あの日を永遠に
「これは……」
「わーお。お化けじゃなくて魔術的なあれかー」
様子のおかしな部屋を勝手に調べるのも憚られる。聖に詠奈を呼んでもらうと、廃墟と言っても異様な雰囲気の部屋にメイドのみんなは呆気に取られていた。
「姉さんの地図を見たら景夜さんが多分って……」
「獅遠はこの事を隠していたのですか?」
「んーいや。知ってた訳じゃないけど、外から見たら分かるよ。窓があるでしょ。中から見た大きさと外から見た大きさが一致してないっていうか、そもそもこの部屋に窓がないのに外からみたら窓があったら隠れてるって思うでしょ。だから地図で書いただけだよ。こんな物があるとは知らなかった」
「景夜」
一方、詠奈は部屋の事などさておいて、絆創膏やガーゼで手当てされた俺を見て露骨に取り乱していた。じろじろと睨め回すように隅から隅まで眼と肌が触れ合うような距離で、身体の端から端まで覗き込んでくる。
一見すると無表情、だけど中学校からの付き合いだから俺には分かる。目を大きく見開きながら瞳を潤ませて微かに手を震わせて。
「大丈夫……?」
「大丈夫だよ詠奈。俺なら心配いらないから。それより向こうを見てくれ。気になるだろ」
「私は君の怪我の方が気になるわ。それに比べたらあんな物どうでもいい」
「俺が気になるんだ。調べて欲しい」
「…………そんな言い方はずるいわね。分かったわ。でもその前に……聖」
「は、はい」
詠奈は八束さんが携帯していたリボルバーを奪い取ると、弾を一発だけ残してチャンバーを回す。それから彼女に手渡した。
「五回引いて」
「…………お、おい詠奈!」
「君がこの破片で怪我をしたのも分かる。君が割ったのも分かる。でもその時隣に居た筈の貴方は守れなかった。いつも言っているでしょう、絶対に、何があっても景夜には傷一つつけない。それを守れなかった貴方の価値は大きく下がったわ」
「…………も、申し開きもなく」
「でもこれくらいで無価値にもならない。私は慈悲深いからチャンスをあげるわ。それを五発、頭に構えて弾が出なかったら今回は不問にしてあげる。さあ」
人権を失った彼女に拒否権はない。それは確かだが、それは超能力的に強いられている訳じゃない。聖は詠奈を恐れている。従う道より他はないが、銃口を頭に突き付けて、ビビらないなんて不可能だ。少し指を引くだけで命が終わってしまうかもしれない。
死は万物に紐づけられた終わりの定め。それをたった今、ここで迎える覚悟をまともな人間は持ち合わせない。
「どうかしたの。早く引いて」
「………………ッ」
「やりなさい。早く撃て」
「…………ッ! は………くっ」
「私を待たせるな」
カチカチカチカチカチ。
勢いに任せて引かれたトリガーは奇跡的に、いずれも不発に終わった。詠奈はリボルバーを取り上げると八束に返却。何事もなかったように部屋を調べ始めた。
「聖……」
「姉さん。私は…………大丈夫」
死を間近に覚えた身体は否応なしに汗を拭きだし、耐えられなくなった足腰が崩れて彼女はその場に尻餅をついた。獅遠が抱えに走るが少し遅い。何か一つの間違いで死ぬ所だった恐怖は、確実に聖の脳裏に刻みつけられただろう。
俺も心配していたけれど、詠奈に呼ばれたら行かないと。
「えっと、先に言っておくと俺はこれを見ても何が何だかだぞ」
「景君にそんな知識は期待してないと思うな~。詠奈様は単純にもう心配になっただけで」
「友里ヱ。貴方の仕事を放棄しないで」
「はいはい……まずこの魔法陣は出鱈目ですね。リビングの書物から察するに都合の良い解釈をしてそのまま使ったんだと思います。例えばこの円形の中に描き込まれたくの字が交差したような線は引く順番が違います。溶けた蝋燭は時間制限と、呼び出しが成功したかどうかって所ですか」
「専門的な説明はいいわ。結局これをした人は何がしたかったの?」
