言われる表現だと思うけど、カレー味の便か便味のカレーかってあるでしょう。どっちもどっちで両方とも酷いみたいな時に使われるけれど、実際君がカレーだと思って食べた物がそれだったら?」
「うわ、それは吐く。想像したくない」
「不味かったらその時点で吐くけど、美味しければまず嚥下する。同じ吐くにしても深度が違うのよ」
凄い。人を嘔吐させる為にここまでの念の入れよう。俺はそこまで悪辣な方向に考えが及ばなかった。詠奈が人を人とみなしていない価値観を持っているからこその徹底。女性は怖いって言うけど、こういう事なのか。
―――八束さんが例外、だよな。
あの人は俺が情けなく逃げ帰った間に元のメイド服に着替え直して戻って来た。その声音や挙動に直前の鋭さは感じられない。詠奈とどっちが怖かったかって言うまでもないだろう。死の恐怖と、趣味の悪さで比較したら話にならない。
「……」
「どうかしたの?」
「いや、支倉を処理した時、彩夏さんが臭いを誤魔化す為に色々投入してシチュー作ったの思い出した。もしかしなくてもあんな感じのが出てくるんじゃ……」
「ほらよ」
悪い予感程、未来予知にも劣らぬ精度でよく当たる。寸胴鍋と共にコックが戻ってくると、ぐつぐつと沸騰した音と共に香ばしい匂いが部屋中に広がる。香辛料の類だ。中を覗き込むと赤黒いかと思われた液体は薄橙色であり、見た目は普通のシチューだ。
「やっぱり!」
「んだよ、鍋のが色々ぶちこめて誤魔化しやすいんだ。人骨を煮込んだ所で美味いダシなんざ出ねえし、スープは別で作る必要があった。そっちは上手いと思うぜ、肉との相性は分からねえが」
「考えてみれば人肉なんて初めての体験……そこまで期待はしていないけど、ドキドキするわね。それじゃあ一口……」
「ま、待ってくれ詠奈。ちょっと待ってくれ」
鍋にお玉を入れて直接飲もうとする詠奈の手を引きとめる。好きな子にこんな危ない料理を食べさせたくないのが本音だけどそれはかなわない。だからと言って妥協もしない。
「俺も…………食べる」
実はゲテモノ好き……なんて意外性もない。俺が人肉料理を嫌がっているのはこれまでの言動からも明らかだ。だけど詠奈にだけ食べさせるくらいなら俺も一緒に食べる。詠奈は目を何度か瞬かせて、うーんと唸った。
「無理しなくていいのに」
「好きな子に無理させるくらいなら一緒にやる。美味しければいいんだろ? 素材にさえ目を瞑れば……いいんだ」
「…………そう。ならお言葉に甘えるわ。一緒に食べましょうね」
「…………」
コクリ、と頷いて見せる。緊張しているのは気のせいだと信じさせてくれ。思い込め。これはただのシチューだと。
「…………準備は良い?」
「一思いに」
お玉をもう一つ用意してもらって煮えたぎった鍋に突っ込む。掬い上げるとそぼろのように混じっているのが人肉だろうか。あんまり大きな塊だと味が誤魔化せないとか? 底を漁ってみると大きな団子くらいの大きな肉塊を見つけたのでこれを一緒に食べよう。
「「……いただきます」」
「…………景夜さん?」
獅遠と聖が俺の様子を窺っている。詠奈は黙って咀嚼をし、俺は口を高めに閉じたまま固まっていた。心配をされるのは当然である。
「………………スープは確かに美味しいかもしれないけど味が濁っているわね。血抜きが甘いのかも」
「あー。あれでも頑張った方なんだがまだ足りねえか。肉はどうだ? 取り敢えず小さめにしてみたんだが」
「食感は普通だけど、後味が悪いわね。肉も溶けているようだけど、本当に溶けているだけ。味わいは皆無ね」
「…………まずい。味がしみ込んでても、肉がぶよぶよしてて気持ち悪い」
「肉が多いとそんな感想になるのね。コック、改善点は覚えた? 食べずに改善できる?」
「何とかする。マジでこれは食べたくねえ」
映画撮影の準備は着々と整っていく。部屋の増設は後日業者を交えて行うらしいがそれ以外のちょっとした回収や改造はメイド達で行った。俺は専ら小道具の確認をして、映画撮影が円滑に進むように使用用途を確認している。
「鍵をあの電球の中に入れておくから、景夜さんはこの縄に石をくくりつけて割るの。いい?」
「どうやってその状況になるんだ? 鍵が見えたらあれだけど……獅遠は食事の配達を希望してるんだったよな。じゃあ頼れないか」
「私は参加しないけど、こっちでサポートする。大事なのは景夜さんが頼れる人になる事。みんなが判断を仰ぐようになったらいいけど、頑張ってね」
「そう言えば誰が怪物役……殺人鬼役……なんでもいいけど決まってないよな? ポルターガイストを装うってのもあるけど、どうするんだよ」
「それは分からない。本物の死刑囚を使おうと思ってたらしいんだけど、信頼関係がないとうっかり詠奈様の存在がバラされちゃったらほら、台無しじゃん」
「ああ……それはそっか。なあ、ひょっとして決まってないっていう体で誰にも知らせてないっていう可能性はないかな? そもそもこの映画ってリアリティ追及の為に本気で殺すんだろ。だから仕込みでも生存者側の俺や他の子に情報が行かないように秘密にしているとか……」
「景夜。帰りましょう」
獅遠と呑気に映画について話していたら後ろから手を引っ張られた。詠奈しかいない。
「詠奈? まだ終わってないんじゃないのか?」
「そうだけど、今日はもういいの。友里ヱに一任してそれ以外は全員帰還。明日は参加者の選考を行うから手伝ってね」
「え、え、え? 友里ヱさんだけ置き去り? 本当に言ってるのか?」
「誰か居ると危ないそうだから。そうそう、参加者についてだけど出来れば明日、恋人が居る人について調べてくれる? 人間ドラマも少しだけ欲しいと思っていたの。愛する人の傍に帰りたいのに抗えない暴力がある……ホラーとしては定番でしょう。お願いね」
「……ここまでやってリアリティがないって言われたらちょっと複雑だな」
「リアリティとリアルは厳密には違う要素だけど、どんな映画もケチの一つはつけられるわ。私は私で全力を尽くすだけ。文化祭の有志発表はぜひ成功させましょうね」
詠奈は学校があまり好きじゃない。その一方で行事だけは頑張ろうとする。やる気があるのかないのかどっちなのだろう。
―――そういえば撮影後の対応はどうするつもりなんだろう。
何十人消えるか分からないけど、詠奈だけ戻ったら不自然だと思う。