一押し二金三男
「…………有難う、少し落ち着いたわ」
「それはいいんだけど……し、下の方も拭かせる意味はあったのか?」
「私が汗の一つも掻いていなかったならそれでもよかったけど。蒸れていたの。本当はシャワーの一つでも浴びたいけど、それは家に帰ってからでいいわ」
テントは広く、俺達四人が座っているくらいなら何の問題もない広さを誇る。体育祭的には浮いた拠点だが、黒服があまりにも目立ちすぎるせいでさほど問題視されていないのは幸運だ。そんなつもりで派遣された訳ではないだろうに。
「それではお二人共、お弁当をどうぞ?」
「お、待ってました!」
「八束、団扇で私達を扇いで」
「畏まりました」
空調や扇風機を使うから普段は気にしていないが団扇の涼しさも中々素晴らしいものがある。本当に心底暑いからかもしれないが、あるなしではまるで違う。打ち水のようだ。
「今回のお弁当はお昼休憩の最中という事でお二人の疲労も事前に考慮させていただきましたっ。食べやすいような工夫を施しておりますので、どうぞバクっと行っちゃってください!」
「へえ…………じゃあこのつまようじ付きのトンカツやタコさんウインナーはそういう事なんですね」
「たまには庶民的に作りたかったんですよ~。詠奈様に差し上げたお弁当も何の変哲もないサンドウィッチですからねっ」
美味しそうに食べる―――というか実際美味しい―――俺を見て彩夏さんは嬉しそうにニコニコしている。詠奈は特別感想もなくサンドウィッチを頬張っているが、そちらはそちらで美味しそうだ。何の変哲もないとは言ったが使った食材の質に関して今更落とす理由もないだろう。色物というとレタスや卵に挟まれて丸ごとウインナーを使った豪快な物もある。
「そう言えば秘密結社を呼ぶ作戦は失敗だったな」
「…………少し甘く見ていたわね。どうしてあそこまで私に執着するのかが今いち理解出来ないわ。ちゃんと世界観に沿ってあげたのに」
「単にお前が好きなんだと思うけど……」
「詠奈様がご命令とあらば代わりに撤収させますが」
「それじゃまるで私が失敗したみたいね……事実そうなのだけど。やり方はまだ残っているから良いわ。政府の実験体が居るという話に乗ってあげる。午後は私、競技を殆どパスしているから行方を晦ませればあんな事は起きないわ」
「primus machinaを頼りますか?」
聞きなれない単語。日本語ではないから聞き取れないし、聞き取れたとしても意味が分からない。何て言った?
「必要ない。午後には景夜君の一大イベントがあるもの」
「…………何の話をしてるか分からないけど、行方を晦ましたらみんな心配するぞ」
「チアガールになるのだから、準備しないといけないでしょ」
そういえば。
そんな約束をしていたし、俺はそれがあったから設営を頑張ったのだった。すっかり忘れていたと言ったら変だけど、やっぱり詠奈がチアガールになるなんて想像もつかないから勝手に流していた。
「ほ、本当になるの?」
「約束は絶対よ。個人に限らず、会社も国も約束を破るような所は信用されないわ。やると言ったらやるの」
「お、応援してくれるのか? 大声で?」
「頑張る」
「…………」
「ミニスカートなんてはしたなくて恥ずかしいけれど、君の為なら頑張るわ」
「いや……それは嬉しいんだけど……お、応援するって事は他の皆にも見られるって事だろ。それはちょっと……やだな……合間の応援団は全然健全だったから何の問題もなかったけどさ」
「そこは私も努力したけどどうにもならないわね。でもいいの、君を大っぴらに応援出来るならそれで。期待していてね?」
そう言われたら期待するしかないけど、やっぱりちょっと面白くない。詠奈は俺の為に頑張ってくれているのにそれを他の人に見られるのは何だか……感情は説明出来ないけど、強いて言えば面白くない。
だが忘れている事という点に関連してまた思い出した。
「そうだ八束さん。貴方と友達になりたいって奴が居るんですけど、友達って欲しいですか?」
