一夜一山の超限戦
制限時間は夜までの数時間。詠奈は直ちに号令をかけて全てのメイドに準備をさせた。何処かしらの操作によりすべての窓枠にシャッターが入り、鋼鉄製へと置き換えられる。普段から詠奈の指示を聞き、また直属の上司とも言える八束さんや彩夏さんからの指示だ。詳しい事情は聞かされずとも詠奈に買われた道具達はてきぱきと準備を進めていった。
「武器庫を解放してください。全員、グレードⅢの装備を着用するように」
「私たちは非常食を取りに行きましょうねー。それと調理器具は一時的に片付けないといけません。非常事態ですからね」
「姉さんは部屋に行って春のサポート。各員は部屋を点検して裏口になりえるような場所のチェック。破損はないと思いますが念の為」
『あーあー。こちらお頼りマシマシの春でーす! 山中の巡回も一先ず終わり、まだ敵影の確認は出来ておりません! トラップの設置とバリケードの作成を引き続き、先制攻撃にも警戒します。発見次第、そっちで自動アラートが鳴るので私は交戦状態に入らせてもらいますねっ!』
寝室の扉を半開きに、戦争の下準備を目撃している。
俺はやるのは最後の仕上げ。『王奉院詠奈』殺しは俺に一任されている。俺だけが出来ると確信している。チャンスは一度。奇跡を起こさなければ勝利はない。国の王様が変わっても世間は何も変わらないばかりか、ひょっとすると良くなるかもしれない。
あらゆる権力の収束する先に位置する究極の権力。雁字搦めと言われたけれど、一方的にそのしがらみを破棄出来る力はある。国の為に帰ってきたのなら、それまでずっと投げっぱなしだった王様に比べれば遥かにマシな世の中になるかもしれない。
だが駄目だ。それでは俺の好きな人が不幸になる。世界でたった一人、詠奈だけが痛みを受ける。認められない。受け入れられない。俺を救ってくれた子が救われないなんてどうしてもどうしてもどうしてもどうしても納得がいかないのだ。
その為に俺は戦っている。他の誰でもない、好きな子の為に。
「……………………詠奈さん。俺、やります。貴方の代わりに、詠奈を守ってみせます。貴方が居てくれたから出来る事だ」
―――本当は、貴方にも生きていてほしかったけど。
生きて詠奈が幸せになる瞬間を見てほしかった。でもそれは叶わない。だからせめて、その意思を引き継ぐ。扉を閉めて集中した。人を殺す事に怯えているのか、それとも自分が出来るか今更不安になったのか。だが俺がやる。そう決めたから詠奈も腹を括った。それまでの道筋は確実に作ると保証した。
「…………」
詠奈と出会ってからこれまでの、沢山撮った思い出のアルバム。詠奈はいつも俺の傍で支えてくれた。瞼の裏に浮かぶのは楽しかった日々。救いの世界。王奉院詠奈は俺の全て。俺の最愛。俺の――――――
「景君。思い出に浸ってるの?」
「え」
つい没頭しすぎていたか。声をかけられ顔を上げると、真っ白い着物を着た友里ヱさんが艶やかに微笑みながら俺の様子を窺っていた。いつものウェーブがかかった髪は簪でまとめられている。喋り方は同じでも、服装が違うだけでこうも別人に見えるか。今の彼女は配信の中から出てきたように見える。
「あ、あれ? 外で仕事してた筈じゃ?」
「詠奈様のご命令でね。でも面倒だし景君、私とデートしない?」
「………………それは」
一人だけ情報を共有していないなんてあり得ない。価値ノートを手に取ると、頭を振って対抗する。
「友里ヱさん。俺は逃げませんよ。戦う事に決めたんです。大切な物を守る為に戦う。これが愚かだって笑う人も居るかもしれないけど、そんな奴に評価されるより詠奈が大事だから」
「私は笑わないよ~。あれはおかしいこれは違う。お前はおかしいアイツは駄目だ。思想あっての発言ならいいけど、みんなとは見えてる世界が違うとでも言いたげにあれこれ否定しながら傍観を続ける人よりは、行動に移せる人の方は結果が伴うからね。成功にせよ失敗にせよ―――私の奉仕活動が結果的に破滅を招いたみたいに、色々あるけど。やる事は大切。いい男になったね景君。ふふ、これなら子供を産んであげてもいいかな~」
「か、からかいにきたんですか? 仕事がないからって良くないと思います」
友里ヱさんは俺の手を取ると、甲に指を重ねながら耳元で囁く。
「逃げるなんて、しませんよ。私は景君の戦いを手伝いに来たんです。一緒に来てください。最後の仕事よりも前に―――貴方も詠奈様に買われた道具の一つじゃないですか」
穏やかな笑顔に軽薄な雰囲気は感じない。目の錯覚みたいなものだ。見た目で印象は決まるがその印象自体が当てになっていない。ノートをコートのポケットにしまうと、友里ヱさんに連れられて外へ出た。屋敷の城塞化は着々と進んでおり、詠奈は執務室から全体の統率を取っているのだろう。
「何処に行くんですか?」
「厨房」
厨房に暫く用事はないはずだ。ドタバタと忙しそうなメイドの横をすり抜けて普段はコックが占領する厨房に向かう。床下収納の扉が開いており、梯子が伸びている…………梯子?
