人間万事金の世の中
体育祭当日は遂にやってきた。
昨日のあれこれは今日という日の為の準備に過ぎない。保護者観覧が許可されるのは受け付けが開いた後だ。生徒はもう少し早くグラウンドに入って開会式の為に整列しなければならない。
「…………だから俺達も早く行かないといけないと思うんだ。用事があるなら早めに頼むよ」
鹿野崎でもなければ宗山でもない。見知らぬ男子に呼ばれて非常に困惑している。いや、あの二人に呼ばれてもそれはそれで非常に困るけど、単純に厄介ごとの種が増えるという意味ならやっぱりこっちの方が困る。
「た、単刀直入に聞くな? クラスも名前も良く分からないけどお前が仲良しな女子居るだろ?」
「クラスも名前も………良く分からない? 何その、化け物は」
「背がすっげえ高い子だよ! 居ただろ!?」
「ああ、八束さ……八束ね。それがどうかしたのか?」
彼女より背が高い女子はうちの学校には居ないし、男子でもほんの一握りというくらいの高身長は、印象付けるには十分すぎる。クラスはともかく名前は体操服に書いてあったから単純に読めなかったのだろう。
男子は後者の裏まで連れ出してきて何をするつもりかと思っていたが、しかし、いやまさか土下座をするとは思わなかった。
「頼む! あの子を俺に紹介してくれ! すっげえ好みなんだよ!」
詠奈に近づく為に俺と友好的になろうとする奴は多く居る。それについては俺も逆の立場なら同じ様にしたかもしれないから気にしていない。そもそも大きな勘違いがあって、詠奈は俺の友達だからって価値を多めに見積もったりはしない。彼女が見るのは飽くまで本人の現在の価値。だから俺を踏み台にすれば近づく事だけは簡単だけど、それ以降は何もない。詠奈の目を引くような技能や立場がないと。
……まさか八束さんで同じ状況になるとは。
美人だから分かるし、クラスに来た時はそこで似たような事になったけど。体育祭にまでなってまた起きるか。
「あのひ……背が高い子が好きなら他にも居るだろ。それともあれか? 詠奈よりは脈ありだって?」
「そう! そうなんだよ! 詠奈はライバルも多いし―――俺、なんか分かるんだよ。アイツって男にかっこよさとか求めてない気がする。かといってじゃあ何を見てるのかって言われても分かんないんだけどさ。でも聞いてくれよ、八束ちゃんが脈ありって証拠をよ!」
「あー」
手短に終わらない。彼がそう思った理由だが一々聞く義理もないのでざっくり脳内でまとめてみると、設営全体の手伝いをしていた時にたまたま遭遇して、良くしてくれたそうだ。普段がメイドの振る舞いだとどうしても詠奈の関わらない所ではそれが親切として表に出てしまうらしい。彼曰く自分は女性に縁がないとの事だったが、八束さんは優しくしてくれたからきっと俺に気があるのだと。
―――あの人は誰にでも優しいんだけどなあ。
詠奈に無価値と認められた存在は除く。とはいえ真実を教える訳にはいくまい。八束さんとは詠奈と同じように友人関係を表向きに継続していきたいというか、あの特異な関係性をバラすと面倒になるというか。
「お前はどうせ付き合ってないんだろ!? だったらいいじゃんか! 紹介してくれよー!」
「あーうーん。今日来るみたいだから聞いてみるよ。聞いてみるだけだぞ」
「うおおおマジか! ちゃんとクラスも聞いておかないと!」
――――――っていう事があったんだ。
そこまで説明を終えると、詠奈は隣の椅子に座って首を傾げた。開会式を終えると生徒は一度テントに戻る。椅子は出席番号順に並べるのが通例だったが、詠奈が校長に圧力を与えたから順番は都合よく詠奈と俺が隣り合うように組み替えられている。
「それは……別にいいのだけど。私に聞く事ではないと思うわね」
「え? でもお前が御主人……」
「確かに八束は私のモノだけど。何処かの誰かさんとは違って交友関係にまで口を挟むつもりはないわ。友達になるかならないかはあの子の意思次第。その質問は改めて当人に聞いてくれるかしら。尤も、『あの子が欲しい』と言い出したのなら話は別よ。その時は私にお願い」
開会式が終われば受付が始まる。どさくさに紛れて彩夏さんや八束さんが来る一方で、あからさまに悪目立ちしているスーツ姿の人間が何人も入って来た。サングラスと黒服の組み合わせは映画以外で中々見ない組み合わせだ。耳についているのは通信機だろうか。
何にせよこんな都会とも言えないような高校の催しに訪れるべき服装ではない。俺だけに見える幽霊という訳でもなく、既に保護者も含めて多くの生徒が気づいて、一部は怖がっていた。
「な、何だ何だ?」
「君もあまり関わらないでね。あれは秘密結社の人だから」
「え? 秘密結社? 秘密結社? 秘密結社…………っていう設定?」
