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愛憎も止めた死屍累々

「………………っ!」

「や、や、八束、さん……」

 十郎の刀は俺の喉元を過ぎ去ろうかという正にその手前で止められている。彼が慈悲で止めた訳ではない。音もなく割り込んできた鉄の籠手が斬撃を受け止めてくれたのだ。

「詠奈様が怒っておられましたよ。景夜様。勝手な行動は慎むように」

 八束さんは軽く刀身を握りこもうとして、虚空を掴んだ。十郎が慌てて引いたのである。

「師匠…………」

 弟子の困惑をよそに、彼女は俺の方へ顔を向けて手を差し伸べた。

「景夜様。貴方は詠奈様の夫である事はもとより、獅遠や私の夫でもあります。せめてそれくらいの自覚を持って行動してください」

「い、いやあの! 八束さん! 後ろ!」

 これは剣道の試合でもないし、正々堂々でもない。今が好機とばかりに十郎が切りかかってきたが、彼女は後ろ手に構えた鉄パイプ一本であらゆる方向から迫りくる剣戟を無関心に捌き切った。

「は!? は、は!?」

  弾けるような金属音が打ち付けられる事数回。日本刀が繊細な刃物であるからか、刀身はすっかりぼこぼこに歪んで駄目になっているようだ。

「……話が違うな。俺は師匠と戦わずに済むって聞いてたから協力したんだが」

「それは向こうの勝手な勘違いでしょう。私達は詠奈様の所有物です。戦えと命じられれば戦います。国を亡ぼせと言われたら滅ぼします。水に毒を流せと言われれば、子供を沢山産めと言われたら。人生を買われるとはそういう事です」

 八束さんの手を取って立ち上がる。十郎にはもはやまともな武器がない。刀はボロボロで、精々出来るとすれば突くか投げるか。これ以上は反逆しようにも出来ないと考えたいが。

 彼の目にはまだ、復讐の炎が灯っている。

 腰を低くしたまま身構えているのも、正にその証と言えるだろう。彼の中ではこの状況はまだ詰んでいない。

「私の剣は独学です。体系化もされていないばかりか、まともに剣を扱う人間が見れば怒ってしまうような粗雑な剣。それを人に教えたのも初めてです。教えた人を殺す事になるのも……初めてです」

「師匠。俺は貴方を殺したくない。別に沙桐も殺したくないし、だから引いてください。そうすればまだ誰も死なずに済む」

「誰も死なずに……まるで貴方がいつでも私達を殺せるような言い方はやめるべきですね。私を師と崇めながら、もう超えたつもりですか」

「お腹に子供が要る貴方には負けませんよ。本来の半分以下の動きしか出来ないのは見て分かります。やめてください」

「…………」

 八束さんに守られる形で背中を見ているが、彼女は動じない。脅迫に屈しているとか屈していないとか、そんな単純な話ではないと思う。ハッキリしている事があるとすればそれは一つで、十郎は弟子の癖に師匠の解像度が低すぎる。

「私は死に場所を探しています。生きる事に絶望した訳ではありません。ただやるべき事をやり切った上で、家族の下へ会いに行ける様な……かつての私が悔いなく逝ける死を求めています。十郎、貴方に殺される事は誉れある死でしょうか」

「………………な、何を言ってる?」

「私を殺せるなら殺しても構いません。ですが無関係の人物の殺害に躊躇う様な人が本当に目的を達成出来ると思いますか。やるなら撃滅の意思で以て取り組みなさい。そんな半端な意思で殺される私ではありません。貴方の刃は詠奈様には届かない。孕んだ私に妨害された事も、こんな風に私の話を呑気に聞いている事も含めて、全てはその意思の甘さが招いた失敗です」




「…………アンタも、そんな口を利くのかよ」

 



 八束さんが前に一歩、踏み出した。

「振るった刃は収められない。説得なんて無意味な事です。ここで降伏すれば処分は免れませんからね。さあ、私と死合う勇気がありますか。屍を超えて目的を達成する気概がありますか」

 もう一歩。更にもう一歩。鉄パイプを順手に持ち直して、十郎へと近づいていく。

「自分の考えが理解されない事など当然でしょう。詠奈様の道具に何故同意を求めたがるのですか。正しいか間違っているかを決めるのは、この場合は生き死にでしょう。貴方の刀が詠奈様の首を獲った時にその正しさは証明される。さあ。さあ私を殺してみてください。戦争を仕掛けられたのです。貴方は寝返ったのです。暴力でしか抗えない事など分かり切っているでしょう」

「……後悔すんなよ!」

 十郎はボロボロの刀を握りこんで踏み込んだ。音もなく慎重に歩く八束さんとは対称的に、そのお陰で距離は一瞬にして縮まった。二人の姿が交錯―――したかと思うと、彼は勢いそのままに俺めがけて突っ込んできた。

「ちょ―――えっ」

 慣性が突如ゼロになる事はあり得ない。勢いはそのままに突っ込んでくる。刀の動きはそのまま。関係ない。見てから回避は俺の反射神経では不可能だ。来ると思ったその瞬間、生物の本能として目を閉じた。


