金で面を張る社会
「あ、彩夏さんはファストフードって食べた事あるんですか?」
「勿論ありますよ! もしかして沙桐君、私が滅多に出かけないから高級志向になったと思ってました? むむ、心外ですね~。これでも詠奈様に買われる前は一般的な大学生だったんですよ?」
「アイツが買うって事は一般的じゃないって意味だと思うんですよ。ていうか近いです……」
「ぬふふ、まあまあ良いではありませんか! 詠奈様とはこれくらいの距離なんですし!」
安全に駅前を監視出来る場所が何処かと言われたら、ファストフード店の二階だ。駅側に窓がついているからここなら佐山と須合の動きを安全に把握出来る……のだけれど、俺はそんな事より彩夏さんと身体が密着している事が気になっている。端の席を選んだのは俺だけど、それは目立たない為で、決して壁と彩夏さんに挟まれたいからではない。
「こ、ここクラスメイトも使うんですよ……誤解されますって!」
「ほほう。つまり私は制服姿になれば良かったんですねー」
「そういう意味じゃなくて……彩夏さんの私服を拝めたのは嬉しいですけど。目立ちますからね」
「おや、目立たない為に着替えたんですけど、どの辺が目立ちますかね?」
「美人です」
「美人なら他にもいるじゃないですかー。接客してる人も可愛いと思いましたよ?」
「駄目です。彩夏さんは別です! 詠奈に認められるくらい可愛いんですから着替えるくらいならいっそもっと顔を隠してみるとか……」
お世辞は言わない。言う意味がない。俺は本当に目立つと思って忠告しているのだ。彩夏さんは分かっているのかいないのか、頬を赤らめて照れくさそうに笑っている
「……もう、そういうとこですよ沙桐君。でも今の言葉は嬉しかったのでこれ以上の悪戯は控えますね!」
窓の外を見るに佐山はまだ来ていない。反省文は長引いているようだ。須合の苛立つ様子もここから見える。彼の頭の中では自分からお金を使わせるように仕向けたにも拘らず金を出し渋る佐山が不思議に映っているだろう。
「百万円を用意するのに時間がかかっているかもしれませんねー」
「あ、それもあったか。どうやって用意するんだろ……渡さない訳にもいかないだろうし。詠奈は犯罪行為を容認してるのか?」
「詠奈様がどうであっても警察の方が許さないと思いますね~。だから道行く人を襲って現金を用意するのは駄目です♪ 捕まっちゃいますからね」
「そうか……」
かといって学校で先生に借りられる可能性も存在しない。百円とか千円ならまだしも百万円という金額だ。今すぐこの国に記録的なインフレが訪れて百万円程度に何の価値もなくなるような状態にでもならないと。
「……佐山が来るまでに聞いておきたいんですけど。彩夏さんはどういう経緯で詠奈に買われたんですか? アイツの事が知りたいから、参考までに聞いておきたくて」
「私は……こう見えてあんまり褒められた事はしていなかったんです。大学生の傍ら、お小遣い稼ぎのつもりだったんですけどねー。…………」
「…………話したくない、ですか?」
「詠奈様の所有物なら隠す理由もないんですけど、沙桐君は駄目です。嫌われたくないから」
変わらず明るい笑顔を浮かべているが、心なしかそれは空元気で、本当に明かしたくないのだと分かった。これ以上踏み込んだら傷つけてしまうかもしれないと思いつつ、やっぱり興味がある。そんな彩夏さんをどうして買ったのか、彩夏さんは何をしていたのか。
「三億払いますから、教えてくれませんか?」
お金より尊いものはあるが、金は命にも代えられる。代えられないモノは存在しない。俺は自分の価値なんて把握していないけど、買われた当初よりはある筈だ。両肩を掴んで正面から頭を下げると、彩夏さんは困ったように笑って、うーんと首を捻っている。
「…………詠奈様の価値観を否定する訳にはいきませんね。分かりました。お教えします。違法風俗の客引きです。昔はお金に困ってて、ほんの出来心だったんですよ?」
「…………それはまた。でもそれはそれで意外ですね。客引きだけなんですか? 彩夏さん美人だから中で接客も出来たと思いますけど」
「だから出来心だったんです! 友達がどうしても人手が足りないって言うから私が……客引きだけならセーフかなって。身体売るのは嫌だったので」
美人は客観的にも事実で、案内された人は彩夏さんみたいな子が沢山居ると思って入っていったらしい。それでお小遣いを手にしている内にほんの少しの罪悪感も薄れてしまって―――やがて巻き込まれた、と。
「取り締まりを一緒に受けちゃって、その事が両親にバレて家を追い出されちゃいました。一回でも表の信用を失うとやり直す時も表からって難しいんです。だから今度はどんな場所に行けばいいかなって路頭に迷ってた所で詠奈様と出会いました」