「死神を呼び出したかったって所ですかね。ただ失敗して、勝手に思いつめて過激化した。頭蓋骨は…………女性と、子供って所です。家族でしょうか」
「ふむ…………部屋が鏡で閉じ込められてた理由は?」
「それは分かりません……けど、鏡が合わせ鏡のように設置されていた事から考えると、何処に死神が現れても自分が話せるように工夫してたとか? 窓から出入りすれば隔離されてても不便はないと思いますよ。部屋の中からここに来ても単なる鏡張りの部屋ですからね~」
友里ヱさんの淡々とした説明を詠奈がすんなり受け入れている。俺にはさっぱり分からないが、専門的な事が分からないのは今に限った話じゃない。それよりも分からないのは。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。友里ヱさんだけどうしてそんな詳しいんですか? 事前に勉強してたとか?」
「あり? そっか、景君は私の素性を知らないんだっけ。女性はミステリアスな方が魅力的ですし? 今は教えなーいっと。いいですよね詠奈様」
「ええ。それは今関係ないから」
詠奈は頭蓋骨を二つ蹴飛ばすと、魔法陣を消さないように踏み越えて、窓から外を見遣る。お世辞にも眺めは良くないが、彼女は何を確認しているのだろう。
「…………友里ヱ。貴方はそれを、ちゃんとした形に整えられる?」
「ご随意に。命じられればやりますとも」
「貴方にしては随分とまた……いいわ、生存者に目指してもらうシナリオは大体出来た。後は調整ね」
ほんの軽い怪我なのに、俺はリビングで詠奈と休む事になった。彼女に膝枕をしてもらっている。身体中に切り傷を負っただけなのにちょっと大げさだ。聖の治療は適切だったのに。
「こうしていると、昔を思い出すわね。君と公園のベンチで同じ事をしたわ」
「ああ……あの時は転んだっけ。お前に傷口洗ってもらって、何でかこうなったよな……」
「胸が大きいのも考え物なの。君の顔が見づらいから」
「…………詠奈。聖は頑張ったんだから……あんまり、きつくしないでやってくれ。可哀想だよ」
「いいえ、私が買ったからには望んだ働きをしてもらうわ。それは君にも口出しさせない。価値を適正に見積もったのよ。それ以下の事をされたら相応の対応に変えるのは当たり前。誰だって持ち物が使えなくなったら腹が立つわ」
「せめて、挽回のチャンスを上げるべきだと思うんだ。ロシアンルーレットは禊としてさ、お前の評価を回復するチャンス。ちょっと前の失敗からアイツはお前を怖がるようになってる。みんな表に出してないだけで多かれ少なかれ恐れてるかもしれないけど、あれはちょっと駄目だ。あのままだと普段の働きにも影響が出る。負の連鎖はお前の望むところじゃない筈だ」
「…………頭に入れておくわ」
「詠奈。頼むよ」
「…………君に気に入られている事を幸運に思うべきね。分かった、約束する。チャンスは何処かであげるわ」
「詠奈様、景夜様と少し二人きりで話したい事がございます」
上下で見つめ合いながら静かな時間を過ごしていると、八束さんがいつものメイド服とは違って袴姿で現れた。驚いて思わず顔を上げると、詠奈の胸に額がつっかえる。
「むぐ……や、八束さん?」
「私に席を外せなどと命じるつもりではないでしょう。内容次第で聞かなかった事にしてあげるからここで話して」
「……心を無にする方法について以前尋ねましたね。今宵は良い月が出ています。教えられる機会としては絶好かと思いまして」
「え? ……あ、でもそれは、ナイトプールでその…………」
「欲を殺す手段は覚えておくに越した事はないと思います。一度はまぐわった仲として……お付き合いください」
詠奈の顔を見上げると、彼女は俺の瞼にキスをして首筋を撫でた。
「行ってきてもいいわよ。八束なら大丈夫」




