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足を切り、腕を切り、胴を貫き

「………………」

 変わり果てた姿。王奉院詠奈のようで、彼女をよく知る俺には分かる。紛れもなく、疑いようもなく、詠奈さんの死体だだった。

「………あ、あの」

「詠奈には俺から伝える。少し……一人にしてくれ」

「は、はい!」

 存在しない筈の人間。処分されていた筈の存在。王奉院詠奈のドッペルゲンガー。この人を表す言葉は何でもいい。大事なことは、その役割として本人より先に死ななければいけないという事。それを弁えていたからあの人は……いいや、きっと詠奈への負い目から生きる事を望んでいなかった。自ら死を受け入れていた。


 だからって、こんな。


「…………………っ」

 歯が砕け散りそうなほどの力が顎に籠る。こうでもしないと嗚咽が漏れる。悲しいんじゃない。バラバラに刻まれた死体に一先ず嫌悪する己の感性が憎い。そうじゃないだろう。俺が考えるべきは、幾らなんでもこんな死に方をする必要はなかったという事ではないのか。

「…………ッ! ッッ!」

 いっそ歯が折れてしまえば、痛みで全てが切り替わるのに。詠奈と違って、あの人に与えられた役割は影武者のみ。だからこの変わり果てた姿こそ、何より仕事を全うした証であるのに。俺は死んでほしくなかったと思っている。身勝手でも我儘でも傲慢でも、生きて、生きてほしかった。名前すら継がなかったならせめて自由を、身分や責任に縛られる事のない人生を歩いてほしかった。

 死んでいい人間なんて居ない、とは言わない。詠奈に買われなければ俺もそういう人間だ。ただ、あの人は死ななくても良くなった人間ではないか。生きても死んでも誰の都合にも関わらないなら、自分の為に生きて良かったのに。

「…………ぁ」

 声を漏らす。漏れた。喉は粘り気をもったように開かない。声を出せば、口をつく前に舌の上で這いつくばる。


『私は人生に疲れちゃった。だから殺されても大人しく受け入れる事にする。詠奈がそれで幸せになるなら構わないわ』


「ぁぁ……………さん」

 いくら負い目があるからって、自分を殺す事はなかった。どうしてそんな、せめてもの償いのように終わりを受け入れる。詠奈は無関心だったじゃないか。大した指示も日々の業務も与えず気ままに過ごさせていたじゃないか。

「……………………」

 段ボールに詰め込まれた人の残骸を抱えて、俺は再度地下へと戻った。詠奈は相変わらず隠れているのだろうか。俺はもうとても、探す気分ではないけれど。

「詠奈! 話がある! ちょっと遊ぶのやめて、出てきてくれないか!」

 返事がないのは、俺の声が聞こえていないくらい深部に居るから? それとも何か事件が起きたのだろうか。まさかこんな地下で襲撃なんて起きないだろうし。『王奉院詠奈』が実はここに潜伏していたなんて考えられない。地下は屋敷を介してしかアクセス出来ず、外部からの入り口は存在しないのだから。

「詠奈?」

 かくれんぼは中断しているのに、詠奈だけが見つからない。これじゃあかくれんぼをしているのと一緒だ。何処も物置のような部屋になっている現状、手当たり次第に探すのは効率が悪いが、これしか方法がない。

「詠奈!」

「詠奈!」

「おーい!」

 探す事一時間余り。回った部屋は優に百を超えたがまだまだ地下は続くし彼女は見つからない。とっくに把握している範囲は超えて未知の領域へと踏み込んでいるが、それでも居ないのはどういう了見だ。かくれんぼの当初のルールからも逸脱しているような。

 戻って誰か協力者を連れてくる事も考えたが、同じ場所まで来られる保証がない。引き続き捜索を続けていると、詠奈が室内履きにしている履く靴が落ちていた。

「えっ」

 それを見間違える道理はない。靴を持って近くの部屋を当たってみる。当たって、当たって、当たって、当たって―――壁の隙間にまた靴が挟まっていたので、それを追って俺も隙間へ。隠し階段を下りた先の部屋で、ようやく詠奈を見つけた。

「はぁ、はぁ…………え、詠奈! 見つけた! ようやく……な、なんでこんな所に居るんだ!?」

 殆ど全てに該当する殺風景な部屋とは違い、ここは子供部屋だろうか。幾らか埃は被っているが、間違いなく誰かが生活していた痕跡がある。壁にかけられた額縁には沢山の女の子が映っているものの、誰一人として見覚えがなかった。ただしぬいぐるみを持っている女の子は―――同じぬいぐるみが枕の横に置かれているのでその人物こそ部屋の主であることが窺える。





