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価値なき俺は国家令嬢に約束を

 彩夏さんを連れて無事に帰還した。道中の襲撃には気を使ったが開戦準備を促したように『王奉院詠奈』はこれ以上小細工をするつもりはなかったのだろう。車が銃撃される事も爆発物を投げ込まれる事も、誘導された警察に妨害される事もなかった。

 屋敷の扉を開くと、エントランスをうろうろと歩いていた詠奈が真っ先に見えた。きっと俺達を心配していたのだ。「ただいま」と声をかけると、彼女はぱあっと目を輝かせて駆け寄ってきた。

「きゃっ」

 

 そして何もない場所で躓いた。絨毯はあるが、踏んだくらいで滑るような小さい絨毯ではない。本当に何もない場所で勝手に転んだのだ。幸い、前方には俺が居たので受け止める事は出来たが、それ自体が俺にとっても不意の出来事だったので反応出来なかった。

「「「詠奈様!?」」」

 多くのメイドがどよめいたのは初めてかもしれない。詠奈は暫く動かなかったが、何事もなく立ち上がると身を翻して階段を上がっていった。

「よく無事に帰ってきてくれたわ。ただ、私は珍しく怒っているわよ。君は後で執務室に来るように。聖と彩夏は部屋に戻っても大丈夫よ。君はすぐに私の下に来るように。いいわね?」

「え、あ、はい」

 怒っている…………?

 そんな風には見えない事もないが、詠奈が起こっている姿を見た事がない訳じゃない。もっと声音にドスが利くようになって口調も荒くなる。それが現れていない時点で怒っていると言われてもたかが知れているのではないか。

 とはいえ俺は所有物だから、主人の怒りを舐める必要性がない。詠奈の移動を契機にメイド達は次々と散っていき、なんだか取り残されたような感覚に陥った。

「聖、俺はどうすればいいんだろう」

「え…………執務室に行けば良いと思いますが」

「だよな……」

「へ……?」

「沙桐君、早くいかないと詠奈様のお怒りがどんどん蓄積しちゃいますよー? 私は大丈夫ですから、行っちゃってくださいっ」

「は、はい。じゃあ行きます」

 怒っていない、筈。

 詠奈と一番濃密な時間を過ごしたのは俺だから、俺が信じられないのはどうも話が違う。確信は疑念に代わり、疑念は不安に変わる。『王奉院詠奈』と対峙して気分が高揚していただろうか。恐怖とは興奮、あの時俺はきちんと自分の頭で考えて話していると思っていたがそれすら勘違いだったかもしれない。階段を上る足が心なしか重いのは、最早自分の経験など微塵も信じられていない証拠だ。

「…………」

 断頭台を上がる死刑囚の気持ち、は大袈裟だ。詠奈は俺を殺さない。だけど何かとんでもない事が起きる気もしている。いっそ口笛でも吹きながらステップを踏めばすぐにでも行けるのに、いつも使ってる階段がとてつもなく長い。

 どうにか魔の十三階段(十三段では済まないけど)を乗り越えて執務室の扉を叩く。中から返事が返ってこないのでこれは相当怒っているかもしれない。怯えた子供は自分の悪行は理解出来なくとも怒られる事が嫌なので親の顔すら見られないというが、正に同じ気持ちで俺は恐る恐る扉を開けた。

 詠奈が机の前に座っている。が、背中を向けていて表情が分からない。

「…………失礼しまーす」

 呼ばれたのは俺で、気づくも気づかないもないのに音もなく扉を閉めたくなる。机の前まで忍び足で歩いて、その場に直立。

「………………景夜。私は怒っているんだけど」

「は、はい。何でしょうか詠奈様」

 詠奈はくるりと椅子を回すや、カジノで見かけるようなチップを一枚、机の上に滑らせた。

「私は君に生き延びてほしいって思っていたのに、戦争吹っ掛けるなんて何考えてるの。王は孤独でなくてはならない。孤独で決断者足り得なければ、誰かに相談して背中を支えてほしい仕草を見せるならそれは王の器ではない……私達はそんな風に育てられたけど、君は違うでしょ。喧嘩を売るならせめて事前に一言欲しかったわね」

