愛想尽かしは金から起きる
倒産。
会社が経営破綻して弁済の見通しが……分かりやすく言うとお金がなくなって会社の首が回らなくなった状態だ。廃業は自らそれをやめる事だが倒産は意思に拘らず続けられない状態を指している。つまり倒産自体を選択する事は出来ない。仮にこれが廃業であったとしてもそれを選択出来るのは会社に関わる人間だけだし、関わると言ってももっと上の方の人間の意思だろう。
どちらであったとしても共通している事がある。それは様々な手続きを経なければならないという事だ。素人の目線から考えても税金関係の手続きとか保険関係の手続きはしないといけないだろうし、専門的に踏み込めばもっとたくさんあるだろう。
それを詠奈は。電話一本。会社とは関係のない所から行ってしまう。
「で、出来るのか? やっていいのかそんな事?」
「普通の人には出来ないわね。でも景夜も気にならない? 一億円を渡されたのも束の間、経営者にも拘らず自分の知らない所で勝手に会社が倒産してしまった場合どんな動きを見せるのかを。変わらずあの子から搾取し続ける? それとも貰ったお金で会社を新たに作る? あの男の動き次第であの子も行動を変えるでしょう。ここまで煩雑になると私も見通しを立てるのが難しいわ。どういう挙動を見せるのか期待したい所ね」
「き、気になるけどさ。手続きに時間がかかるのはどうにもならないんじゃないか?」
「と言っても数時間もあれば終わるでしょう。関係各所、勝手に動いてくれるから」
「……今更だけど、凄いな」
「女性は怖いのよ景夜。私は今年に入って君が何回興奮したか、具体的に何処を見ていたのかまでバッチリ覚えているんだから」
「うぐ。ごめん………………」
「喜んでいるのに」
雑談も程々に、聖がパソコンに移したのはリアルタイムの店内カメラだ。ただし角度が違うので提供されているというより、どさくさに紛れて新しく設置したのだろう。
詠奈が電話を掛けている内に二人はお店の中へと入ってしまった。リアルタイムと言っても確認するまでのラグはあったのだが概ね関係のない空白時間だ。
店内では開かれたアタッシュケースに色めきだって須合を中心に佐山を囲うように中身を数えている。どうも店内は全員がグル……須合の会社とは関係なくとも本人とは繋がっていそうな関係に見える。
『うおおおおお一億だ…………!』
『すっげ……』
『うええええええ! マジかよ須合おい! すげえじゃん! おい、おいおいおいおいおい! あの酒開けちゃうんじゃねえの! 一億だろ!? だろ!?』
「一億の酒ってあるのか?」
「あるけど、こんな場所ではみかけないわね。興味があるなら家の地下を探してみる? 一億と言わず四億の物もあると思うけど……お酒は未成年が飲んではいけないのよ」
「飲みたいとは言ってないだろっ。そんな値段がつく事もあるのかどうか分かんなくて」
「ボトルが出てきましたね……私の目には、一億など到底届きそうには見えませんが」
俺の目利きなどたかが知れているのでその判断すら出来ない。詠奈は少しがっかりしたように肩を落とした。
「本当に出てきたら面白かったのに、何から何まで空っぽなのね。この様子だと自分の会社がどうという事情ではなくてお店の応援という名目でお金を巻き上げているのかしら。お友達が経営しているけどよろしくなくて……とか。実際は折半して懐に納めているか、会社の資産に計上して赤字を誤魔化しているのかのどちらかでしょうけど」
「無茶言うなよ……あ、ボトル開けて皆に注いでる。一億ってあんな軽率に扱っていいのか?」
「だから空っぽと言ったでしょう。たった今一億円を所持している彼女から十万とか二十万を巻き上げた所で大した痛手にはならないわ。痛手というのは、恐らくお金が足りなくなったらこの建物の裏にあるスタジオでエッチなビデオでも撮影するつもりなのでしょう。惚れこんでお金を貢ぎ続けるなんて相当よ。きっと了承してしまうわ」
「でも、彼女は他所からお金を供給しているから中々痛手にはならない」
「そして学校の部外者である彼にはその事が分からない。だから関係がそれなりに続いているのね。でも一億に目が眩んで、ボロが出てるわ」
詠奈は心底失望したような目でカメラを眺めながら、自己矛盾をするように微笑んでいる。俺を母親から買った時も、母親に向けて同じ目線を向けていたっけ。
『さあ。これで今日から君は私のモノよ。よろしくね私の景夜』
そこでのキスが、俺のハジメテ。
あまり良い表情とは言えないかもしれないけど、詠奈が楽しんでいるならこの実験もありだな、と思ってしまった。俺は今も彼女に恋をしている。一挙手一投足惚れ直している。好きな人が傍にいるって幸せな事で。
お金で買われたから、実現した事だ。
これを悪いと思うなら、俺は自分の置かれている状況も悪いと思わなければいけない。詠奈の金で動いているのは同じなのだから。
『有難う明名ちゃん! 君がそんなお金持ちなんて知らなかった! 本当にありがとう! これでこのお店の経営も少しは持ち直す!』
『ほ、本当に!?』
『ああ、だからもう……お金は大丈夫。今までありがとう! これ以上君にお金をもらうのも悪いから、これ以上会わない方がいいだろうね……』
「あれ? なんか流れが変わったぞ?」
「惚れられている事が分かっているなら誘導は簡単よ。立場を入れ替えるのもね」
「今まではお金を払って支えている立場だったのに、これ以降はお金を払って繋ぎ止める立場になるという事です。大切なのは自分からお金を払っているという感覚。もし理性的な方がこの行いを止めようとしても、彼女は騙されていないと感じるでしょう」
二人の言う通り、話の流れは変わっていなかった。須合さんともっと会いたいと縋る彼女をニタニタしながら宥めて、でももう一緒に居る理由がないと突き放す言葉に対して佐山は軽率に自らの立場を弱めていく。お金はこれからも払うから一緒に居てと言わせたら向こうの勝ちだし、それはおよそ一分にも満たない一方試合だった。
「金の切れ目が縁の切れ目……さて、明日は君にどんな要求をするのかしら。お金が払えなければ恐らく身体を売るように誘導するだろうけど、彼女の事だからまた無心すると思うわ。そして向こうも想像以上のお金持ちだったと誤認してお金の要求額を跳ね上げる筈……」
「で、でも会社は倒産するんだよな? 手続き全部無視した上に本人が知らない倒産とか全然聞いた事ないけど。それはどうなるんだ?」
「さあ? 倒産……厳密には破産までさせるけど、そうなったからには会社の資産は全て取り上げる事が出来るわ。聖には手続きが終わり次第現金の回収に向かってもらう。殺害しても私は咎めないけど警察が困っちゃうから控えてね。現金以外の資産は国に任せようかしら」
「……そのお金は、お前の懐に?」
「それでもいいけど、ある程度回収出来るなら今から文化祭の催しに向けて準備をしようかしら」
…………これってどうなるんだ?
