国主継承の行方
その言葉を、待っていた。
その慈悲を、望んでいた。
『王奉院詠奈』が自らを支配者であると語るなら、その言葉もまた絶対である。おっかなびっくり国民から信任を得るような政治家などではなく、彼女は根っからの王様だから。
「二言はないですね?」
「そんな確認は時間の無駄ではなくて? 私は引き受けた、貴方は私を挑発した。気にするべきは言った言わないではなくて、今すぐ主人の下に戻って開戦準備をする事でしょう。貴方に出来るのはそれくらいよ。そんなに理由が必要なら―――劔木八束は獣の理で生きており、万全の状態で相手をすれば非常に手がかかる存在だから」
「獣の理?」
「気配、という概念は分かると思うけど、そんな感覚は実際存在しないわ。不自然な物音や匂い等の雑音を総合してそう呼んでいるだけというのが殆どで、幾ら剣の達人であっても例外はない。けれど、劔木八束は生の気配を感じ取っているとしか説明出来ない程に、敏感なの。仮にも私は王の正統な後継。誰にも理解されないようなこんな事は言いたくないけど、おチビさんの持つ機械と同等以上にあれは人間からかけ離れているわ。かといって怪物扱いもしない。怪物は首輪なんてつけられないでしょう?」
『王奉院詠奈』はそれだけ伝えると、背中を向けて悠々と歩き去っていった。会話についぞ割り込めなかった聖からの射撃を受けたが、やはり一発も彼女に当たる事はなく。射線はきちんと通っているにも拘らず。
「それはあらゆる意味で無駄だからやめなさい。程なく訪れる決戦まで―――ごきげんよう」
俺は慈悲を蹴った。退路はとうに失われている。『王奉院詠奈』の気持ちを最後まで汲み取る事は出来なかったが―――普段の詠奈があの人のマネをしていたのだとしたら、喜んでくれたのではないだろうか。感情を感じられない声音は最後まで続いた。明らかにふざけているだけの言葉遣いも、あそこまで淡泊に言われると本来ある筈の礼節も、或いは傲慢による無礼も感じられない。
「……景夜様! 何を考えておられるのですか!? 貴方が死んでしまえば詠奈様は…………」
「ごめん。でもあの人に向けた事は全部本当の気持ちなんだ。怖いなんて思ってない。詠奈が警戒していても、気をつけろと言われても、恐怖を感じられないんだ。それは勿論、手を出されないって確信の上で成り立ってる無謀だけど……」
無謀にしては、日常すぎる。俺の生活は暴力とは程遠い場所にあった。学校の治安も……イジメがあった手前良いとは言わないが、不良が跋扈し、左を向けば殴り合い、右を向けば器物破損というような一昔前の治安の悪さはなかった。
それと同じように、あの人と文化祭でデートをした記憶がいつまでもこの胸には残っている。詠奈に顔を見せたかっただけなら、あれは何の意味もなかったのに。
「―――とにかく、彩夏さんを解放しに行きましょう。今のやり取りの最中に割り込む瞬間は幾らでもありました。それが出来なかったというならば、拘束されている可能性が高いかと」
「ああ、怪我してないといいけど……」
放送室への階段を駆け上がると、読み通り彩夏さんはパイプ椅子の上で縛り付けられていた。猿轡が声を出す事を封じていたようで、外から見た感じでは怪我はない。
「彩夏さん! 今助けますっ」
「…………!」
拘束以上の仕掛けもない。本当に攫うだけ攫ってみたとしか言いようがないほどに単純だった。足を縛っていた縄を解いた瞬間、彼女は覆いかぶさるように飛び込んできて、甘えるような声を出した。
「沙桐君~ 怖かったです~!」
「彩夏さん、怪我はないですか?」
「はい! 特に衰弱も消耗もしていませんよ。攫われた時はどうなるかと思いましたが、あの人は私に興味がなかったようで、放置されましたねー」