「……まさか自分から売り込んだんですか!? 支倉みたいに」
「いえいえ! そんな無謀な事はいたしませんとも! 私が働いてたそのお店なんですけど、私が働いてた間だけ異常に利益が上がってて、その事を詠奈様が知っておられたんです! それで興味を持ってくれたみたいで、幾らで買えるか聞かれたから……思い切った金額を少々」
何故知っていたかなんて聞くまでもない。詠奈は電話一本で勝手に会社を倒産させる事が出来る人物だ。違法風俗でも何でも、その帳簿を見るくらいは訳ない事。アイツが彩夏さんに何を見出したのかは分からない。今は主に厨房で働いている訳だし。
全てを話してくれた彩夏さんは、こちらの表情を窺うように……まるで子供が、親に怒られるんじゃないかと怯えるように……俯いていた。
「……沙桐君。私の事嫌いになりました?」
「嫌い? いや、昔の彩夏さんがどうでも、俺は好きですよ貴方の事。過去に胸を張れないなんて事はよくある事じゃないですか。程度に違いはあっても俺だって買われる前は良かったとは思いません。むしろちょっと安心しました。こんな事で嫌いになんかなりませんよ。買われた日からずっと、貴方にはお世話になってるので」
「―――――沙桐君」
「それより、ようやく佐山が来たみたいですよ」
「……本当に気にしてないんですね。嬉しい」
「彩夏さん?」
「はいはい! もう、思い出話に華を咲かせてようやくですか! 真打登場ってくらいの面白い事をしてくれるといいんですけどね~ッ」
窓越しの、それも中々の距離だ。会話は聞こえないが、心なしかやつれた様に見える佐山がようやく合流した。見た所百万円は持っていない。アタッシュケースを探していた訳ではないが、調達出来たなら財布に入る量でもないから何かしら用意している筈だ。
須合は帰ろうとしていて、佐山がそれを引き止めているようにも見える。そんなやりとりを続けながら相変わらずホテル街の方へと歩いていくので、俺達もついていくようにこの場所を後にした。
あまり近づいても怪しまれるだろうから反対側の道路から二人を尾行している真っ只中。放課後と言ってもまだこの通りの目覚めには程遠い。怪しまれる事はないと思うが念の為、彩夏さんとは恋人繋ぎをして行動している。
「あんまり仲良しじゃなさそうですね~」
「そりゃそうでしょ。会社を倒産させられたんですよ。一億円は会社に入れたんじゃなくて自分の懐かな……仮に会社に入れてて全部回収されたなら一文無しです。回収されてなくてもまだ佐山から搾り取れると欲を掻いてるんですから冷静じゃいられないでしょう。見事に泥沼に嵌めてるのに、その嵌まってる人がお金を出せないなんて良く分からない状況ですけどね」
「という事は百万円は用意……」
「出来てなさそうですね」
残念でもなければ当然。そんなお金はポンポン用意できるものじゃない。佐山が喚いている内容は聞き取れないが、多分明日は必ず持ってくるとかそんな感じの事を言っているに違いない。嘘をついてでも貢ぎたい男らしいからそれくらいは執着すると睨んでいる。
「あれ?」
「どうしました?」
「看板は出てないけど客引きが居ますね~。素通りさせましたけど、ほら、向こうから歩いてくる女の人に声かけてるでしょ?通せんぼもしてる。私も店内カメラは拝見しましたけど一億円を持ってった時とは違って普通に他のお客さんも入れてるみたいですねっ。お金がないんでしょうか」
「会社が潰れたら……あー多分資金源の何割かをシェアしてたんじゃないんですかね。須合の会社とそこのお店が何か組んでて、分け前を貰ってたみたいな。でも会社が潰れて当てがなくなったから現金が欲しい……とか?」
詠奈は俺に干渉して欲しいと言ったけど、どういう事をすればもっと面白くなるだろうか。アイツが笑ってくれるなら何でもいい。ただこの状況で何が出来るかは想像出来ない。
「…………彩夏さん。俺の恋人って設定で中に入ってみませんか?」
「はい? は、はいっ?」
目を白黒させながら、しかし彼女はきちんと言いたい事を理解している。咳を払ってから―――前言撤回。
「し、失礼しました。意味が分からない訳じゃないんですよー。何をしちゃうおつもりですか?」
「結局世の中金なんですよ。あそこって十中八九ぼったくりをして払えなかったら何かする場所でしょ。で、佐山はどうしてもお金で愛する須合の気を引きたい。それならお客として俺達が乗り込んで景気よくお金を使ったら……どうなりますかね?」
「あー。それはそれは…………」
朱に交われば赤くなる。
詠奈の価値観に、彩夏さんもまた呑み込まれていた。
「すっごく面白そうな提案ですね~! いいでしょう、地獄の底までもお付き合いしましょう! 不肖ながらこの赤羽彩夏、沙桐君の思惑の共犯者となってさしあげます!」