「え、ここっ調味料とか入れる場所じゃないんですか?」
「特定の手順、もしくは反対側から開けると地下へと続くようになってるんだ~。私が外で仕事してたんじゃって聞いたよね。答えはそういう事。普段の使い道は緊急避難通路なんだけど、今回は違う。戦う為にここから逃げるって感じ」
そういえば、靴は下に置いてきたのだろうか。友里ヱさんが率先して梯子を下りて行って、後に続いた。シンプルな玄関と下駄箱が用意されているだけで、それ以外は殺風景なものだ。梯子は三十秒くらい続いたのにまた随分とちっぽけな地下室で。
扉を開けると長い通路が伸びていた。コンクリートで固められたトンネルが、一切の明るさも持たないまま暗闇を蓄えている。下駄箱の上に懐中電灯があったのはそういう事だろう。友里ヱさんが手に取って先導してくれる。
「籠城って、基本的にどっちが有利か分かる?」
「…………ホームグラウンドだし、こっち側が有利なんじゃないんですか? 国中から敵が押し寄せてくるとかじゃないし」
「短期的に見ればそうだね~。でもそれはきちんとした籠城が出来ていたらの話。この山は普段私達の生活場所として使われてきたでしょ。今更防壁を築いても限度がある。もっと直接的に言えば、山に火をつけられたらそれだけで時限爆弾をつけられたような物だよ」
「あ、確かに」
「春ちゃんはそれを警戒してる。でも内側からじゃ限界があるよね。私達で外側からも止めないといけない。もう何人か向こうで待機してる。コックには悪いけど、民家に溶け込んだ拠点ならまずバレない。詠奈様が頑なに景君以外を住まわせなかった事がこんな形で功を奏するとはね」
それは功と言っていいか微妙だが、何が活きるかなんて分からないのは確かだ。友里ヱさんの背中以外は何も見えない中で十分以上歩かされたような気がする。屋敷の中同様、ここには時計がない。携帯を見ればいいだけだがながら見で歩くのはマナーが悪いとか以前に危険だ。再三繰り返すが、ここは暗所である。危ない理由は説明するまでもない。
「最初に言っておくと、景君に銃は使わせないよ。素人だしね。ただ投擲物は素人でもある程度何とかなるからそっちでサポートしてもらうよ。相手もまさか、詠奈様の大事な人が民衆の中に紛れてるなんて思わないだろうな~」
「……民衆?」
メイド達の事を言っているにしては言い方が妙だ。そう考えたところで―――思い至った。
「…………貴方の信者を、こんな事に加担させるつもりですか?」
「こんな事? たんなる数的有利を埋める為の作戦だとでも思ってる? 正しいけど、それは違う。私の信者は飽くまで本命を誘い出す為の下準備だよ…………景君、命懸けてるんだってね~。それをこんな事なんて言わないでよ、少なくとも私は景君大好きだから、使える手は使うだけ」
「うわ、俺の家が職場みてえになっちまったよ」
「すみませんコックさん。俺までお邪魔しちゃって」
「いや、そういう指示だしいいんだが……何が起こってる? 事情が分からねえ。あの王様が誰と戦うんだ?」
コックには料理以外の指示がない。仕事がない。詠奈が評価したのはその腕前であり、それ以外の能力は求められていないのだ。気楽な仕事環境と思う反面、職場と家が直通なのはちょっと……好き嫌いが分かれても仕方ないと思う。
「詳しい事情は俺以外知らないと思うし、国家機密だから教えられません……って言ったら怒りますか?」
「泥沼化した戦争みたいな事言うなよ。前線の兵士が戦ってる理由を知らないってあれな。はあ…………俺がこっち行かされたって事はあれか。向こうは戦場か。いつの世もやなもんだ。どうするよ、大した食材はないが料理でも振舞ってやろうか。兵糧は大事だろ?」
「え、いいんですか!」
「ラッキー!」
「ぜひぜひ!」
現代においてコックが作るきちんとした料理を兵糧と呼んでいいかは疑問だが、士気が上がるのはいい事だ。夜という時間帯の都合上、カーテンを閉じる事も雨戸を出す事も不自然ではない。警察の張り込みよろしく、いつでも外の様子は窺える。
「そういえば信者の人達は何処に居るんですか?」
「外回りしてもらってるよ。早い話が捨て駒だけど、手を出されても出されなくてもいいから適当にね。戦争はもう始まってる。よーいドンで始まるなら世の中苦労しないんだよね~」