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春ノ鉄は鉛の雨で産声を

「さっきより寝心地悪い……」

 と、梧が文句を言って憚らないので後部座席は全体的に彼女に譲った。俺が譲っても一部はどうしても銃火器詰め合わせセットが占領するから広い訳ではない。尤も、助手席よりは遥かにマシだが。 

 詠奈が生活水準は簡単に落とせないと言っていたがこういう事かもしれない。ほんの一瞬でも上質な環境を手に入れた人間は、直ぐにでもそれを手放したくなくなる。毛布があってもベッドより寝心地が悪いのは当たり前、何故なら座席は座席であり眠る為の用途に特化していないから。

「……………」

 春は窓を少しだけ開けて耳を澄ましたまま黙っている。雨音を聞いて安らいでいるというよりは夜番としての警戒だ。手には拳銃とナイフをそれぞれ一つ、いつでも飛び出せるように扉の鍵は開いたまま。傍から見ても警戒心マックスといった様子。

「……もう逃げ切ったと思うし、春も少しくらい休んだらどうだ?」

「私に命じられた使命は景夜様を守る事ですよ。自分の体力を優先して業務を疎かにすれば処分されてしまいます。一体何の為に私が殲滅屋の仕事を休止して買われたと思ってるんですか」

「…………何の為?」

 そう言われたら、そうだ。八束さんはあまりに人間らしい生活から離れており、詠奈に買われる理由としてそれは十分すぎる。幾葉姉妹も同様に買われなければ過酷な生活が待っていただろうし、境遇としては一番軽い方な彩夏さんもその違法な仕事が将来に影響を与えた可能性は否めない。詠奈は慈善で誰かを買っている訳ではないと分かっているが、金の切れ目が縁の切れ目という言葉とは裏腹に離反されたくない人間には忠誠心を持たせるのが彼女のやり方だ。

 だが春は、話を少し聞いた限りでは殲滅屋という職を持っていて、それで実績を上げていて、生活に影響が及ぶような不安は見られなかった。お金に釣られたというだけなら、殲滅屋だって無償ではないだろうに。幾ら俺が戦争に関して素人でも単身で広域における集団戦闘をこなすのは無茶苦茶だという事くらい分かる。

「殲滅屋って、春一人じゃないんだよな」

「四季に合わせて四人活動していたので、私を除けば三人居ますね。交代制は単に療養期間というだけですよ。だから私の分の穴が開けばそれだけ辛くなりますね」

「……何でだ?」

「アイドルと同じですよ。普通の女の子に戻りたかったんです。私だって好きで戦争してた訳じゃないんですよ。色々あったんですよね。海外に無駄な憧れのあった母親とか、私の危機感のなさとか。そもそもですね、殲滅屋を頼る相手というのは表立って軍事作戦を展開出来なかったり、そもそも軍は動かせないが都合の悪い状況を破壊したい国ですよ。さっきも言った通り、私達が十分に働く為に依頼相手には無制限の武器提供を求めます。必然、相手は大口顧客にならざるを得ないんですね…………生活に不安はなくても、果たして平和はいつ訪れると思いますか?」

「無理、なんじゃないか? そんな簡単に戦争がなくなったら……苦労しないだろ」

「その通り。だから詠奈様の誘いに乗る事でしか私が戻る事は出来なかったんです。ずうっと戦ってるとですね、自分がまともだった頃の記憶も忘れて、いつか本物の怪物になる予感がして怖かったんですよ。だからある意味で詠奈様に賭けました。まさか当時私が仕事にかかっていた地帯の戦闘を一切停止させて私に接触するなんて思わないじゃないですか」

「…………海外なのにそんな無茶が出来るんだな」

「王奉院については関係ないと思いますよ。詠奈様がお使いになられている機械の力―――私も正体を知っています。それが原因ですね。とはいえそんな物を使ってまで私が欲しいと言ってくれるなら乗るでしょう。殲滅屋は大丈夫です。一応連絡だけはつくようにしてあるので、余程の事があれば助けに行きますとも。こっちと被ったらそれまでですが」

 ブースタードラッグを打って身体が高ぶっている割には春の声には抑揚がなくなっている。どちらが素面なのかと言われたら答えは明白になってしまったが、なりたかった自分は俺の知る彼女なのであろう。

「…………私の事は気にしないで、景夜様も眠っていいですよ。貴方の眠りは死んでも守りましょう。それが今の私の仕事ですからね。敵を滅ぼすよりも余程難しく、やりがいのある仕事です……ほら、助けようと思ってくれるなら眠ってくださいよ。寝不足にさせたなんて知れたら私は処分されますから」

「…………じゃあ、お休み。寝るの時間かかると思うけど、そこは頑張る」

「はい♪ おやすみなさい♪」

 寝心地はお世辞にもいいとは言えない。背もたれを倒しても同じだ。眠れる姿勢になっただけ。毛布を被って少しでも意識を眠らせようと努力する。銃撃を潜り抜けた興奮の余波か、かなり目が覚めてしまっている。

「E tangi ana koe Hine e hine…………」

 消え入るような声、それは一体どこの国の歌だろう。窓の外に耳をそばだてて決して気を抜いてはいないのに、まるでこの緊迫した状況に安心しているようだ。

「………………」

 眠りを妨げるような激しい音は何処にもない。しいて言えばこの雨音だが、何故だろう。窓に打ち付ける音は心地よくて、眠りへと誘うようだ。視界を消して耳だけを済ませれば、水の揺り籠に包まれる錯覚を覚えた。