「設定ではなくて本当に秘密結社なの。名前は怪しいかもしれないけど世界征服なんて目指したりしてないわよ。秘密結社というのは活動内容やメンバー自体が秘匿されてるような組織の事で……善も悪もないわ。君に教えるのも本当は駄目なんだけど、資金援助してるのは私だし特別にね。今回は景夜君が勘違いしたようなコテコテの悪の組織を演じてもらうように頼んであるからあんな格好なの。出来るだけ触れないであげてね。みんな困惑しているから」
「あ、ああ…………」
鹿野崎対策とはこれの事か。本物にデタラメを演じてもらえれば彼の世界観と合致して更におかしな挙動を見せるようになる。だが詠奈とは一見関連性がないからどれだけおかしくなっても被害は及ばないと。
「―――因みに本当の活動内容って」
「君に教えても意味がないわ。さ、話はここまで。最初の競技は借り物リレーで、君も出場してたでしょ? いつでも行けるように準備しておかないと」
「…………行ってくる!」
参加する男子の多くは―――特に詠奈を知る奴は、彼女の好感度を稼ぐ為に走る。俺もその内の一人だ。部活に入っていない分の差はあるが、昨日は沢山練習をした。詠奈組の女子もグラウンドの中心に向かう俺を見て手を振ってくれている。まるでモテモテの人気者だ。その殆どが知り合いの仕込みと知る人間は居ない。俺も調子に乗らないように。
「うわあ! あ、あ、あ、あ、せ、政府の人間が遂に…………そんな。どうして今になって姿を!」
「あれって政府の人間なのか……? いやまあ、怪しいけどさ」
宗山と鹿野崎も出場するようだ。二人は俺と違って競技の事など頭から抜けている。校庭の外側を囲うように並ぶ黒服を見て恐れていた。
借り物競争。
それは人間自体の能力差をある程度カバーする為に運要素を取り入れたレースであり、余程の幸運に恵まれているなら陸上部に勝つ事も不可能じゃない。不正を防止する為、借り物について指定された紙は箱の中からランダムに取り出される。
「頑張ってね」
「え?」
紙を置いた女子がすれ違い際に声を掛けて来たような……気のせいではないが、俺に向けられたかどうかは分からない。雑念は止めよう。俺は最善を尽くすだけだ。
「僕の推理はこうだ! 目覚めた人間がどれだけ居るかの把握と、政府の人体実験を受けた人間の性能検査を兼ねている! じゃなきゃこんな大がかりな事はやらないって! そうだろ?」
「まあでも確かに……ちょっと声掛けてみるか?」
「やめてくれ! そんな事したら死んじゃうよ! 宗山はまだ気づかれてない筈だ。自殺行為はやめるんだ!」
昨夜より、宗山は陰謀論的な考えに染まってきているようだ。あまり強く否定しきれないで呑み込まれつつある。車内テレビでは雲が発生する度に消える異常気象に誰も彼もコメントしかねる状態だったっけ。この地域だけが不自然に晴れるから、雨雲レーダーを見るとまるで雲がここを避けているように見えたり。
そんなトンデモ事実とデタラメが混在しているから、仕方ない所はあるのか。まさか天候兵器なんて、それこそ価値観がおかしくないと思い至らない。
「位置について、よーい、ドン!」
空砲が鳴り響くと、耳がおかしくなりそうだ。開幕は一年生からスタート。これもある意味運だ。出場する後輩の足がどれだけ早いかという問題になる。
「紅組頑張ってー!」
「行ける行けるー!」
二年G組こと詠奈組の応援は周囲の空気に溶け込んでいる。見るからに浮いた出で立ちの黒服が大量に入ってきたのも怪しまれない要因だろう。詠奈はクラスの女子と適当に会話をしながら俺の出番を今か今かと待ってくれている。あんなにやったんだ。絶対にいける。後は運勢だ。
「…………」
順番が来た。イメージトレーニングを済ませておこう。一人の負担はグラウンド一周。その半分に借り物を指定された紙があるからそれを持って走っていく。不正がないようにゴール後に運営が紙を確認して違反がなければ順位確定だ。
バトンを受け取りながら走る練習は去年もやったし今年も授業の合間に行われた。借り物の都合上バトンの代わりにハイタッチをするのだが、それならまず失敗はしない。
「―――来い!」
スタートダッシュは上々。というか俺の直前の子はどうも足が速いようだ。一人陸上部みたいな体型の子も居たのにぶっちぎって俺に順番を繋いでくれた。
「後は任せましたよ」
返事をする暇もなく走り出す。そうだ、これくらいのアドバンテージがあれば借り物が最悪でもまだ可能性はある。俺の足は特別速くもないし遅くもない。命運を左右するのは借り物。背後の気配を大袈裟に感じ取りながら紙の手前で減速。髪を翻して、指定を見る。
「………………!」
まっすぐ詠奈の下へ向かうと、手を差し伸べる。
「詠奈。一緒に行こう」
「…………ええ。何を指定されたか分からないけれど、いいわよ」
こんな事が許されていいのかはともかく、俺が拾った紙にはただ一言。
『最愛の人』