銭なしの市立ち
「自信はついたかしら」
「う…………ひ…………ぇ」
「制服を用意しておくべきだったわね。それならもっと遠慮なく出来たのに。残念ながら時間を戻す技術は確立されていないの……はあ。どう? 傍から見ておかしな点はある?」
詠奈はお尻を突き出して見せつけるように確認を求める。本能的にどうしようもない興奮を隠せていないのはどう考えても俺の方だが、とにかく目視で確認を行って、特におかしな点はないと分かった。
「い、いや…………それよりもお前、後でバレても俺は知らないからな!」
「自分からは少し濡れてるかな……って。雨でも降れば誤魔化せるのだけど」
「話聞いてないし。全然大丈夫だよ。ていうかこの状況で雨なんか降ったら陰謀論が悪化するから辞めてくれ。体育祭前日だし雨が降ったら延期か中止だぞ」
「それは困るわ……と言いたいところだけど暫く何があっても雨は降らないからこれは全て妄想ね。さあ、気になる事も私に聞けただろうし、スッキリもしたでしょう? 流石に戻らないと怪しまれちゃうから帰りましょうか」
「あ、ああ」
詠奈と一緒に自分のクラスに戻ってくるも、男子は何も囃し立てない。どうせ俺との間には何もないと分かっているからだ。分かっていないとも言う。二年G組こと詠奈組の設営は順調に進んでおり、現状誰も気にしていない。よくよく見れば女子しか居ない時点でおかしいのだが、きちんと指定の体操服も来ているし設営もおかしな事はしていないから風景に溶け込んでいると思われる。
鹿野崎も当然その事には気づいていないように見える―――っと、姿が見えない。
「君は今日、僕の家に泊まるべきだ!」
「……」
詠奈の傍に居た。戻ってきてから十五分と経っていないからむしろ気づかなかったというか。鹿野崎が彼女に声を掛ける理由がないというか。だからつい遠くを探してしまった。
あまりにも強気で大胆な告白まがいの衝動に詠奈は無関心そうに言葉を返した。
「…………帰宅部だからって、先輩に敬語を使わないのは如何なものかと思うけど」
「そんな細かい事を気にしてる場合じゃないんだよ! ようやく目的が分かったんだ! みんなも僕を信じるなら明日はここに来るな! 政府の人間が乗り出してくる! 人工地震の実験だよ! 政府は地下で人工的に起こせる地震を研究してる。配信サイトを見ればもう何人も気付いてるよ! 僕らはその犠牲者に選ばれたんだ、だから都合が悪くならない様に雨を晴らした! 信じないならいい、でも君だけは―――」
「鹿野崎! 二年の設営の邪魔をすんじゃねえ!」
彼の妄言を一刀両断したのは一年生の担任と思わしき男性だ。空気が冷え込むような剣幕でこちらのテントにやってくると詠奈の手を掴もうとする鹿野崎を連れて戻っていった。彼女は如何にも気にしていない風だったけど、腕を触らせる事も嫌がっていたので彼については余程苦手意識を持ったと思われる。
「……私は気にしてないから、設営を終わらせましょう。もうすぐでしょう」
詠奈の一声もあって俺達はまた直ぐに元々の仕事にとりかかった。鹿野崎は向こうで絞られたのか分からないが、体育倉庫の隅っこに座り込んで泣きじゃくっている。最早誰も彼のみじめな姿など気にも留めておらず、ただ一人宗山だけが複雑そうに苦笑いしていた。
「景夜~悪いけどこのゴミ袋向こうに運んでくれなーい?」
「ん―――雑草を入れろって言われたのに枝を入れるなよ。袋突き出してるじゃないか」
「そうなの~痛いからやりたくない!」
「気持ちは分かるよ。じゃあ代わってくれ。俺がやる」
どうせこれ以上はテントに居ても大した仕事がない。ゴミ袋を代わりに受け取ると女子が次々とゴミ袋を渡してきて俺に同じ仕事を求めた。悪い気はしない……というよりこの程度の事には何も感じない。人に親切をするのは当然の事で、そうあるべきと教えられた教育は根強く残っている。パシられていようが頼られていようがどうでもいい。困っているなら助けるだけだ。
「お困りですか、景夜君」
「いや全然困っては…………え?」
ゴミ袋を置いて振り返ると、俺より十五センチ以上も大きい金髪の女性が見下ろしていた。体操服にはきちんと『剱木』と書かれている。
「八束さん!? え、そんなG組の手伝いですか?」
「いえ、私は何処にも所属していないまま多少他の生徒とも面識がある状態なので、設営全体の協力を。動きにくくはありますが」
