銭ある時は鬼をも使う
「さあさ寄ってらっしゃい見てらっしゃい! 超新星の美人板前彩夏さんがお寿司を握りますよー!」
「あの、それ見世物とかで言う言葉です。後自分の事を美人って言うのはなんか嫌味っぽくなるような」
「そうとも限りませんよ! 自分自身を客観的に正確に評価出来るのは大切だって詠奈様が教えてくださいましたからッ。それに……ふふふ! 沙桐君だっていつも美人だって言ってくれるじゃないですか!」
「ああ、うん。まあ……そう、ですね」
何となく言い負かされた気がしながら、本日の夕食会は開かれた。板前となったのは彩夏さんで、時々季穂がサポートに入る形だ。ノリは軽いが毛髪混入を防ぐ為に帽子をかぶる等の対策は徹底されており、使われるネタはいずれも高級品で鮮度も申し分ないモノが多い。
昔、気まぐれに母親が寿司屋に連れて行ってくれた時は玉子しか食べさせてもらえなかったので他の寿司ネタは詠奈に買われてから味わった。そうそう、昔は沢山のネタに目が泳いで動けなくなったから詠奈に一々食べさせてもらったっけ。
「彩夏さん。取り敢えずイクラお願いします」
「はいはーい♪ 詠奈様はどうなさいますか?」
「そうね。景夜と同じモノを……と言いたいけど、今日はちょっと胃の調子が悪くなるような出来事ばかり続いたから、芽ねぎをお願い」
「ご自愛くださいね詠奈様。この赤羽彩夏、主の為を想って握らせていただきます!」
『全員お前のカッコイイ姿見たさに来るって言ってるぞ』
コックさんから教わった情報を明かす訳にはいかないし、何も観戦を駄目と言いたい訳じゃない。ただ目立たないように来てくれないとロールプレイの維持に関わるのと、それ以前に活躍できるかどうかという問題がある。身体を動かすのが苦手という程ではないけど各種目を得意とする奴は幾らでもある。
普通に考えて走る事なら陸上部が得意だろう。長距離とか短距離の違いはあるだろうが、基本的には俺が勝つ見込みはない。障害物競走は基本的に身体が小さな人が有利だろうし、綱引きはクラスにどれだけ力持ちが要るかという話だろうし、玉入れは野球部かバレー部が……いや、玉の大きさが違うとかそういう問題じゃない。単に精度の高い奴が多いから例として挙げたのだ。
「はい、お待ちどう!」
「ありがとうございます。いやー毎日寿司を食べたら飽きるんでしょうけど、やっぱ寿司って美味しいですよね」
「そうね。たまたま腕の良い職人がこの屋敷に居て助かったわ。そうでなければ何処か名の知れたお店から職人を呼ばないといけなかった。それも風情があって一興だけれど、今日だけはそんな余裕を見せられないわ」
学校でのやり取りと家での一悶着がどれだけ心をかき乱したのかは想像に難い。幾ら彼女の傍に居ても俺が王奉院の権力を持っている訳じゃないのだ。だからその悩みには寄り添えない。そういう意味で詠奈は孤独を抱えてしまうだろうから、何とか傍に居て、分からないなりにその悩みを理解出来たらと思う。
それが多分、『好きな人』の役目だと思うから。
「サーモンの炙りとか貰えますか?」
「はいはいお任せあれ! 季穂、バーナーお願いしますね!」
「は、はい!」
ただ握るだけならサポートは要らないだろうと思われがちだが、こういう一手間加えた品を注文した時に役割がある。ちょっと気を遣った節もない事はないけど、炙って油の滲んだサーモンは口の中でとろける油を楽しませてくれる。
「ほたてをお願い」
「はいはい!」
明日は本格的に設営を終わらせて、明後日はいよいよ本番。カッコイイ所を見たいと言われたら俺だって見せたいけど、出来るかどうかが不安だ。去年はこんな事なかったから余計に緊張している。陰謀論なんかより、俺はそっちの方で気が気じゃない。
「詠奈。ちょっと俺も緊張して来たよ。体育祭去年みたいに何事もなくやれたらいいけど」
「いい傾向ね。適度な緊張感はパフォーマンスの向上に必要なの。景夜なら大丈夫、私が見込んだ世界一の男だもの」
「う……」
愛が重い。
普段は歓迎したいけど、こういう時には嬉しさよりプレッシャーがのしかかる。人知れず感じていた重圧を察したのだろうか、彩夏さんは頼んでもないのに季穂に何か指示を出すと、厨房の方から鍋を持ってきた。
「え、何ですか?」