「興味がない? …………先程の会話を信じるなら、彩夏さんは餌として使われたのでしょうが、それでも無関心というのは妙ではありませんか? 詠奈様が目をかけている事も知っている筈ですが」
『そういうのは全部、景夜様に聞いてみたらどう?』
沈黙を守っていたタブレットから獅遠の声が聞こえてくる。電波を遮断されていたから黙っていたのではなく、彼女もまた聞いていたのだ。俺と『王奉院詠奈』のやり取りを。
『景夜様は大層、相手を理解しているように見えましたが?』
「…………勝手な推測になるけど、あの人は何にも興味なんてないと思う。いや、厳密には詠奈が行使出来る機械だけは別だろうけどさ。それも未知からの恐怖ってだけで―――なんていうんだろう。上手く言い表せないな。渇いてるんだよ色々と。何か一言で表すような言葉があると思うけど……」
『哲学ゾンビって言いたいのね、君は』
獅遠がずっと敬語をやめない所から傍で聞いているのは分かっていた。俺は代弁者のように振舞ったがあのやり取りは彼女も聞いていたのだ。主人に報告ではなく戻って準備をするべきだと言ったのは、あの人も気づいていたからではないだろうか。獅遠の変化なんて分からないだろうし、何を根拠としていたかは見当もつかないけど。
「哲学ゾンビ?」
『情緒豊かという言葉があるように、感情とは潤いなの。哲学ゾンビとは科学的にも人間で見た目も人間、でも心は機械のように無機質になってしまっている状態の事ね。私は、まだ手遅れとは思っていないけれど。そうなりかけている気は確かにしたわね。多分だけど、私を殺して王位を簒奪したその日には――――――誰も、それに気づく事はなくなるでしょう』
「詠奈のが詳しそうだ」
『景夜の買い被りよ。あの子に詳しい人なんて何処にもいない。いつもふざけて、茶化して、時には冷酷に振舞って。本心が何処にあるか最初から最後まで分からなかった。私が騙した事を知って、当初怒った事は本当でしょう。でもそれは過去の話。今はどうか分からない。言動が信じられないなら行動から過去の感情を想像する事は出来る。でも現在は? 王は慈悲深くあるべきとされたけど、その気概は他者と己の断絶よ。誰にも理解してほしくないという気持ちは、自分にも理解出来なくなれば心のブラックボックスと化す。やりたい事と考えている事が一致していなくても誰も気づかない。あの子は絶対の王様。相互理解を求めない。完璧な独裁を、国益をもたらし栄光を取り戻す為の機能として振舞う―――私達はそう育てられた』
メイドが知らないような事情も含めて全て喋ってしまっているのは迂闊だろうか。いや、そうは思わない。俺の言動によって退路は断たれた。時間をかけるような方法はお互い取れなくなり、戦争の火蓋は切って落とされた。
『……恐れずに言えば、もう一度あの子と話してみたい。けど全ては手遅れでしょうね。ゾンビになってはいなくても、治療法があるとも言っていない。せめて感情を与えるような鮮烈な出来事が起きれば良かったんだけど…………』
「どうして手遅れみたいな言い方をするんだよ詠奈。手の付けられない病気と向き合うんじゃないんだ。俺が居る。哲学ゾンビって単語は初めて聞いたけど、それは要するにお前と出会う前の俺の事だろ。そう考えたら納得がいくな。空っぽなんて言われたけど、同類だった訳だ。だったら猶更、俺が殺さないといけない」
『―――私は、せめて君だけには無事に生き延びてほしいんだけど』
「お前はいつもそう言ってくれるけど、俺がやらなくちゃいけないんだよ詠奈。逃げろって前は言ってくれたし俺も頷いたけど。やっぱり駄目だ。あの人が前の俺と同じ状態になりかけてるなら猶更放っておけない。お前が俺の運命を変えてくれたように、俺があの人の運命を殺してあげないと」