「そりゃあ……だってクラスの何処にも居ないんだから動きにくいでしょうね。八束さんより背が高い男子って本当に片手で数えられるし。金髪は目立つし」
「そうなのですか。連絡先を気軽に求められるのもそういう理由……?」
俺が購入されるより前に居たから分からないが、八束さんはどうも俗世に疎いというか、下手すると詠奈以上にお嬢様然としている。反応を見ていると時々そう思わざるを得ないし、金髪なのもお嬢様という言葉に紐づきやすい。多分童話とかのせいだけど。
「身長コンプレックスみたいな人じゃなきゃ八束さんみたいな美人と仲良くなろうってのは普通の事ですよ。で、俺と同じ仕事をやってると」
「そうですね。詠奈様から聞かされていたら申し訳ないのですが当日は景夜君の関係者として応援に向かわせていただきます。宜しくお願いします」
「あ、よろしくお願いします……俺のクラスには来ない方が良いですよ。話が面倒になると思うし、何ならつき纏われるだろうから」
彼女が姿を見せなくなってから落ち着いたものの、暫くは本当に困ってしまった。この学校には居ないタイプの女子だから余計に騒がれるというか、もしも八束さんが本当に在籍していたなら詠奈と八束さんの二大巨頭になるだろうというくらい。
「そうだ、景夜君。お昼休憩についてですが、保護者のいない方は学校に戻って昼食を取ったり、誰かご学友の所にお邪魔するそうですね」
「はあ。普通ですよね」
「当日は強い日差しが予想されます。詠奈様とのお食事を邪魔されたくないでしょうし、キャンプ等やビーチで使われるようなテントを用意しますが、不満等はありますか?」
「あー……いや、特にはないですね。マッサージとかはお願い出来ますか?」
「お任せください。彩夏と二人で取り掛からせていただきます」
「あ、いやそんなかしこまらなくても……」
八束さんは首を傾げて自分の発言の不備を探っている。やっぱりこの人は詠奈より浮世離れしている様な気がする。そこが可愛いというのは簡単だけど……もしも出自が特殊ならそこから詠奈の正体が掴めるかもしれない。
―――切り口は色々ありそうだな。
陰謀論系は鹿野崎の取り扱いが危なすぎて落ち着く頃を見た方が良いかもしれない。八束さんにはいつでも聞けると思うが、またお金を使う事になるかもしれない。
沢山お金は持っているけれど、こういう事で使うのは何だか……気持ち的には微妙だ。
「八束さん。参考までに聞きたいんですけど。詠奈ってどれくらいお金を持ってるか把握出来ますか?」
「………そうですね」
八束さんは指を開いて数えている。何を数えているかは分からない。
「…………私が確認出来る額は大手の銀行くらいの金額ですね。具体的には―――」
「設営ご苦労さん。明日は体育祭だから早めに寝るようにな、それじゃここで解散!」
うちの担任は長ったらしい話が嫌いでこういう時も直ぐに終わらせてくれる所が美点だ。クラスの多くはそれに喜びを打ち上げをしようなどと言っている。せめてやるなら体育祭が終わった後だと思う。設営の打ち上げとは何だろうか。
「詠奈。一緒に帰らないか!」
「カラオケ行こうぜ詠奈!」
このチャンスを逃すなとばかりに理由をつけて詠奈を誘うクラスメイトの姿は哀愁漂う。当人は「予定があるから」「また明日ね」と軽くあしらって相手にもしない。制服に着替える素振りも見せないのは本当に早く帰りたいからだ。
「ちょっと待って! せめて帰るなら僕が護る! 待ってくれって!」
そしていつの間にか泣き止んでいた鹿野崎もその一員に。向こうは詠奈を特別扱いしているが詠奈の方は価値の低い人間と一律でみなし対応している。そこに来てようやく、俺は鹿野崎の思考に理解が追い付いた。
難しい事なんてない。詠奈が関わっている状況に関しては単純な話。
彼は詠奈が好きなのだ。他の男子と同じように好きだから守りたい。価値観が違っても、それでも自分と自分が好きになった子は特別だからと手を差し伸べている。詠奈が政府側の人間である事など露知らず―――いや、仮に知っていても手を伸ばすかもしれない。考え方に違いはあれど、性欲に陰謀はない。身体は正直とはそういう意味でもある。
だからもういっそ妙な陰謀はやめて、詠奈を犯したいと言ってくれれば凄く理解出来るのだが。