後腹が病める王の陰謀
「行け―! 頑張れー! 気合いだ! 今年は全然やれるだろー!」
「君は出ないのね」
「普通に考えて俺が出るのは出しゃばりだよ。陸上部とかそういう奴らが目立つ場所なんだからここは素直に応援だ」
選抜リレー。それは紅白それぞれの強豪を選りすぐって行われる本気のリレーだ。今までのがお遊びとは言わないが、走る事に青春を注いだ彼らの走りは一味も二味も違い過ぎる。障害物競争や借り物競争のようなルール的な不純物を用意されず、ただ早く走る事を求められているこの場所で俺が居ても足手まとい甚だしい。
騎馬戦で勝利したお陰でポイント的には大差がついた。ここで勝っても負けても勝負としてはどうでもいいのかもしれないが、勝利として気持ちよくないだろう。だから俺もみんなも全力。
終わりよければ全て良しという言葉がある。多少他の競技では負けたけど、最後のリレーで勝てたならそれはもう完全勝利と言っていい。
詠奈は俺が関与しないせいか興味を持っていなさそうだが最低限クラスメイトのよしみで手を振るくらいはしてくれる。それが男子の力になっているとも分からずに。
「陰謀論の関わらない体育祭は平和で良いわね。今度こそ成功したみたいで良かった」
「詠奈でも読み違える事あるんだなって分かって俺はちょっと安心したよ」
「あんな可哀想な頭の人の思考なんて理解したくもならないから。仕方ないのよ」
「……因みに実験ってのは、何をするつもりなんだ?」
「別に、何も」
詠奈は水筒に口をつけると、首にかけていたタオルで汗を拭く。
「陰謀論が存在しないのに、わざわざちゃんと実験する意味なんてない。ただ実験したように見せかけるだけよ。他でもない彼に」
「具体的には?」
「悪の秘密結社を演じるに当たって偽の資料やデータを造ってもらったわ。後はそれが見える場所まで彼をおびき寄せて眠らせる。皮膚の一部を切り取って、直ぐに戻すだけ。それ以外は何もしないの。でも彼にはどう見えるかしら」
「……自分が実験体になったように見える?」
「そうね。そうしたら彼、どんな反応をするかしら。もう関わるのはごめんだけどそれくらいは気になるの。自称目覚めた側の人間がお望み通り目をつけられて改造されたら……」
体育祭とは違う所で別の楽しみが発生しているようだ。肝心のリレーはどうかというと、普通に負けそう。頑張って応援しても勝てない時は勝てない。勝ちたいと思っているのは相手も一緒だ。去年までのポイントなら相手が勝利しても負けないのだが、運営が勝手にちゃぶ台をひっくり返す可能性まで考えるとどうしても勝っておきたい。
最終問題は一億ポイントのような手口は盛り上がる反面、よくよく考えれば今までが茶番だったと言われているに等しい。俺達から反感を買ったとしても白組は勝てるなら何でもいいだろう。勿論可能性だが、その場で盛り上がると判断されたらやりかねない。借り物競争で『最愛の人』なんて指定する運営だし。
「頑張れー! まだやれるぞー!」
口では何とでも言えるし、それが応援というものだが現実は非情だ。アンカーを務める選手の格差が酷い。
「いけいけー! まだ! 行ける! 走れえええええ! ああああ! ああああっ―――」
惜しくもなく、白組の勝利。
向かい側で盛り上がるクラステントとは対照的に、こちらの熱気は湿って燃え尽きていた。
「あー」
「何だよもう」
「強すぎだろ……」
「負けちゃったか……途中から分かってたけどさ。覚醒とか逆転ってそう都合よく起きないんだな?」
「騎馬戦は勝利したからその話は違うと思うけど」
「あれは……」
詠奈が自分を投げ捨ててまで応援してくれたお陰で俺のやる気が漲っていたのと、あの応援に全員が困惑してそもそも最初からこちらが優勢だった事が大きい。最初から俺達が有利になった状況でそのまま押し切っただけだ。逆転ではない。
「後は最終得点発表と表彰式と閉会式か。長いと思ってたけど終わってみると一瞬だな。熱中してたからかな」
「私は永遠に感じたわ。出来れば一刻も早く君の脳内から今日の事を消したいくらい」
「え?」
そんなにチアガールが恥ずかしかったならやらない方が良かった筈だが……まさか詠奈ともあろう人間がその場の勢いで約束を取り付けたとでも言うのだろうか。それにしては自分と思わせない偽装工作が偉く周到だったというか……影武者の子は何処へ消えたのだろう。
「詠奈。影武者の子は帰ったのか?」
「あれは姉だけど」
「え!?」
「冗談よ。もう役目は終わったから帰らせたわ。何処か偽物として致命的なミスでもしていたかしら。確かにスタイルは結構違うというか、服で誤魔化せる範囲だと思ったから手を加えていないけど」
いや、何で嘘を吐いたし。
「……流石に用意してあるんだな。暗殺対策みたいなのって」
「そういう目的で運用はしないわ。以前も言ったように私は君以外に命をあげる気はないの。ああ、例えば君がもしも複数人でのプレイを想定していて私が二人欲しいという事だったら運用しても……」
「そ、その運用は間違ってるんじゃないかな」
体育祭は既に終了ムード。俺達紅組の勝ちが揺らぐかどうかは運営次第だが選抜リレーで負けたので空気感はあまり良いとは言えない。アンカーを務めた奴なんか、泣いている。多分敗北したっぽく見えるのはそのせいだ。
「少し名残惜しいけど、終わりはいつか来るものね。みんな疲れているみたいだけど、私達だけはちゃんと式に付き合いましょうか」
「終わりはいつか来るもの…………か」
俺と詠奈の関係も、いつかは?
