金と権威の姫君と世界征服の法
「詠奈って体調悪いのか?」
「いや、ちょっと出歩いてるだけだよ。参加する競技は全然先だしな」
何せ俺も行方を知らないので答えようがない。「知らない」と言う方が誠実なのだろうが、それを言い出せば好感度を稼ごうとクラスの男子が散り散りになってしまうだろう。それは単純に体育祭にも迷惑だからこう言うしかなかった。
―――俺だけが気づいてるっぽいな。
鹿野崎のクラスの様子がおかしい。どんどん人が居なくなっている。何処に行っているのかは担任が見て見ぬ振りをしている時点で明らかだ。みんな黒服の動向を探りに行ったのだろう。
「うおおおおおお! いけいけいけ! 行けるって! 勝てえええ!」
「鷹成君がんばー! きゃーーーーーー!」
俺達のクラスはこういう催しに限っては至って真面目というか目移りしないというか、体育祭の熱気に呑まれてそれどころではなさそうだ。学生として学校行事に夢中になるのは素晴らしい事だと思う。俺だけが気づいている状況は、言い換えれば俺だけが集中出来ていないという事でもある。
詠奈がその気になればみんな殺してもお咎めなしだが、彼女はよっぽど自分に都合が悪いか相手を無価値と判断しない限りそんな事をしない。何というか、本当の意味で命に無関心なのだ。
お金に無関心という人が居るなら、じゃあその人は金を乞われたら渡すのかと言われたら渡さない。関心があるのではなくあげる理由がない。あげない理由もなくあげる理由もないなら手間がかからないからあげないに決まっているだろう。貰えたら嬉しいし貰えなくても別にいい。無関心とはそんな感じで、詠奈の場合それが命だ。
殺さない理由も殺す理由もないなら手間がかからないので殺さない。
「…………」
競技では紅組が比較的優勢に見える。勿論選出メンバーが優秀というのはあるだろうが、やはり白組―――鹿野崎のクラスから不在者が続出している事が大きいように思うのは俺だけか。競技を見るに先発の一年生で抜けた身体能力が多いのはあの組だ。一年生が関与しない競技ならどうでもいいが、そんな競技ばかりではない。
「あーくそ! ビリケツかよ~」
「次って騎馬戦だよな。ポイント偏重してる」
「おうよ。だけどまあうちは騎馬戦万年敗北者だからな……ここまで有利っちゃ有利だけどどうなるやら」
「やっぱり戦略立てた方がいいんじゃないか? 去年騎馬戦負けたのって全員で突撃したからだろ」
「いーや突撃して圧倒するのが最適解なんだよ。いつもはなんか運が悪いだけだ。今回こそ勝てるぞ」
「情緒不安定かよ」
言っている事と事実が違うのはどういう理屈だろう。作戦が間違っているから負けるのではという危惧に対して不合理極まりない。こんな調子なら今年も敗色濃厚だ。俺は貧乏くじを引かされて騎馬の上でハチマキを取る役目を承った。普通なら詠奈の好感度を稼ぐチャンスとして取り合いになると思うだろうが、勝率の低さがそれだけモチベーションの低下に繋がっている。だから俺も貧乏くじ。
「景夜ー! 今回負けたらお前のせいだからな! 気張れよ!」
「騎馬だけにか」
「…………」
「悪かったよ」
「よーし行くぞお前ら―!」
騎馬戦で負けて悪いのは俺なんておかしな話だ。悪いのは騎馬だろう。俺一人じゃ動けないのだから。こういう責任の押し付け合いも俺達が勝てない原因かもしれない。
騎馬戦が憂鬱だ。意思疎通も取れていないのにどうやって勝てばいいのやら。
「お、詠奈帰って来たじゃん。いやーでも帰ってこない方が良かったんかなー」
「え?」
クラステントの方を見遣ると、確かに詠奈が戻ってきて…………いや、いやいやいや。
「頑張ってー」
声は同じだけど。一挙手一投足にも不審な点はないけど何かが違う。そうだ、首筋にあるホクロだ。夜、いつもキスしてる場所にあるような特徴を見逃す筈がない。ホクロなんて簡単に消えるようなものじゃないし、それ以外が詠奈と同じという事なら、ただその一点が彼女を詠奈ではないと思わせる。
―――か、影武者?
チアガールになるとは言ったが、そこまでしないといけないのか? 少々大袈裟な気もするけど……これが彼女の努力なのかもしれない。自分の影武者を置いておけば普段の彼女からはあり得ない恰好をしていても王奉院詠奈本人だとは思われないって?
「フレー! フレー けーいーや!」
小難しい事を考えられたのもそこまでだった。今度こそ聞き覚えのある声に俺だけが総毛だってしまう。同じ声だと男子も気付いている筈だが、しかし王奉院詠奈は確かにそこにいるので、本人とは思わないのか。
ていうか。応援って本当に俺だけを応援するのか!
