叛意で以て突きつける。貴方を殺しに来ましたと
今日も俗世間は何事もない夜を過ごしている。
この部屋でテレビを見ているとつくづくそう思う。時刻は午後の十時を回った。時間帯の問題だろうか。グルメに軸を置いたバラエティを避ければ一つくらいはニュースを取り扱っている。民主主義の本質という題材は、見るだけで失笑してしまった。民主も議会もない独裁同士の対決が始まろうとしている。彼女達はともに王様であり、だが全てを統べる者は二人も要らない。
詠奈は怠惰だったかもしれないが、俺の大切な人だ。
『王奉院詠奈』は完璧だったのかもしれないが、俺の敵だ。
―――何度も何度も決意表明を重ねているが、その度に思う。
『王奉院詠奈』というのは紛らわしい。あの人には偽名がないのだろうか。せめてそれを教えてくれればそう呼ぶのに。それとも彼女にとってはこれがある種の選挙であるとも考えているのだろうか。およそ民主主義とは言い難い、物理的な選挙だ。候補者同士で文字通り潰しあう。どちらかが死ぬまで終わらない。どちらも物理的手段に応じる余地はあり、そうなった場合には相手方に勝ち目がないのが特徴的だ。詠奈の影武者は何人も殺されるのに本拠地を襲えないのが証拠である。政治は一枚岩じゃない。厄介だからと物理的に彼女を狙ってそれが失敗したときにおこるのはしがらみが連鎖する絶対の破滅だ。誰しもバカな行動をした人間を処罰して甘い蜜を吸いたい。詠奈に恩を売っておきたい。
それが彼女を守る盾でもあったが、今夜ばかりはそれもない。さて、どうなるか。
『あー、もしもし。景夜、見えてる?』
『見えてる。そっちの変化は?』
通路を逆戻りして会話するのは、わざわざこっちに来た意味がない。モニター越しに詠奈とは連絡を取る事になった。内と外の連携が円滑に取れて初めてこの状態は意味があるのだと。
『残念だけどまだね。一度始まったならともかく、開戦自体は向こうが好きなタイミングで始められるというのがもどかしいかしら。君も含めて作戦は、山の外側から攻めてくる敵を挟み撃ちにする事よ。相手は山から外側が自分のテリトリーであると信じて疑ってない。先に見つけ出す事が出来なくても、攻撃が始まれば確実にカウンターを返せる』
『あの人はどんな風に攻めてくると思う?』
『本命は山に火をつけて追い立てるつもりだと考えるわ。アイツは奇策に拘ったりしない。一番勝率の良い方法を取るでしょう。本当になりふり構ってないなら空爆もあるでしょうけど……』
『機械』が使えない状態にある事を詠奈は知らない。行使出来る条件がある筈だと睨んでいるだけに、大規模な攻撃は意識せずとも条件を踏みやすい。それだけなら放火も同じカテゴリだが、ただ火がついただけなら逃げるだけでもいいし、『機械』を行使するかどうかの目安にもなりやすい。対処のしようがないならそれだけで詰みと、空爆に比べてコストパフォーマンスが高いし手段としては現実的だ。
彼女が空爆を使うには詠奈の権力に乗らないといけないが、まともな頭をしていたら自分の家に空爆なんか実行しない。流石にその指示くらいは本人に確認が入って止められるだろう。
『ただ、それくらいは向こうにも伝わっていると思うわ。誰でも思いつく本命行動だもの。そう簡単には見つからないと思う。幸いなのは民間に被害を出す気がない所ね。そうじゃないならもっと対処の難しい方法が使えるから』
『お言葉ですが詠奈様。被害を出してくれた方が見つけやすいという考え方も出来ましょう。例えば目撃者を発見次第射殺なら騒ぎになりますから』
『八束さん。お腹の子供は大丈夫ですか?』
『特に問題はございません。此度、私は詠奈様の剣としての役割を果たせませんから』
『まさかアイツがそんなに八束の事を警戒していたなんて思わなかった……こんな事ならと思う反面、貴方達には子育てのノウハウを獲得してもらって私のサポートをさせたいから計画に変更はないわね』
『…………少し風に当たってまいります。命を生かす仕事は私の不得手とする所です。仕事を多重に請け負う物ではないでしょう』
八束さんが去って行った所で俺も二階の様子を見に行った。モニターは常時繋がっているから話そうと思えばいつでも話せる。今は外の動向を観察しないと。二階では暗がりで友里ヱさんが何か機器を弄っており、窓は開け放されたままカーテンが引かれている。最低限の遮蔽だ。
「何してるんですか?」
「通信傍受出来ないか画策してる~。まさか口頭で指示を下す程の少数精鋭とも思わないんだよね~。ある程度の人数と距離取って連携したいなら使うと思うんだけど」
「…………それ、向こうも同じ事考えてたりしませんか?」
「盗み聞きについては、大丈夫。近頃のセキュリティの進化は凄いねってのが一つと、万一聞かれても問題ないやり取りばかりでしょ? こっちの動きは知られた所で大丈夫。例えば春ちゃんが今どういう装備をしているかは伝わってない。これが伝わってたら問題かもしれないけどね。同じ事は私にも言えるけど、時間とお金を掛ければこのくらいのセキュリティは超えられるからさ」