本人が関与していない倒産で、時を同じくして一億円を回収した。会社に還元したら回収されるから自分の懐にしまうしかない? いや、それでも回収され……いやいや。そもそもこれは詠奈が権力で発生させた異常な倒産・破産だから回収も何もない?
確かに分からない。どうなるんだろう。法律を明確に無視していると言っても、何処まで辻褄が合わせられるのかが気になる。
「さあ、夕食の時間も近いしそろそろ帰りましょう。聖、貴方の提案は素晴らしかったわ」
「あ、有難うございます……お褒めにあずかり光栄です」
「俺も段々気になってきた。どうなるんだろうなこの場合」
「君もロマンが分かるのね。どうなるか読めないのがいいのよ。家に帰る頃には手続きも終わっているでしょう。明日が待ち遠しいわね」
家に帰ってきたら、彩夏さんが夕食を準備して待っていた。俺達が帰ってくる頃合いを見計らっていたようだ。元々冷めている状態でもない限り、料理は出来たてホカホカ。温かい白米を口に運ぶ感覚はいつまで経っても幸福に満ち溢れている。
「……俺はどうすればいいのかな」
「ん?」
今日のテーマは中華料理。俺と詠奈でそれぞれ隣に八束さんと聖を控えさせているが(普段は彩夏さん一人だが、今日はコックが腰を痛めて部屋に閉じ籠っているようだ)、普段のメイド服は何処へやらチャイナドレスを着ているのも料理に沿っていると言える。これも詠奈の趣味だ。普段からこんな事をする訳じゃなくて、今日は気分がいいらしい。
聖がミニスカっぽいドレスに対して、八束さんは足元まで隠れるような長い丈のドレスを着用している。彼女くらい背が高くて足が長いとスリットから見える足も大層色気があって、視線に入る度にドキドキしてしまう。スリットは太腿の付け根程まで入っており、歩いているだけでいつか見えてしまうんじゃないかとドキドキしてしまう。
詠奈に対する雑な話題の振り方は、そんな俺の興奮を誤魔化す為の緊急措置でもあった。
「多分俺にお金を要求してくると思うんだ。俺を裕福な家の子供だと思って。でも俺は自分がどれだけお金を動かせるか分からないし、要求されたら毎回払うくらい好きな訳でもない。あれは人助けでやったんだ。だから……どうすればいいのかなって」
「払う必要はないわ。話のミソはお金持ちと勘違いされた状態でどうやって彼女がお金を工面するか。そして縋ってきたのにお金を出し渋る彼女を見て男がどういう対応をするか―――聖の調査書類の中には彼女の日記もあったんだけど。真実の愛とやらに酔っているらしいわ」
「……要領を得ないな」
「お金を貢いでまで関係を続けているのは歪だけど、いつか彼と結婚するから損はしていないんですって。それって本当に真実の愛かしら。君はどう思う?」
「うーん……答えなんてあるかどうかわからないけど……」
真実とは何だ。愛とは何だ。
定義を問いたい事は沢山ある。かつての両親のそれが真実の愛? それとも母親が俺に向けてた情が真実の愛? 俺には何も分からない。如何せん人生を長く生きていない。
それでも、これだけは胸を張って言える。
「俺と詠奈の方が、ラブラブだと思う……」
カチャン、とレンゲが皿の中に落ちる音。
詠奈は胸に手を当てながら、乱れた呼吸を整えるような不自然な呼吸と瞬きを繰り返していた。
「…………………………………そうね。真実の愛なんてモノがあるなら、それはきっと私達の事を指しているに違いないわ。そんな言葉が聞けるなんて思ってなかった。凄く嬉しい」
「そ、そうかな」
「ええ。お腹の辺りが疼いてきたもの…………今日は少しだけ早めにお風呂に入りましょうか。今日は特別に、お風呂でマッサージしてあげる」