歓楽世界の女王
「今日は楽しい夜だったわね」
家に帰ってきた。今日撮影した写真は全て詠奈が用意したアルバムに保存される。俺の興奮剤に利用するらしいが扱い方がどう考えても種馬か何かのそれだ。だが『君より優秀な遺伝子を用意するだけなら幾らでも候補がいるけど』と言われて何も言えなくなった。俺が選ばれたのは合理的な側面からではないと断言されたのだ。
とはいえシャワー室と更衣室で暴れたせいで今更自分の欲求を抑え込むなんて不可能になってしまった。本能が渇く暇はあるのだろうか。流石に帰ってからはみんな疲れてしまって、早々に就寝準備を整えた。
詠奈は特に一番疲れており、今も目が殆ど開いていないばかりか声もふにゃふにゃで王様の覇気を感じられない。グラマラスなスタイルとは裏腹に身体は小さいので抱え上げて、髪を撫でる。
「んにゅ…………」
「こうしてみると、いつもは寝る前でもちょっと気を張ってたんだな。二人きりの世界なんだからいいのに」
かくいう俺も、少し眠い。難しい言葉は使っていないのに自分の言葉の意味があまり理解出来ない程だ。脊髄で喋っていると言ってもいい。さっきまで本能に従っていたから考える事を放棄する手段には慣れてしまったとも言う。
「その…………お互い初めてだったから、ぎこちなかったかもしれない、な」
「心は満ち足りているわ。男女のまぐわいとは身も心も満たせてこそよ。私は凄く気持ちよかった。根本的な相性はいいみたいね」
「…………なあ。違うならそう言って欲しいんだけど、もしかしてお前が買う女性の必須条件に処女ってあったりするのかな。全員、初めてだったぞ」
「女性の身体は立派な価値よ。ゲームだって新品と中古品では値段が違うでしょう? とはいえ、それは全くの偶然。処女自体をそこまで高く評価していないし、非処女でも有用な能力を持っているなら買っていたわ。ほら、彩夏なんて奇蹟も良い所でしょう。あの経歴なのに」
「それは確かに……」
あの人は、ただ客引きをしていただけにしては色気が凄かった。あんなにみんなへとへとだったのに唯一体格差で圧し潰す事も許容してくれたくらいだ。本当に客引きだけだったのだろうか。
「今日は本当に幸せだったわ。大好きよ景夜。これからもたっくさん愛を深めましょうね」
「―――ああ。俺も、もう多分我慢出来ないから。愛してるよ詠奈。ただ一人、俺の大好きなお嬢様」
「―――♪」
何度目か分からない、お休みのキスを交わす。こんな生活も悪くないけど…………詠奈があんまり可愛いから、段々腹が立ってきた。彼女の裸になんて安っぽい報酬をつけたのだろうアイツは。しかし考えてもみれば本当に安いので、恐らくあれは俺を嫌わせる作戦だったのではないだろうか。あのメモを証拠として詠奈に送りつける事で俺を嫌わせる……そう考えればケチな値段設定にも納得がいく。
計算違いだったのは俺達が同棲していて、今となっては男女の関係にもなった事か。
彼らが妄想の中でしか味わえない詠奈の身体を、俺は直接確かめた。えもいわれぬ優越感。見事な財宝だ。誰の手も届かぬ天上至宝の高値の花は俺にだけ手の届く場所を用意してくれた。所有物に過ぎない俺が言ってもおかしな事になるけれど、誰にも渡したくない。
そうだ、他の男子が寄ってくるのは好き嫌いもなく価値が低すぎて無関心だから、さも脈があるように見えてしまう事に由来している。絶対に脈がないと分かっているならもしかしたら諦めてくれるのでは?