カーテンを開けて山の方向を見遣る。動きはないし、天候の変化もない…………至って普通の日。だが嵐の前の静けさとも言うだろう。最後の引き金を引かせたのは俺だ。決して油断は出来ない。
「…………そういえば、内通者ってまだ居ると思いますか?」
「居ても居なくてもいいんじゃない? だって景君が何をするかは誰にも伝えてないんでしょ。詠奈様すら知らないなら誰も知りようがない。肝はそこなんだからそこが無事ならどうでもいいよ。現代は情報戦だけど、そんな些細な情報で何とか出来るほど詠奈様の首は安くないもんねー」
『王奉院詠奈』が幾ら情報を握っていても、『機械』の現状と俺の作戦は絶対に漏れていない。それは彼女がくれた唯一の勝機だ。嘘を並べても見破られる。駆け引きは終始綱を引っ張られる。言わない事は誠実さであり、究極の防御だ。発言してもない事に嘘も本当もなく、それがないなら騙すも騙されるもなく、駆け引きの余地が存在しない。唯一意図を見抜く事は可能だが、それすら情報が足りていないので十分ではない。
ガタッ。
「ん?」
誰も触れていない棚の人形が倒れた。友里ヱさんと二人で見つめあって、一方的に首を傾げてしまう。
「触りました?」
「私は触ってない。けどさ、景君。覚えてるかな。あのぐっだぐだな映画撮影で私が死神云々言ってたの。私が買われた一番の理由は霊感のない詠奈様に代わって霊能方面のサポート出来るからだよ。たまに頭のおかしい人が本職さんの呪いをかけようとしてくるから、主にその防衛だけど。こういう使い方も出来る」
友里ヱさんが立ち上がって階段を下りていく。暗くて分かりにくかったが彼女がついさっきまで座っていた場所には大量の髪の毛が束で転がっており、それらは規則的に並んでいるが棚の人形と直線で繋がる方向だけがばらけて散っている。
後を追うように階段を降りる。降りきるより前に友里ヱさんの声が聞こえた。
「詠奈様! 屋敷から見て三時の方向です! みんな、食後の休憩はおしまい! 作戦を開始するよ!」
何をしたかって俺には分からない。霊的何か、というくらいでそれはきっとまともな人間が理解していい世界ではないのだろう。まともじゃないから崇められた。まともじゃないから人を救えた。まともじゃないから詠奈が買った。それだけの事。
『……皆さん、如何ですか? 私の身を狙う怪しい集団は確認出来ましたか?』
『確認! とんでもない! 大御門様を狙う輩には言論にて対話を試みている所です! しかし彼らは恐ろしくも銃を所持しています! 国の法が! 軽視されている! ただいま警察に連絡している所です。大御門様はくれぐれも近づかぬよう……』
ババババババンッ!
電話越しにも聞こえる銃声。続く悲鳴、狂騒、携帯電話の落ちる音。現実にもしっかりと反映されている。
「手を出したのか…………景君は警察呼んで、みんなは私についてくるよーに」
「警察は使えない筈ですけど!」
「それは詠奈様が私用で動かす時でしょ! 私は公の場に出て私人の立場を新たに確保した。私の信者は一般人。警察が動かない訳にはいかないの~! ほら早く電話電話! こんな戦争誰も知らないんだから動いてくれるよ!」
多くは言わず、友里ヱさんは自らをリーダーとしてメイドを引き連れ現場へと急行する。直接警察に介入出来ないから助けには期待出来ないものと考えていたが、そういう使い方か。手を出さなければ足止めを食らい、手を出せば警察は向かわざるを得ない……成程。
『もしもし警察ですか!? あの、えっと実は銃声が―――』
『随分小賢しい事をしてくれるじゃない。こういうのは不公平ではなくて?』
背筋がゾッと総毛立つ。背後にナイフを突きつけられたような、意識の外から過ちを悟らせる無機質な声の刃。
『…………ど、どうやって』
『権力の強さをお分かりになって? ああ、こっちの発言については気になさらないで。小賢しいのも戦争の醍醐味。私は褒めているの。そう来なくちゃ、全面戦争としての気概がないから』
『どうやって突き止めたかは分からないけど、ご褒美にお望み通りの事をしてあげる。またね』
電話が切れると同時に俺はコックの家に帰宅した。やらなければならない事がある。今の会話を詠奈に伝えないと。
『詠奈! 気をつけろ、さっき電話が来た! 多分こっちの考えてる事はある程度筒抜けで、放火してくるぞ!』
『落ち着いて景夜。何処から放火するって言った?』
『それは聞いてない……けど』
『それじゃあ悪いけど先手を打った対処は出来ないわね。こっちでも今問題が起きてて―――困った事に、山中には春しか残っていないの。全員引き上げさせたわ。人員が減ると困るから』
『何が起きたっ?』
詠奈は迷うように視線をあちこち送った後、「ごめんなさい」と一言前置きして、言った。
『國松十郎が向こう側についたみたいね。何人か被害に遭って、死んではいないけど回収にも時間がかかるし、回収係も襲われるしで解決は春に任せるしかないの―――って景夜!?』
そういえばそうだ。
アイツは俺に恩があっただけで。
詠奈への恨みを忘れた訳じゃない。詠奈さんが居なくなった今、もう一度同じことをすれば今度こそ達成出来る。
そんな事は許さない!