「アワビですっ。蒸すのが基本ですけど最近は難しい事がしたい気分なので同じくらいの香りが引き出せるように煮てみました! お酒の肴に……って言いたいですけど、沙桐君は一応そういうの守るんですよね。だからお酒はなしに小皿で出しましょうか? それとも握ります?」
「…………ど、どっちも」
「おやおや強欲ですね~。詠奈様に少し似てきましたか?」
などと軽く弄りつつ、彩夏さんは嬉しそうに小皿を出して大ぶりにカット。俺の前に差し出してから握りを作っている。
「そんな緊張なさらずに、詠奈様の機嫌を取るなんて難しい事をいつも簡単にしているじゃないですか~」
「彩夏」
「事実を言ってますよ~? 沙桐君が来るまでピリピリしてたのに、来てからもーうずっとふわふわしてるっていうか~! 詠奈様ってば乙女だなーって―――」
「沈黙は金という言葉を知っているかしら。それ以上余計な事を喋るつもりなら景夜が来てから貴方がどう変わったかを今から事細かく解明してもいいのだけど」
「おっと……これはこれは……」
「―――それに、好きな人が傍に居るのだから、変化は当然でしょう? ねえ景夜」
「う、うーん……俺は変わったのかな。あんまりそんな気はしてないけど。美味しい!」
鼻を抜けるこの濃厚な香り、舌が触れた時の柔らかさは歯で噛みしめた時に改めて至福を覚えさせ、旨味が口の中に流れていく。このうまさを上手く伝えられるような語彙力はないけれど、衝撃的な美味しさだった。
「え、え、美味い! 美味しい! めっちゃ美味しいです!」
「……ふふふ! 変わりましたねー!」
「凄いよ彩夏さん! 美味しい! ていうかアワビ……初めて食べたかも!」
「それは……あはは。特別指示がないとそういう事もありますね~」
勢いづいてマグロやらアナゴやら次々と寿司を注文する俺を見て、彩夏さんも季穂も、詠奈でさえも口元を綻ばせて見つめている。恥ずかしさとかはない。美味しい物を美味しいと言って何が悪い。
「…………明日は景夜が活躍出来るようにちょっとしたサプライズを用意しておくわね」
「え? 明日は設営だろ」
「設営が終わったらよ。せっかく広い庭があるのだから有効活用しなきゃね」
詠奈は中トロの寿司にワサビをつけると、満足そうに口の中へ放り込む。
「…………んぐんぐ。彩夏。私の言いたい事が分かったなら帰るまでにお願いね」
翌日。
いつものように学校へ登校した俺達だが、その日は様子が違った。体育祭前は身体が動かせるという事で運動大好きな奴らが色めき立つ所まではいつもの事だが、今回はそれとも違うようだ。みんなで携帯を見て騒いでいる。
「何だ? 何で盛り上がってるんだ?」
たまたま近くに居た女子に声を掛けると、彼女は興奮気味に映像を見せてくれた。それは昨夜の雨が詠奈の権力によって強制的に晴らされた映像だ。タネを知っているから俺はどうとも思わないが、そうでなければ異常現象としか思えない景色に全員が釘付けになっているらしい。
話を聞いているとテレビでも異常気象として取り上げられたとか。驚くべきは専門家が何のコメントも出せないでいる事で、注目されたい誰かが知ったかぶろうにも雲の消え方が嘘としか思えないのでデマと言った方がまだ注目を集められるという状況。
だがこの映像は多くの人間に目撃されたのみならず、ビルの屋上などに設置されている監視カメラなどにも映ってしまったため、デマと嘲笑うには証拠が残りすぎている。
「おはよう」
遅れて詠奈がやってくるのは予定調和だ。今の俺は『友達』。横を通り過ぎる彼女に声を掛けたのは下心しかない男子の一人だ。
「おい詠奈。これ見てみろよ! 凄くねーか!」
「あら、これは―――」
私がやったのよ、なんていう訳ない。何となしに返答が気になって俺も視線を奪われる。決して彼女の横顔に見惚れていた訳ではない。
「原理は良く分からないけど、きっと体育祭を中止にしたくない誰かが奇跡を起こしたのよ。今年もうちのクラスが勝てるといいわね」
その淡白な物言いとおよそ詠奈からは考えられないメルヘンな中身から、多くの人間は無関心だから適当に流したのだと思うだろう。実際男子も手応えは感じなかったらしい。また元の輪に戻っていく。
まさか本当の事をそのまま言っているなんて誰が思う。その為に天候兵器を動かすなんてとてもとても―――
そういえば、こんな騒ぎになっているなら鹿野崎後輩はどんな反応をしているだろう。