 ………………。


 ………………。


「……………あ、れ」

 いつまでも、何も来ない。恐る恐る目を開けると、傍らに十郎が倒れていた。一見何の違いもない。だが胸から首の辺りからおびただしい量の血が流れ、土に染み込んでいる事は明らかだった。

 八束さんの方を見遣ると、鉄パイプを持っていた手とは逆の袖から匕首が鮮やかな血を滴らせながらに鈍色の刃を輝かせている。暗く冴えない月明りも、今はその勝利を照らすように差し込んでいた。



『……詠奈様。裏切り者の処分が完了しました。作戦行動の再展開とご指示をお願いいたします。景夜様は―――』





















 あまりに感情的な行動につき全ての作戦が台無しになる所だったと詠奈にはとても怒られた。言い訳の余地もなく、反省する事しか出来ない。十郎の気が俺に逸れていたお陰で八束さんの報告より前から作戦は再開されていたそうだが、そんな成果は所謂結果論であり、不幸中の幸いというだけだ。非に変わりはないし減りもしない。

 友里ヱさんが争っていた所まで連れてこられると、八束さんはこれまた音もなく姿を消した。本当に亡霊みたいな人だ。いつ現れていつ去っていくのかまるで把握出来ない。

 そういえば投擲物のサポートを命じられていたけど、十郎の一件で頭に血が上っており何の用意もしていない。後々から連鎖的に後悔するこのどうしようもない愚かさは治らないらしい。

「あー景君! 何処に行っていたの!?」

「すいません。ちょっとトラブルがあって……そっちは……」

 大丈夫かどうかを尋ねるまでもない。彼女の着物をは返り血で真っ赤に染まっており、そこには色彩の繊細さや芸術としての彩りは微塵もない。ただ殺して、そこに色がついただけ。

 連れの侍女達にも大した怪我はなく、作戦は成功したようだが。

「……信者の人達は?」

「全員無事という結末があれば良かったね~」

「…………もしかして俺のせいで、死にました?」

「いやあ、陽動というか囮というか、体よく利用したのは私だし~。景君が気に病む事はないよ。素人が軍師気取って俺がここに居れば結果は違っていたって言うようなものだから。戯言でしょ?」

 暗くて見えにくいが、救急車に搬送されているのが生き残った人達だろうか。不思議なのは誰一人として目立つ外傷がないという事だ。やり取りも見ている限りは元気そうで、搬送されて然るべき人間には見えない。

「勿論治せる人は私が治したよ~。死んだらそれまでってだけ。私さ、私の善意をたてに好き放題暴走してくれた人が大っ嫌いなの。だから詠奈様の命令がない限り私は表に出たくなかった。こうやって復讐したくなるから。何が弱者なの本当に。立場を得た瞬間同じ事する癖にさ」

「…………もしかして今日連れてきた人って、以前の―――」

「それだけ私に入れ込んでる。あ、ごめん。私の傍に居れば強権的な振る舞いが許されると思ってる人なんだよー。搬送はせめてもの理性かな。さっさと離脱してくれないと殺したくなるし、用は済んだからとっととどこか行ってほしい」

 救急車がサイレンを鳴らしながら運ばれていく。それはあの『王奉院詠奈』も権力では止めていなかったようだ。友里ヱさんは作り物の笑顔を俺に向けると、俺の手を引いて山の中へと入っていく。

「さあて、外は潰したし、次は中の人を減らさないと。十郎君が暴れてる間に結構な人数が投入されたって春から聞いたよ~。みんなー! 私についてくるように! 次の作戦に移りまーす!」





















 投擲物は素人でも何とかなる。

 「いやきついってこれえ!」

 

 全て欺瞞だった。


 双方から飛び交う銃声、爆発物。断続的に響く轟音。友里ヱさんの言う通りの方向に指定の投擲物を投げるだけの仕事と侮るなかれ。それがすでに大変だ。自分の所にいつ弾が飛んでくるかも分からないのに投げないといけない。ノールックで投げられるような熟練者でもない。

 私有地である山の中という局所的な戦闘でこれだ。春はもっと大規模な範囲を一人で当たっているなんて、信じられない。不可能だ。

「景君あっちの方向に一つ! その円柱っぽい奴!」

「いやもういつまで戦えばいいんだよ! 敵は減ってるのか!?」

「敵は挟まれてるからいつか銃声は止む! そう信じて戦うの!」 

 そういわれても手応えがない。前は春が止めて後ろは俺達が封じこめているとは言っても、所詮前方に一人だ。幾らその肩書が殲滅屋だからって数的不利は覆せない。前に進めば進むほど楽になるなら退散する理由がない。俺達の努力は報われるのだろうか。

「春は大丈夫なのか!」

「むしろ、あの子の領域まで進ませるのが目的だから大丈夫! 十中八九数で不利なら耐久戦をさせなければいい! 景君、姿勢は絶対低くして。煙を吸わないようにね!」

「は!? え!?」

 こんな真っ暗闇でも、見逃せないモノはある。




 例えば、燃え盛る炎とか。

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