奉ル影は王の歴史に終焉を
彩夏さんの信号を追って到着したのは隣の市の学校として使われていた場所だった。かつては何百人と通う小学校も、時代を経れば子供が減り、新しい学校が生まれ、そちらに人が流れていく。栄枯盛衰という言葉が表すように永遠はない。親しまれていたとしても過去の物だ。
「今現在使われてる建物にしなかったのはあの人なりの配慮かな」
「配慮……ですか?」
「別に詠奈の権力にタダ乗り出来るんだから立地なんて関係ない。わざわざここを選んだのは俺達が踏み込みやすくする為なんじゃないかなって思うけど……」
語弊が生まれそうなので心内で訂正しておくと、『王奉院詠奈』は敵なので踏み込みやすくするという事はそれだけ踏み込んでほしいという裏返しでもある。より一層罠である可能性は高まったが、しかし行かない訳にも。彩夏さんは詠奈の大事な所有物だ。
『気を付けて下さい、二人とも。一応ドローンを出して周りを見てるけど、今度は破壊される気配もなければ動く物体も発見出来ません』
聖はトランクケースからアサルトライフルを取り出すと、俺の前に立って慎重に校門を通過した。
「景夜様は私の背中を離れないで下さい。八束さんと違って、幅広く守る事は出来ませんので」
発信機のお陰でだだっ広い学校を虱潰しする必要がないのが幸いだ。彩夏さんは体育館に居る。これだけ隠し場所があっている場所が体育館というのが意識の盲点というか、発信機の存在に気付いている……? いや、どうだろう。詠奈はこれまでその存在を明かさなかった。いつぞやの内通者のような状態が再び起きたとしても知る事は出来ない。
『私がドローンで外の方を監視しておきますから、二人は後ろの事は気にせず突入してください。囲まれても大丈夫なように脱出ルートを幾らか構築しておきます』
「そういえば鍵はどうする? 普通に破壊していいのか」
「相手方も正規の手段で掌握していないでしょう。私達が尋常な手段に拘る必要は…………」
鍵がかかっていない。
扉が閉まっているだけで、誰でも簡単に侵入出来る。ここまであからさまだと流石に入るのは躊躇われた。例えばこれで勢いよく扉を開けたらトラップを起動させるとか。俺にその手の知識はあんまりないが、それくらいは簡単に想像出来る。聖と顔を見合わせて、別のルートを探った方がいいという合意が形成されそうになったが、窓から反対側の扉を確認すれば、つまり反対側に罠はない確信が得られる。
因みに窓から覗くだけでは彩夏さんは確認出来なかった。発信機と体育館の構造を照らし合わせると位置が少しずれているので、体育館の放送室にでも居るのだろう。それならどこから見ても発見は出来ない。
反対側から体育館に侵入する。放送室に行きたければステージ横の階段から上ればすぐだ。
「ここがすぐに分かったという事は、やはり個々人に何かしらつけているのね」
俺達が階段に足をかける前に、ギャラリーから『王奉院詠奈』が姿を現した。彼女と会うのも何度目になるか。表情はいつにも増してつまらなそうである。聖がすぐに銃口を上に持ち上げるも、彼女は微動だにせず表情に恐怖を見せなかった。
「撃ちたければ撃てば? 弾は当たらないか、それともそこで暴発するか……何にせよ私には通用しないわよ。はっきり言えばじ―――」
バババババババ!