「声がしたの」




 詠奈は床にぺたんと座ったまま動かない。近くによると、手には一通の手紙を握っている。

「……声?」

「影武者の声。ずっと誰かに謝ってた。声は私が追おうとすると逃げるようにあっちこっち行って―――ここに」

「じゃあここは……詠奈さんの部屋?」

 質問には答えず、詠奈は手紙を俺の方へと投げつけた。彼女にしてはやや乱暴な渡し方である。文面に難しい事は書かれていないが、恐ろしく字が震えており、汚く見える。



『私は神を信じます。ですからどうか教えてください。私はどうすれば償えるでしょうか。とても許されない事をしました。死にたくなくて見捨てました。自分より小さな子を見捨てました。こんな手紙も心を落ち着けるために書いてるって分かってます。分かりません。教えてください。見捨てるような真似をして生き残ったらどうすればいいでしょうか。死んで償えるのでしょうか。それは逃げている気がします。神様私に償い方を教えてください。自分の汚点を知る少女が生きていて生きた心地がしないのです』

『生きているとは呼吸をしている事でしょうか。生きているとは心臓が動いている事でしょうか。あの子が生きている限り私はずっと息苦しいです。でもあの子を排除するなんて出来ません。私とあの子に血縁はありません。でも私はあの子より得点の高いお姉ちゃんなのです。妹を殺す姉がどこに居ますか。殺したくないなら殺せません』

『あの子が生き残ったのは奇跡的な事で、私はその奇跡を信じませんでした。私が身代わりになれば奇跡すら必要なかったのに。自分が可愛くて見捨てました。あの子が生きている限り私は罪人です。でも死んでほしいとは思いません。せっかく生き残ったなら生きるべきです。それは私にも言えますか。言いたくないです。生きるのは針の山を飲み込むみたいに辛いのです。でも生きています。いつか許される日が来ると願っています。天涯孤独にならないように私がずっと傍に居ます。神様どうか教えてください。生きる事にはどんな意味があるでしょうか』




「…………詠奈。その。詠奈さんについてだけど」

「………………許すも許さないも、私は眼中に入れてなかった。気にしていなかった。今も気にかからない。こんな重苦しく悩んでないで、さっさと自由を謳歌すればいいのに、全部自分勝手で悲劇のヒロイン気取って何がしたいのって思わないかしら」

「…………」

「本当に愚かな人。王奉院詠奈だったなら自分の事だけ考えればいいのに。最初はそうだったんだから貫けばいいのに。私が名前を勝ち取った途端に贖罪の意識なんてふざけないでよ。私がいつ救いを求めたの。私の神は私だけ。誰かに救ってほしかった気持ちはあるけれど、救いを乞うてたらきっと生きていなかった。そこに綴ってある気持ちは全て愚かな感情よ。意味のない苦しみ、何もかも的外れ。馬鹿」

 受け入れる余地もないほどこき下ろす詠奈に、あの人の死を伝える必要はないと悟った。俺は人の心なんて読めないけど、ここまで貶す物言いをしながら悲しくなれるものだろうか。感情は決して一枚岩ではない。矛盾を孕んでも感情には形がなく、故に成立する。

「…………実は外で荷物を受け取ったんだ。何処かいい場所ないかな。安全に休めるような場所」

「………………隙間を出て左側、突き当りの階段を左に降りた場所。丁度良かった。一人にしてほしい所だったの。気が済んだら迎えに行くから―――行って」





















 指定された場所に詠奈さんの亡骸を置いて地上に戻る。道中にはほんの少しの会話もなく、俺達はただ寄り添っていた。詠奈の感情の三分の一も俺には到底理解出来ない。家庭の事情を理解しようなんて烏滸がましい。

 せめてきちんと会話が出来るように、八束さんと彩夏さんが帰ってきて有益な情報を持ち帰ってくれればと思った。地下から戻っている最中に聖達の姿を見なかったので、最低でも二人が買い出しから戻ればこの空気はどうにかなる。

 こんな顔の詠奈を見るのはいたたまれないからと、俺は祈った。都合が良くても構わない。好きな人が喜べる出来事が一つ起きてくれればいい。



「ただいま戻りました。詠奈様」

「姉さん。これは私が持つから……」

「いくら何でも私が非力だと考えすぎじゃない? ―――詠奈様。貯蓄が不十分でしたので仰る通りに買い出しを済ませてまいりました」








「――――――――――――誰でもいいんだけど、彩夏が何処へ行ったか知らないかしら」

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