剱聖悪性金の花
「景君、おひさ!」
「友里ヱさん? 統率なんて珍しいですね。八束さんはまだ帰ってないんですか?」
「そそー。学校で友達と遊んでるみたいね。学生服着ちゃって気分は学生ですかよーっと。ねえ詠奈様っ」
「……俗世を知りたいと思うなら止めはしないわ。せっかく出来た友人関係がどんな風に続くのかも興味があるし、私から何か言う事はないわね」
八束さんの過去を知った後だと俺もいまいち賛同しにくい。じゃあ元々咎めるつもりだったのかと言われてもそういう事ではないのだが。あの人には過去も何もあったもんじゃない。詠奈に買われるという事は今までの人生を切り捨てる様なものだが、あの人だけは文字通り斬り捨てられていた。最初から、ずっと。
「さて、着替えを手伝ってくれるかしら。景夜」
「あ、ああ」
いつもの事だ。いつもの事だけど、興奮する俺がどうかしているのだろうか。寝室で制服を脱がせて、靴下を脱がせて……詠奈は面倒くさがっているような、俺の反応を楽しんでいるだけのような何とも言えない表情でそれをじっと見つめてくる。集中出来ない。
部屋着の白いドレスに着替えると、詠奈はベッドに横たわって目を瞑った。
「今日はナイトプールに行くから、時間まで眠る事にするわ。君はどうする?」
「ん…………ちょっと屋敷を歩いてようかな。でもその前に詠奈。一つ聞かせて欲しいんだけど……お前はどうしてあの人を買ったんだ? 彩夏さんと違って欲しくなる明確な理由があった訳でもなさそう……だけど」
「そんな事? 簡単な話よ。八束は私と似たような退屈を味わっているように見えたから」
「…………あの人は何もかも持ってるどころか何も持ってなかっただろ。お前との共通点なんて全然」
「あるわよ」
詠奈は身体を横向きにすると、枕の位置を直しながら俺を見つめた。
「あの子の本質は飢餓……満たされない欲求よ。いつからかはしらないけど、人を斬りたい欲求を膨らませているの。でもそれは現代では叶わない。勿論私が居ればただ斬るだけならどうとでもなるけど、強い相手との死合はどうしてもね。今までも試した事はあったけど、いずれも剣豪とか達人と呼べるような人は真剣の立ち合いを望まないし、強制したら本気なんて出してくれない。本気を出さなかったら……八束に斬り殺されておしまい。責めるつもりはないの。こんなの時代錯誤も甚だしいから……けれど私も、この退屈を凌ぐような動乱を味わいたかった。すぐそこに破滅が迫るような緊張感と共に生きてみたかったわ。そしてそれも何年も前の話。確かに全く同じとは言えないけど、私は最初から満たされていたせいで、あの子は満たされる機会が最初からなくて飢えてしまった。可哀想じゃない、そんなの。だから仮初でも幸せにしてあげようと思ったの」
「…………友達を許可したのもその一環か?」
「彼の事は事前に調べがついているわ。どうやら剣道部みたいだから波長が合うんじゃないかと思って見逃してるのよ。屋敷に帰るのも遅れているみたいだから今は何事もないのね。カラオケに行っているみたい」
「――――――」
能力を買われた彩夏さんと違って、根底には憐憫があるようだ。成程、八束さんが剣を持たなくなったのは諦観か。重ねてそこに詠奈への恩を感じたなら見る影もなくメイドに徹するのも無理はない。
「有難う。分かったよ」
「いいのよお礼なんて。その代わり―――ね?」
「ああ―――」
お休みのキスは、いつもしている。受け入れるように両手を伸ばす詠奈に招かれて、俺は押し倒すように唇を重ねた。今はこれでお別れ。詠奈は眠りについて俺は―――せっかく時間が出来たなら行こう行こうと思っていた書庫でも行くべきなのか。
「景夜さん、詠奈様と一緒じゃないんだ」
玄関ホールに降りると丁度横切る所だった獅遠とすれ違った。俺の隣に居るべき存在が居なくて、彼女は首を傾げている。
「詠奈は寝てるよ。俺はちょっと暇してるだけ」
「仕事あるけど、手伝う?」
「うーん…………手伝って欲しいなら手伝うけど、今回はいいかな。それより聞きたい事がある。昔の八束さんってどんな感じだった?」
「へ、八束さん? ……昔って私がここに来た時の事を言ってるんだろうけど、今と変わらないよ。それがどうしたの?」
「…………」