あまりの騒音に思わず耳を塞ぐ。聖に容赦というものは存在せず、そこに敵が居たから撃ったような無機質さ。主の敵と分かっているからこその即断即決。何十発かの弾を打ち切って音が止んだ。
同じ場所に、無傷の王様が立っている。
「時間の無駄……まで言いたかったわね。少しは容赦して下さらない? もう少し近くないと当たらないわよ」
「どうして彩夏さんを攫ったんですか!」
「景夜様、会話は時間の無駄です」
「いいや、この人には会話しか通じないよ聖。試して分かっただろ。この人を運がいいだけの人で片付けちゃダメなんだよ」
ここまでくれば異能の領域。運命に愛されていると言ってもそれは決して過言ではない。果たしてその、神の幸運としか言いようのない理不尽を自覚的に使っているのだから性質が悪い。
ただしその運の性質は受け身であり、運が良すぎて歩くだけで相手を殺せるみたいな指向性のある使い方は出来ない。だから会話が有効なのだ。
「どうして攫ったか……まだ観察の最中よ。作戦を起こすには事前情報が必要なの。現代は情報戦だから……いくら私の運がいいとは言っても手は抜かない。油断もしない。所有物の一人を捕えればそれだけでハッキリする事があるのよ。例えば―――いつ如何なるタイミングで攫ってもそれを確認する手段がある。二人しか寄越さなかった、とは言ってもすぐにやってきたから重要度は高いが致命的ではない。殲滅屋を寄越さなかった所が特にね」
「……春の肩書を」
「私の手駒、特に現場で仕事をさせるのは世界中で拾った従軍経験のある人間よ。仕事をしていれば当然、殲滅屋を知る事もあるでしょう。まさかその一人がおチビさんに確保されていたとは知らなかったわ。彼女は非常事態において有用性の高い人間で、ここには来なかった。他にしたい事があったか捕まえた手駒の事はどうでもよかったかの二択で、でも二人がすぐに来たから後者はない。ほら、理屈まで簡単に説明できるくらいには色々分かってしまうのよ。驚いたかしら?」
「……俺達はまだ確認出来てないんですけど、もしかして彩夏さんを殺しましたか?」
「殺す? まさか。私は慈悲深いのよ。用事もなく殺すなんてする訳ない。人的資源という言葉もあるように、何者も有効利用しなくちゃね。私が捕まえたのが殲滅屋なら殺したかもしれないけど、戦闘能力はほぼない……多少心得がある程度なら、無駄にする理由がないわ。おチビさんを倒した後なら私が主人なのだし、そこで帳尻を合わせましょう。死ななくて良かったという事なら、感謝してくださってもよろしくてよ?」
「……………じゃあどうして、詠奈さんを。詠奈の影武者を殺したんですか」
「私が、慈悲深いから」
飽くまでその一点張り。まるでそれが人として正しい姿である事を強調するように。
「用事がなくても、相手が望めば殺すわよ。彼女は私に協力する気も更々ないし、王奉院にとっては地雷みたいな存在でもあったから―――要望通りにしてあげただけ。王奉院詠奈の偽物がこの世から消えれば、後はもう本物が消えるだけ。複雑な話は何処にもなくて、実に単純な話になる。私は別に実力行使に出てもいいのよ。今ここで二人を殺して宣戦布告してもいい。対等に戦えていると思うならそれは大きな間違いだという事を知りなさい。私はいつでも勝てる。いつでも勝利をこの手に引き寄せる。こんな私を知っても尚勝負する人間は決して多くはないけれど、居た事は居た。でも結果はいつも『勝てない』なの。貴方はどうかしらね」
「俺は勝ちますよ。貴方は打算で嘘も本当も言うタイプだ。嘘が見破られても問題ないように普段は立ち回るんでしょう。でも今度は話が違う。俺には貴方の嘘がもうすぐ分かる」
「……………………へえ?」
「俺は貴方の人生を全く知らない。けどその勝利に嘘は関係なかったのでしょう。貴方自身の運の良さであったり単なる戦略勝ちであったり、所謂王道が全てを薙ぎ払ってきた。だからそんなに自信満々なんだと思ってます。けど今度は、詠奈を倒すならそうはいかない。貴方は嘘を使わないといけない筈だ」
『王奉院詠奈』は目を閉じる。ギャラリーの手すりに肘をついて、顎を指先でゆっくり叩いて思案する。
「…………脅すなら、うまくやるべきね。そんな抽象的な言葉じゃ私の心は揺れないわよ」
「じゃあどうして、俺達を攻撃しないんですか?」