自分がこんな独占欲を発揮するなんて思いもしなかった。昔から全く存在していなかったは言いすぎだが、その芽生えはいつも念入りに潰されていた。それが詠奈に引き取られてからようやく花開いたのだ。この得難い感情をきちんと説明する事は出来ないかもしれないけど、大事にしていきたい。
「愛してる」
その言葉は好きじゃなかった。かつて親が呪いのように言ってきた言葉だったから。
「愛してる」
或いは免罪符。それさえ伝われば何をしても良いと思っていたのかもしれない。
「愛してる」
そんな思い出とはおさらばだ。ここには初恋の人が居る。大好きな女の子がいる。理由はそんなものでいいじゃないか。
「愛してる」
口にすれば全てが嘘のように思えた言葉も、今となっては真実だ。これから捨てられようと殺されようと一向に構わない。それでも俺は彼女が好きだ。今までは流されるようにやってきたけど、心構えを変えた。
彼女が喜ぶなら、俺も望んでそれをしよう。
昨夜のパーティーから、俺達全員の関係は微妙に変化した。
厳密に変化したのは生活サイクルというか、各時間の配分だ。朝起きてから詠奈と触れ合う時間が殆ど倍になった。朝にシャワーも浴びるようになって、そこで二人の本能に火をつける。朝食を食べ終わって食後の休憩を挟んだら登校準備。制服に着替える僅かな時間の間に昂った本能を互いにぶつけ合う。
「んっ、あ、おっ、おっ、おほっ、んぅ…………!」
「詠奈、詠奈、好きだよ詠奈……!」
だから昨夜の俺が危惧した通り、一度選んだ選択肢はずっと選びやすくなってしまう。
そしてそれは、詠奈も同じ。
いやそれ以上に彼女は激化してしまった。
「景夜君ちょっと手伝ってもらいたい事あるんだけど」
俺が家で節操なくなったように、詠奈は学校で節操がなくなってしまった。彼女にとって最早公立学校は箱庭に過ぎず、お化けの噂を勝手に作って人の出入りを制限したトイレに俺を呼ぶ始末。プールの時間は言うに及ばず、クラスメイトとの時間を削ってでも、俺との時間を捻出する様になった。
「こ、これ大丈夫なのか……バレたら俺は停学喰らうと思うんだけど」
「そうならないように学校で他にこれをするカップルは証拠映像と共に先生へ渡しておいたから大丈夫よ」
自分は良いが他人は駄目。リスク排除の為ならば詠奈は平然とそれを行うし、そもそもの特権階級として当たり前の意識だった。ここまで徹底されるといよいよクラスの男子も詠奈には脈がないと諦めるようになるかと思われたが。
「最近さ、詠奈めっちゃ可愛くね?」
「分かる! なんか……前の三倍くらいエロい!」
「露出が変わった訳じゃないのに色気あるよなー! 詠奈似の女の動画とかねーかなー!」
「詠奈ちゃん。最近機嫌いいよね。な、何かあったのかな……?」
「彼氏でも出来たんじゃないのー」
「でも彼氏の方が自慢しない? 普通」
俺からすれば相変わらず無愛想だし、可愛いか可愛くないかで言うと元々可愛かったが、何やら傍から見ると噴き出したモノがあるようだ。それは色気であったり機嫌であったり良く分からないが。
「ノート? 別にいいけど」
「分からない所? …………いいわ、貸して」
詠奈も詠奈で無駄に気前が良くなってしまったので人気は下がるどころか上がるばかり。実際俺が彼女の要求に従うのは恐ろしく上機嫌になって年相応の女の子の顔が垣間見えるからだ。こうしてみると、王奉院詠奈も最初からああいう子ではなかったような気もしてくる。
因みに俺に彼女のヌードを要求してきた阿呆だが、案の定俺が渡す気配がないと知るとそれを逆手に取って好感度を落とす作戦に出た。しかし手書きのメモだった事が仇になり、彼の提出物とメモで警察による(出動理由は捏造)筆跡鑑定の結果真犯人として暴露。停学を食らってしまった。破り捨てた筈のメモを何故か直している辺り詠奈もこの事は想定していたようだ。
「恩恵に甘んじてる俺が言うのもなんだけど、流石にハチャメチャやりすぎだと思うよ」
「そう?」
屋上でいつも通りの昼食の時間。変わった事と言えば二時限目の休み時間に俺が下着を脱がせたのでスカートの下には何も履いていないという事くらいだ。
「学校という体裁が成り立ってない。完全にお前の遊び場だ。今更だけど、警察は勝手に呼ぶわ勝手に会社は倒産させるわ政治団体は破壊するわで、やってる事が町を作るシミュレーションゲームと変わらないぞ。もうどんな権力だよ」
「気になるなら私の事を調べてみる? 丁度この学校には図書室があるけど」
「絶対書かれてないよお前の事。千癒の書庫で調べるつもりだ、そっちにあるかは分からないけど、可能性はあるだろ。俺が気にしてるのは……こんな自由にやってたらその内暗殺者でも送られてくるんじゃないかって事だよ。俺も襲われたし」
「暗殺者を誰が送り込んでも関係ないわ。実行犯と後ろについている人間の権力を剥がしてしまえば無力よ。私がその心配をしていないのはこんな場所で昼食を摂っている事からも明らかでしょうに」
「…………そうだけどさ」
危機感があるのやらないのやら。足手まといは承知の上で、それでも詠奈の事が心配だ。何かできる事があればいいのに。
「―――何かしてあげたいって顔をしているわね?」
「……何で分かるんだよ」
「可愛いから良く分かるわ。それなら君にしか出来ない事を一つ頼みたいんだけど……大分先の話よ。文化祭があるでしょう」
「出し物なんてまだ案すら募集してないけどな」
「せっかくだから有志として映画でも発表しようと思って。パニックホラー辺りを考えているんだけど、協力してくれるかしら。敵側でも生存者側でもどっちでもいいわよ」