「…………何も捨てたくないんだよ、俺は」

「君は私達とは違う。お金で買えないものはあっても、命は金に代えられる。私という価値の全てで君を生かせるなら、それは願ってもない事よ。大丈夫、何人か傍につけてあげるから生活は問題ないわ。私が居なくても自由に暮らせる」

「生きていられても、全部失ったら死んでるようなもんだ。俺は絶対に考え直さない。お前がお金で親の絶対の支配を解いてくれたように、今度は俺がお前の支配を解いてみせる。運命に愛されてる天才でも、王様としての生き方しか与えられなかった廃人でも、お前の恐怖を取り除く。詠奈、勝とう、この戦争。俺達の日常を取り戻すんだ!」

「…………………………何を言っても無駄なようね」

 詠奈は大きなため息を吐くと、席を立って棚からチェス盤を取り出した。

「一応、無駄な努力を改めてしただけ。君が言う事を聞かない事はもう分かってた。特に、この件は。私に使えるリソースはない。賭けられるのは己が集めた資産のみ。机の上のチップ一枚。それが君のチャンスだと思って。賭ければ保険は効かないし、それで勝負はおしまい。道中の知略は期待していないからそこでの指揮を執るのは私。それでどうにか勝率は三割。やる?」

「やる」

「私の頭が幾ら良くてもアイツの運命に勝てる気はしていない。公平な条件で戦えば勝ち目はないわ。勝つ為の下準備は大丈夫? 勝負事においてアイツは完璧よ。それをどう打ち破るのか……打ち破れるのか……いくら君でも、私は信じてあげられない。良く知ってるから」

「それが思い込みだっていうんだ。あの人も決して完璧じゃない。イカサマレベルで運が良くても足りないものがある。意図的なのかゾンビになってるせいで脳が腐って気づかなくなったのか……分からないけどさ」

「足りないもの?」

 詠奈は少し首を傾げて虚空を見つめる。少し待っていると、目を細めながら頭を振った。

「ごめんなさい。思いつかないわね。私もあれも王奉院詠奈には違いない。だから差異を考えてみたけれど……身体的特徴くらいしか思い浮かばなかった。それは違うわよね」

「ああ。それでもチャンスは確かに一回しかない。誰の被害も出ないってのも保証出来ない。俺が吹っ掛けた喧嘩だけど、何人かメイドが死んじゃうかも。でも最初で最後のチャンスだ。分かるだろ」

 『機械』にはもう頼れない。それを向こうが把握出来ていないからこそのチャンス。『王奉院詠奈』は今夜にでも攻めてくる。挑発に乗ったというからには、それはもう準備が整い次第直ぐにでも来るだろう。

「……メイドについては死なないわ。さっきも言ったけど、私が全力で指揮を執る。アウェーならまだしもここは何十年と生活してきた私達の山よ。絶対に誰も殺させない―――君が勝つ事を祈ってるわ」




「大丈夫だよ詠奈。お前の人生計画に注釈も記載ミスも入れさせない。お前の為なら死ねるけど、お前の為に俺は―――生きて勝つさ」



  

 チップを手に取り、部屋を出る。

 何処で勝負に出るかは俺次第。詠奈は俺の邪魔をしない。俺とあの人が戦うまでの道のりを作ってくれる。

「……………」

 部屋に戻ると、詠奈が怪訝そうに眉をひそめた。

「忘れ物?」

「いや、そうじゃないけど…………やる気を出したくなってさ」

「やる気…………キスくらいなら、いつでも―――」



















「俺があの人に勝ったら、式を挙げよう! 卒業までなんて待てない! 結婚しよう詠奈!」

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