そんな不安を悟ったように彼女は追って口を開いた。
「地獄の沙汰も金次第というでしょう。死が二人を別つまでなんて言わないわ。私達の式では………………そうね。なんて言わせようかしら。今から考えておかないと」
ちゃぶ台返しはなく、紅組が無事勝利した。素直に喜べないのは最後のリレーに負けたからだ。むしろ僅差で敗北した白組の方がいかにも勝利をしたような盛り上がりを見せている。終わり良ければ総て良し、俺達は良くなかった。
「ま、まあでも勝ったし……片付けようよ」
生徒の自主性を重んじる校風につき、体育祭後の片付けも生徒が行う。丁度その時だ。裏門から鹿野崎のクラスメイト達が戻ってきたのは。担任は見て見ぬ振りをするしかないが、一方で消えていた事を咎めない訳にもいかない。生徒からすれば印象最悪な怒鳴りを上げたが、彼らはまるでそれどころではない様子。
「先生助けて! 鹿野崎がゾンビになっちゃった!」
「…………は?」
きっと向こうの担任も同じような反応をしたに違いない。聞き入れてもらえないと判断したクラスメイト達は体育祭の残骸を通過するように校舎へと逃げ込んでいく。女子は殆ど泣き出しながら、男子は取り乱すあまり失禁する者もいたが逃げる方針は一致していた。
「へえ」
「詠奈……?」
「突然だけど景夜君。人間は思い込みで死ねると思う?」
「おう本当に突然だな。思い込みで死ぬ…………無理って言いたいんだけど。その言い草だと出来そうだな」
「ええ、可能よ。情報を制限するの。そして言い聞かせる。これはナイフだ。これは貴方の血だ。流れているんだ。要領は同じ。目覚めたというより悪夢に囚われたような頭に都合の良い情報を言い聞かせるの。思い込むのは最初から得意なんだから、こうもなるでしょうね」
「ウバアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
裏門から走り込んできたのは舌を出しっぱなしにしながら焦点の合わない瞳を揺らす鹿野崎と宗山の姿。決して変わり果ててはいないがあまりにも正気ではない走り方と表情だ。鹿野崎の担任が二人を止めようとするが―――正に言葉通り、ゾンビだ。二人は揃って担任の首筋に噛みついてその場に押し倒した。
「うお、おま、があああああああああああああ!」
「きゃああああああああああああああああああああああああ!」
保護者に連れられて逃げ帰る生徒もいる。小さな子供も泣いている。てんやわんやと言うしかない状況はまるで映画のパニックホラーのよう。勿論ウイルスなんて発生していないが、手当たり次第に人に噛みつく彼らをゾンビ以外の何と表現しようか。
「いや、いやいやいや! 何もしてないは嘘だろ! 思い込みでああなるのかよ!」
「何も科学的に特別な現象は起きていないわ。思い込んだ人間が身体から電磁波を発しているとかなら、分かるけど。彼らは自分をゾンビだと思い込んで噛みついているだけよ。理性が邪魔をしているだけで、噛みつくだけなら誰でも出来るわ」
「だからってああなるのか!?」
「体育祭が終わるまでの時間、どれだけ偽の情報を見せたと思っているの? 如何にもなサーバー室、いかにもな資料の塊。目覚めたというのは自分が特別であると思い込んだ証拠。彼らにとってはあのあり方が真実なの。まさか毒されてもう一人ゾンビが増えるとは思わなかったけど」
言いつつ呑気に片づけを継続する詠奈の神経はそれこそ麻痺でもしているんじゃないかと思う。ゾンビのような感染はないにしてもあれは危険人物だ。直ぐに離れた方がいいのに、動こうとしない。
「取り敢えず俺達も逃げよう! 警察動かして逮捕してもらえばいいんだ!」
「大丈夫よ。ゾンビは手当たり次第に人を襲うんだから私達の所へ来るのにはまだ時間が―――――」
そんな風に余裕を見せる詠奈が横から攫われるなんて、俺も予期していなかった。
「えっ、ちょ!」
反射的に手が伸びたが、それを抑え込んだのは宗山ゾンビだ。勢いよく突っ込んできて俺を押し倒すなり、首筋に噛みつこうとしてくる。
「ウバアアアアアアアガアアアアアアアアアアア!」
「ちょ! おいお前まで落ち着けよ! 何を見たんだって! 目を覚ませ! ゾンビなんかいない!」
手で顔を押しのけようとしたのは逆効果だ。指に噛みつかれた。しかもこれは人間の理性が出せる咬合力じゃない。間もなく噛み千切られる予感がして、怖気が走った。
「いたいたいだいだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだ!」
反転した視界には遠ざかっていく詠奈と鹿野崎の姿。俺に向かって手を伸ばしている姿が見える。助けに行かないといけないのにコイツが邪魔だ! 両手を口の中に入れて力ずくでこじ開けると、体勢をひっくり返して膝蹴りを一発。怯んでいる内に後を追う。
「詠奈!」