「Kua ngen………………Hine e hine」

 油と水が相容れぬように、意識がそっと体を離れていく。ガチャっと聞こえた扉の音も、聞こえたからと言って体は動かない。


 バチャ。


 バチャ。


 …………。





















極限状況に追い込まれた人間は一度安全な場所を確保すると反動で何もかも手遅れなほど休みたくなる。訓練すらしていないなら尚の事、疲れたから休みたい。欲求は当然の道理だ。

 そんな俺達の眠りを覚ましたのは目覚まし以上にけたたましいサイレンの音。それはおのずと目覚めたというよりは人の本能に訴えかけるような音に体が動いただけだ。だから最初は、どうして視界を失ったのか分からなかった。毛布を被っているからだ。

「な、なんだ?」

 無数のサイレンが近くを通り過ぎていく。梧も状況を把握出来ない様子で、何ならこれは夢かと二度目の就寝を試みていたが、パトカーが織りなす騒音の雨にそれどころではない。

「もう……何?」

「梧。春がいない」

「え……?」

 運転席は空っぽ。車のキーは刺さったままだがエンジンはかかっていない。扉を見るときちんと閉じ切ってはおらず、少し押すだけですぐに開いた。

「……どこ行ったのよ」

「少し春を探してくる。お前はここに居てくれ」

「ま、待ってよ。私も行くから置いていかないで」

 車を降りて外へ出ると、雨上がりの太陽が燦然と輝いているではないか。少し顔を上げるだけでも眩しさに目を細めてしまう。暫く日光を浴びていると体にこびりついた頑固な眠気が落ちてきた。

「……行くぞ」

「だから待ってって! うわ、足がもう雨で……最悪っ」

 パトカーの後を追えば春の行方が分かるだろうか。そんな軽い気持ちで外に出た事をまもなく後悔する事になる。時刻がいつかは確認もしていなかったが太陽の位置からして八時前後だろう。すでに野次馬が集まり、警察を圧倒せんと密度を高めている。

 


 そこに聳えていたのは、三〇人以上を超える死体の山。


 等しく顔を潰されているからまともに判別もつかない。昨夜の市街戦はやはり近隣住民には聞こえていた(当たり前すぎる)ようで、野次馬の殆どは興味本位というよりもパニック状態だ。こんな平和な国で一体何事が起きたのだと、知る権利があると言わんばかり。

「……何があったの?」

「見るな!」

 横から顔を出そうとした梧をとっさの左手で制止する。これをまともな人間が見るのはおススメ出来ない。みんな興奮状態だから目視出来ているだけ―――惨劇を現実として受け入れたくないのだ。

 「お前は先に帰っててくれ。見たら一生忘れない悪夢が生まれるぞ。春は俺が探す」

「え? え? え? 何それ? 猶更気になるけど」






「好奇心旺盛なのはいい事よ。教えてあげればいいのに、ねえ景夜君」







 背後からの声。

 振り返らなくてもわかる。その声を、その呼び方を。梧は既に振り返っており、一八〇を優に超える長身の女性に見とれていた。眼鏡越しに、無感情な瞳が俺たちを見下ろしている。

「…………王奉院詠奈」

「え?」

「ごきげんよう、景夜君。隣の子は新しい彼女? それとも単なるクラスメイト? いずれにしても……私の駒から逃げ切るなんて凄いじゃない。到底不可能だと思っていた事だけれど、どうやったのか教えてくださる?」

「なんだか、他人事ですね。貴方が指示した筈なのに」

「そこまで細かい指示は出していないから。こうでもしないと勝負にならないでしょう? この作戦は失敗に終わったけれど、成功以上の収穫はあった。今のところ予定されている作戦はもうないから、安心して家に帰っていいわよ」

 目の前に俺がいても、襲わない。攫いもしない。


 何を考えている? 


 梧にもまるで無関心なのが不気味だ。内通者をあぶりだそうとしていたのではないのか? そいつを始末しようとしていたのでは。


「そうそう。景夜君。貴方、私に勝つつもりで居たわね。死なない私を殺してみせる? とてもロマンチックな言葉をどうもありがとう。所でその言葉は―――まだ本気?」

「当たり前ですよ。そうじゃないと詠奈を守れないなら、本気でやるでしょ。好きな女の子一人守れないで何が恋人ですか?」

「へえ…………うん。了解。私は貴方の事も随分調べたから、意外な特技で撃破、なんてまぐれは望めないと思うけど、頑張ってみせて。今日はたまたま見つけただけだから用事なんてないの。そろそろ行かないと。ごめんあそばせ?」

 どうせ普段使いなどしていないのに、ふざけた口調でその場を後にする『王奉院詠奈』。俺達がその背中を追ったとして何になる。詠奈と同じようにスナイパーが見ていて、頭でも撃ち抜かれたらどうするつもりだ。

「―――なんか危ない気がする。車に戻ろう」

「春さんは?」

「さあ、でも俺達が危ない。免許ないからやりたくないけど、俺が運転するしか―――」

 そうしてまた元の車に戻ってくると、トランクが半開きになっている事に気づいた。避難したときは閉じていた筈だ。何かと思って開けてみると、







「おはようございます」








「「うわぎゃあああああああああああああああああああ!!!」」

 春が、飛び出した。

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