詠奈は特徴的な長い髪はポニーテールのままに、赤を基調としたへそ出しの衣装を身に纏ってぴょんぴょん跳ねまわっている。胸のすぐ下までしか隠れていない衣装が激しく揺れるそれを強調しているようだ。
スカートはどんなに校則を軽視している女子よりも短く、ずっと凝視していたらパンツが見えるのではないかという程―――厳密には俺はそんな期待よりも普段はお風呂でしか見る事のかなわない鼠径部を丸出しにしている事が驚きだ。釘付けなんてもんじゃない。この世で詠奈の鼠径部より煽情的なものはないというくらい見惚れていた。
「頑張れ頑張れ景夜! 今年は勝てるよー! 景夜のカッコイイ所見てみたーい! やっちゃえー!」
「…………!?」
ちょっと待って欲しい。詠奈にしては陽気すぎる気がする。ではクラステントの方が本物? そんな訳ない。だってホクロの位置が違う……けど、じゃああの子は?
沙桐景夜ただ一人が応援されているという状況にうちのクラスはおろか、白組の方までもが困惑している。先生は多分事情を聞いているから止められない。という事は―――やっぱり本物!?
にわかには信じがたい。こんな事があっていいのか。
『いやー熱狂的な応援ですねー。それでは初めて行きましょう。今年こそ紅組は勝てるのか! それでは位置についてーーーーよーい、スタートです!』
「おいお前等! 当初の作戦通り全員突っ込むぞ!」
「は! え、え、あ、ああ!」
そう、チャンスは今しかない。詠奈の全力応援にほぼ全員が気を取られている。あの生徒は誰なのか、何で俺の応援をしているのか。三年生が俺の事なんて知る由もないだろうが、それでも特定個人を応援するチアガールと止めない先生の光景は奇妙に映るだろう。事実動きが鈍い。ならば畳みかけるしかない。
「お前等今回は勝てるからな! マジで頑張れよ! 俺に貧乏くじ引かせたんだからさ!」
騎馬戦で重要なのは上に乗る人ではなく騎馬を作る足だ。そこが脆いとそもそもまともに動けなくて話にならない。だからこういう状況であっても俺はクラスメイト頼りだ。全てはそれ次第。
「詠奈が! 見てるんだぞ!?」
男子を奮起させる魔法の言葉。その意味はきっと俺とは違うだろうけど、勝ち目がある状況なら有効に働く事は間違いなかった。俺の読みという程でもない考えは容易に的中し、男子のボルテージは一気に最高潮に。偽物詠奈に向けてガッツポーズをする男子も。
「「「「「行くぞおおおおおおおおおおおおおお!」」」」」
下心で団結する男子。内情は最悪でも勝てさえすればそれでいい。俺は詠奈に応援されている。絶対に負けられない。下心でも何でもいいじゃないか。俺はアイツの期待に応えたいんだ。メイドの皆にかっこいい所を見せたくなったんだ。
秘密結社とか陰謀とか、政府の実験とかどうでもいい。
俺にとっては、詠奈の存在が世界の全てなんだから。
らしくない応援。らしくない熱中。
元からこんな光景を想定していたかは分からないけど、詠奈のお陰で俺は勝利出来た。途中から応援は聞こえていても周辺の事など分からなくなって、ただ目の前の鉢巻きを取る為に全力を尽くしていた。
騎馬戦が終わってクラステントに戻ると詠奈が座っており、戻ってきた俺を歓迎するようにウィンクをした。
「勝利、おめでとう」
首筋にほくろ、本物だ。いや、チアガールが何処ぞへ消えていたから分かっていた。いつ入れ替わったのかは試合に集中していて気づかなかったけど。滅多に勝てなかった種目を取り切ってクラスは大盛り上がり。担任も喜びを隠しきれていない。
「詠奈、お前…………」
「…………」
見つめていると、彼女らしくもなくみるみる顔が赤くなっていく。遂には目を背けて、その場に蹲ってしまった。
「……は、恥ずかしいから……詳しくは聞かないで」
「…………帰ったら聞かせてもらうからな、嫌でも」
「うう、う。なんて恥ずかしい事を…………」
あの無愛想が容易く崩れるくらいには、はしたないと自覚があったようだ。それがあんまりにも可愛いから―――本当に、思わず。生理的に。痛いくらいに興奮してしまった。それで俺も思わず手で抑えて―――気まずいから視線も何処かへと飛んでしまう。
鹿野崎のクラスの生徒が居なくなっている事に気づいたのは、その時だった。
「え、詠奈。そ、そう言えば向こうのクラス」
「……ああ。あ、ああ。向こうね」
平静を取り戻そうと話に乗ってきてくれた。赤くなった頬を手団扇で冷やしつつ、彼女はつまらなそうに呟いた。
「実験体がそんなに見たいなら自分達の身に思い知ってもらおうと思ってね」