「…………友達、ですか。景夜さんに話しかけるという事はここに在籍する生徒ですね。私はここに在籍する者ではございませんので……」
「私は八束ちゃんがいいなら友達になっても良いと思いますよっ? 害がある訳じゃないんですから、あるなら縁を切ればいいんですし!」
「…………何だか乗り気じゃないんですね。詠奈を気にしてますか?」
「―――いえ、そういう訳では。せっかくのご提案ですから一度受けてみようと思います。その人の名前は??」
「知らないんですよね……それが。体育祭の中をほっつき歩いてたら向こうから来ると思います。八束さん目立つし」
「分かりました。後で意味もなく散策しようと思います。確認ですが詠奈様を困らせている人とは無関係ですよね」
「無関係……っていうかアイツと関わりたい人ってそんな居ないと思いますよ。つき纏われたら誰だって迷惑っていうか、彩夏さんも迷惑ですよね?」
「うーん。付き纏うのは効率的じゃないと思います。私だったら好きな人は閉じ込めちゃって、自分以外出会えないようにしますからね~。迷惑と思うとか思わないとかじゃなくて、非効率だなあって思っちゃいます」
「いっそ詠奈が買って処分すれば……でも、ゴミを引き取るようなもんか」
「私は安い物は買わないわ。安物買いの銭失いと言うでしょう。向こうから打診するならまだしも、邪魔だからってそんな真似はしたくないの。君があれを気にする必要はないから、余計な事は言わなくてもいいわ。何故わざわざ秘密結社を用意したのか。世界観に付き合う為だけじゃないの」
詠奈は水筒に口をつけると、すっかり熱のひいた顔を向けてウィンクをした。
「今年は既に八千億も支援しているのよ。ちゃんと役立ててくれないとね」
テントの中は別世界だった。空間を区切っているのだから当然で、外の状況など自宅のように気にならなかった。詠奈と一緒にマッサージを受けたり、みんなで写真を撮ったり。誰もここを訪ねては来なかったし、また俺達も気にしなかった。お互いが居ればそれでいい。少なくとも家に帰ってからはいつもそんな生活だったし。
「じゃ、俺はそろそろ行くよ。詠奈は着替えるんだろ」
「ええ。頑張ってね」
「隠れて応援してますよ~!」
「頑張ってください」
頬に八束さん、首に彩夏さん、唇に詠奈のキスを受けて俺は外の世界へと戻った。休憩が終わるのは残り十分後の事。既に休息を終えたクラスメイトもテントに戻りつつある中で、異変を察知する。
黒服の男たちが集って、何やら話し合っているのだ。少し遠くには隠れてその様子を見る鹿野崎の姿。黒服達の中心には宗山が尻餅をついていた。
―――ど、どういう状況だ?
関わらない方が良いと言われたから様子を見る事しか出来ない。宗山は担ぎ上げられたかと思うと、そのまま無抵抗に校外へ連れ出されてしまった。
「え……え?」
鹿野崎が黒服の男たちの後ろをついていく。バレていないつもりだろうか。更に後ろに黒服が居ると教えたらどんな反応をするのだろう。あまりにも目立つ不審者の存在は他の人を不安にしたものの、先生は恐らく不干渉と言われているし宗山は無抵抗だしで、不穏な気配を残したまま終ぞ行動は発生しなかった。
鹿野崎のクラスを除いて。
向こうは何やら騒がしくも先生に抗議をしており、その関心は露骨に黒服に移っている様子。連れ攫われた宗山(一年からは知らない人だろうが)と付いて行った鹿野崎を指さしている辺り―――陰謀論に思考が染まったの、か?
概ね自分の正しさを証明しようとした鹿野崎が皆の見ている所で黒服と接触しようとして―――その過程で宗山を囮にしたのだと思う。先生は何も言えまい。詠奈には警察も逆らえないのだから一教師が逆らえる道理もなく。
「…………」
一先ず厄介の根源が遠くへ行ったのだから問題は解決したが。
「おーい景夜ー! んな所で突っ立ってるとあちいぞー!」
「あ、悪い。すぐ行く」
体育祭とは無関係に、嫌な予感がしてきた。