獅遠が知らないという事は、八束さんは彼女より前に買われたのか。今は何の情報にもならないがもしかすると詠奈の正体に近づくヒントになるかもしれない。だって……八束さんを買った樹海はここからずっと遠くの場所だ。何をしていた? どうしてその存在を察知出来た? 凄くお金持ちで権力者なのは何の情報がなくても分かるけど、じゃあどうしてお金を持っているのかどんな権力があればこうなるのか。俺はここが知りたい。
「…………いや、こっちはこっちで今はいいや。それよりごめん、やっぱ仕事手伝うよ。その代わり獅遠にも俺の事を手伝って欲しいんだけど」
「ん? 景夜さんがわざわざ頼るなんて珍しい。何に困ってるの?」
「詠奈について調べたいんだよ。この家に書庫があるからそこの本から何か情報が得られないかなって。なんかアイツさ、俺に調べて欲しそうだから頑張りたいんだ。千癒って起きてるかな? 起きてたら調べたいんだけど……」
「あー……千癒ちゃんね。どうなんだろ。仕事は後で済ませるからまずは確認しよっか。ついてきて」
書庫は三階にあり、管理者の水絹千癒の部屋は例外的にその隣だ。任された仕事は書庫の管理一つだけであり、殆ど姿を見せる事はない。何でも自分の意識に関係なく眠りに落ちてしまうらしいから、事実上の隔離措置を与えたとか。
だからお風呂なんかも個別で設置されている。大浴場に姿を見せない数少ない人間と言ってもいい。俺はいつも不安だ。そんな状態ならその内死んでしまいそうで。
書庫の扉は特別豪華で、書庫というか殆ど金庫だ。厚さニ十センチの鋼鉄製の扉の先にあるのが書物なんて誰が思う。歴史的に貴重な文書を管理しているんじゃないんだから。鋼鉄製の扉はファンタジーで見かけるような魔法陣があしらわれ、中世っぽくデザインされているが、別に魔法が書かれているような書物は見つからない……と思う。
「千癒ちゃん! 起きてるー?」
…………
返事がない。
「ただの屍って感じだな」
「こればっかりは仕方ないよ。せっかく景夜さんが訪ねてくれたのに不運なんだから……どうするつもりなの?」
「んー…………」
どうしよう。
行けるつもりだったので当てが無くなってしまった。何だか格好悪いので言い出せずにいたが、獅遠との付き合いもそれなりにある。見抜かれたように溜息を吐かれ、手を引っ張られた。
「しょうがない。じゃあ私と一緒に買い物でも行こっか」
「え?」
「八束さんが居ないから代わりにやらないといけないの。彩夏さんは厨房で忙しそうにしてるし。いいじゃん暇なら。ついてきてよ」
指を組むように繋いで上目遣いに俺を見上げる獅遠。断る理由なんてないどころか、思いついたそれは片っ端から全部嘘になる。
「……じゃあ行くか」
「んっ」
男手を頼るという事は十中八九荷物持ちだろう。獅遠は体格も小さいから納得がいく。外出にメイド服は目立つからと彼女は俺の高校の制服に着替えて来た。確かにこれなら怪しまれないが。
「高級食材ってそんな適当なスーパーとかで買える物なのか?」
「そういう食材は全部彩夏さんの領分だよ。それに、高いからって美味しい訳でもないからさ。今日買うのは主に二人に出す食材じゃなくて、私達の為の食材。いい物があったら二人にも出すけどね」
「へー…………」
ここに来るまでに車を使ったが、運転していたのは獅遠だ。よくもまあ警察に呼び止められなかったと今でも思う。事情を説明したら解放されるとはいえ、一番学生っぽくない行動である。
「さっき八束さんの事聞いたけど、何かあったの?」
「ん……ああ。八束さんは昔物騒な性格だったって聞いたから確認をと思っただけだよ。支倉の時は物騒だったけど。あれは仕方ないからさ」
「あの人が物騒って……本当? 詠奈様の命令が無かったら虫も殺せないくらい温厚だと思うんだけど。だって一番血も涙もない人って言ったら友里ヱさんじゃん」
「言い方よ」
「うーん信じられな………………」
不自然に言葉が途切れて、同時に獅遠の動きも止まった。何事かと視線の先を追うと、八束さんが友人関係になった男子と二人でアイスクリームを食べている。
「美味しい? 美味しいかな?」
「はい…………とても美味しいですね」
野次馬根性が出たというか。二人して思わず隠れてしまった。
「ちょ、ちょっといい感じじゃん?」
「うん。楽しそうだな」
本性と言う程醜い話でもないが、八束さんがどういう性格なのかを調べる絶好のチャンスなのか。俺に対しては詠奈補正込みでどうあっても優しいだろうから参考にならない。
「ちょっと……尾けてみようよ。景夜さん」