金蘭の契り
その後は雨が降る様子もなく作業を続ける事が出来た。雨が降った時の発作だけならまだしも詠奈が妙な刺激を与えたせいで鹿野崎はずっと騒いでいたけど、元々交流なんてなかったような物だし気にしていない。仮にも一年後輩が敬語を使わないのはまだしも脅すような口調で圧力をかけてくるのは上下関係としてどうだろうか。
「一通りの作業は終わったようね」
門の作成、旗の設置、テントの大まかな位置の指定、雑草抜き、道具の確認。前倒した作業に特別時間のかかる物はなかった。明日になればテントを設置したりそもそもの椅子を持ってきたりと今回以上に手間のかかる仕事は沢山ある。この程度で音を上げていたら明日はきっと休んでしまうだろう。
「いやーやっぱり帰宅部同盟の力は偉大だな! なあ景夜!」
「……いつからそんな呼び方に。まあいいか。同盟に加盟した覚えとかないけど、二人共お疲れ様。帰宅部は帰宅部らしくさっさと帰ろう」
「え、マジで!? その子と一緒に帰っていいのか!?」
その子、というのは聞こえる場所で詠奈の名前を言っていないからだ。そこまで徹底して隠すつもりもないから付き纏えば名前くらい分かっただろうけど、振り向いてもらうべく作業を頑張ったのが仇となったかもしれない。でも個人的には助かった。
「あーでも……鹿野崎がちょっと様子おかしいから今日はいいや。なんかほら、さっきの……俺って勉強あんま出来ないから分かんねえけどああいう事も多分あるんだろ? でもほら、アイツん家はちょっとヤバイからさ」
「個人的には価値観が合わないなら付き合いを控えた方が良いとは思うけど、そうまでして友達のままって事はよっぽどそれ以外じゃ馬が合うんだな」
「まあ目を瞑ればって奴よ。友達だからって何でもかんでも許容出来る訳じゃないだろ。あれが極端ってだけでさ。いつもは雨が止んだら落ち着いてくれるんだが今回は珍しい現象もあったし。んだから、いいわ。俺等先に帰るぜ! またなー!」
鹿野崎を引っ張るように帰宅部主将(今勝手に決めた)は帰って行った。陰謀論に取り乱す彼は去り際に詠奈を見て最後まで「目覚めるんだ!」と言っていたが、目覚めるも何も彼女は正に国の中枢にいるような気がしてならない。
立場とかはよく分からないけど、警察を勝手に動かせたり人様の会社を要件が満たされずとも倒産させる事が出来るならそれはもう中心だ。末端にそんな権力はない……っていうか多分国会議員にもない。
誰よりも特別で、誰よりも俺に価値を見出してくれた女の子。
それが王奉院詠奈の正体。
「……トラブルの一つでも用意するつもりだったけど、手間が省けて助かるわ。私達も帰りましょう。車は近くに寄せてあるみたいだから今回は裏門から」
「あ、ああ」
元々直ぐに帰るつもりだったので鞄は倉庫の何でもない釘にひっかけてある。目では確認出来ないが砂を払ってから詠奈に手渡すと、彼女は頼りない足取りで裏門の方まで歩いて行った。
「疲れてるのか?」
「少しね。力仕事は景夜君に頑張ってもらったけど、私も学生として無理のない範囲で働いたから……悪いけど、家に帰ったら少し眠るわ。今日は何だか疲れちゃった」
「それは……多分だけど、あの陰謀論のせいかもしれないな。お前が雨を止めてからずっと騒がしかったし…………」
「ああ、それかもしれないわね。興味本位で手を出したらうるさくてかなわなかったわ。騒がしいのはあまり好きではないの。いつどんな時も静寂を愛しているという程でもないけど、放課後というくらいならもう少し喧騒の余韻に浸らせて欲しかったわ。反省中よ」
かなり遅いと思う。雨を止めるなんてあまりにもぶっ飛んだ事をしたせいで彼の独特な世界観をますます拗らせる事になってしまった。先に詠奈を乗せてから俺が入ると、自動で扉が閉まって発進する。
―――あんなのありかよ。
今までの所業がありかなしかで言えばぶっちぎってなしだが、現実的な手続きや条件を無視しているだけと考えればまだ納得がいく。だが天候兵器なんていっそファンタジーだ。陰謀論ではないが、政府とやらは本当に秘密兵器を隠し持っているのだろうか。与太話によく聞くような、昔の日本軍が地下で秘密の研究をした結果がどうのこうの……運用していないだけで、一つくらい本当の話があるのかもしれない。
その証拠にあの詠奈が『高い』と言った。彼女は提示された値段に対して値段以上を使う事はない。例えばビルか何かが五十億で売られたならそれ以上は出さないだろうし、多分五十億を動かしても彼女はそんな事を言わない。尽きぬ財源の正体は分からないが、俺に三億出せるような子が苦しむとは到底思えない。
なのに『高い』と言わせたという事は値段が定まっていないという事だ。そして定まっていない値段は彼女自身の鑑識眼で以て価値を見定められる。その結果があの言葉。
「……詠奈。気になる事があるんだけど聞いていいかな?」
「何かしら。少し眠ろうと思っていたから手短にね」
「彩夏さんを買った経緯を聞いたんだよ。違法風俗の客引きで……っての。話を聞いてる感じだと特にお前が欲しがるような要素はなかったと思うんだよ。何でその時、欲しいって思ったんだ?」
直前の一件もあって、ますます彼女の事が知りたくなった。勝手に調べろというからあまり本人には頼りたくないけど、彩夏さんを買った話について彩夏さんが知らないなら後はもう一人の当事者に聞くしかないだろう。
詠奈は目を瞑って体重を預けるように俺の肩によりかかる。触れ合った指が甲で重なって、隙間を縫って結ばれる。
「……あの子が働いていた時だけ、特に利益が上がっていたのは知っているかしら」
「うん。聞いたよ」
「客引きだけ、とは言うけど。実際あの子の客引きは特殊でね。一度見た人の顔を忘れないから一回目の客引きで少しでも自分を見てくれた人に何度も何度も声を掛けたのよ。単純接触効果―――客引きなのに関係ない雑談にも付き合ってたそうね。お世辞にも効率は良いとは言えないけど、その分お店の上客になる人ばかり捕まえてたの。身体を売るのは嫌だとも言っていたけど、彼女に魅了されて入っていった人はそう思ってない。いつかあの子を指名出来るって信じて通い詰めたの。お店の方は早々にその事を察したから嘘をついたのね。本人に黙って勝手にVIPサービスにされていたのよ」
「それでも彩夏さんに体を売らせなかったのは何だか律儀だな」
「違法風俗にとって不特定多数との性行為は商品を摩耗させる行動よ。ただ言葉で釣るだけで済むならその方が良いに決まってるわ。騙されているかも、とは思いつつもあの子の事を好きになってしまったら抜け出せない。実際お店を出る時にはいつも感謝してたという話を本人から聞いたわ」
「…………キャバクラが悪質になったみたいな感じだな」
「そうね。言うなればあの子は魔性の明星。私にはない明るさと観察力を活かして数多の男性を狂わせたわ。人は足りない物を欲しがる……欲しかったのはそれが理由よ。基本的に厨房で働いているのは、あそこで下働きをする子のケアも兼ねているわ。きっと他の子じゃ不十分だろうから」
「…………八束さんとかは意外と気づきそうなもんだけど。後は友里ヱさんとかも意外と」
「気づくか気づかないかで言えばそうかもしれないけど、言ったでしょう。彩夏は一度見た人の顔を忘れないのよ。一分前、一時間前、一日前、一か月前。同じ人の顔を見ても違いが分かる。疲れていたり精神的にふさぎ込んでいたり、むしろ逆にハイになっていても気が付けるの。厨房は少しの遅れもコックに許されない場所だから、ああいう子が上に居てくれた方がいいのよ」
便宜上働いているとは言ったが、彼女たちは等しく詠奈に全てを買われた人間。配置も勤務時間も全ては彼女の気分次第。厳密にこうと決まっている訳ではないのは、メイド服が彼女の趣味という点からも分かるだろう。
その上で相性の良さそうな配置を決める所に彼女の才能を感じる。人を使う才というか、幾ら自由でも頓珍漢な場所には使わないという意思は分かった。
「…………観察力って言うなら詠奈も凄いじゃないか。そこまで見てるなんて」
「欲しいと思って買ったモノを有効活用しないなんておかしな話でしょう。私は……………………………………」
間もなく、静かな寝息が聞こえて来た。語尾がふにゃふにゃになってきた所からまさかと思っていたが、殆ど気絶みたいな時間差で眠ってしまった。ちょっとどころではなく本当に疲れていたのか。手を出したのは詠奈なのにかえって被害を被ってしまったようだ。
「…………」
陰謀論は嘘だとして、実際何処まで存在するのだろう。ナノマシンについては否定していたけれど、天候をどうにか出来る手段は存在してしまったし。馬鹿馬鹿しいとは思っているが、詠奈の事を知りたかったらいっそ切り口を大胆に鹿野崎の方向から探ってみれば分かるだろうか。
「よう。お嬢抱えて帰還たあまた随分な仕事を任されたなあ」
コックは噴水の前で煙草を吸いながら俺達を待っていたように話しかけて来た。