四季を悟る殲滅者
せ、殲滅屋?
当たり前だが、寡聞にして知らない肩書だ。そもそも職業なのかどうかも怪しい。屋と言っているからそれで生計を立てていたのだろうか。いや、そんな細かい話はあとで本人に幾らでも聞けばいい。
「し、凌ぐって何だよ!」
梧を殺す為に乗り込んでくるとでも言うのか。ぶっちゃけ手が届く範囲に来られたらどうにもならない。喧嘩の心得はないのだ。不意打ちで一発くらいは殴れたとして、それでノックアウトさせられる可能性はない。
ドン!
バババババ!
ドゴオオオ!
手榴弾が実際に爆発する瞬間を間近で感じるとは思わなかった。あんな小さな物体がこんなにも大きな爆発を引き起こすか。地震が直下で起きているみたいに建物が揺らされる。それこそこの国には似つかわしくなく派手な銃撃戦が外で行われているのに警察がやってこない。周囲の建物の何人かは異常に気付いていてほしい。電気すらつかないのは巻き添えを食らいたくないからだと思いたい。
「まずこれどうやって抜くんだっけ……」
カバンの中を明後日、とにかく俺でも使えそうな物体を探す。手榴弾はピンの抜き方が分からない。ゲームの中での描写を思い出してやるのは危険だ。まずその記憶があやふやだし、間違った時にフォローが利かない。焦ってピンの方を投げるなんてやりだした日にはお陀仏だ。
「…………これは」
ザッ。
「うわああああ!」
咄嗟に手に取ったクロスボウを音の方向に打つと、男の低い呻き声が聞こえてその場に崩れ落ちる。唯一使い方が直感的にわかるのがこれだった。拳銃だけなら『王奉院詠奈』が運試しに俺をこき使った経験のお陰で使えないことはないが、ここにあるのはショットガンとかアサルトライフルだとかサブマシンガンだとか、組み立て式のスナイパーライフルだとか、ゲームでしか見たくなかったような大物銃ばかりだ。こんなの使える訳ない。
「ちょ、梧起きろ! 起きろって! 早く起きろバカ!」
ライトを顔に当てながら必死に足を揺さぶる。なんでこいつは起きない。ベランダの防衛と起こすのを両立なんて不可能だ。誰かもう一人、人手が欲しい。重蔵は? こんなに外で紛争染みた事が起きていて気にならない…………の…………
―――そういえば。
梧は緊張をほぐすためと水を貰っていたが、あの水を用意したのは彼女本人ではなくて重蔵だ。あれは本当に水だけだったのか? わからない、俺が見ていたのは貰うところまでで、実際に用意する所や飲む所は見ていない。
睡眠薬でも盛られていたなら、こんな不自然に起きないのも無理はない。余程効果が強いのだ。そして理由もなく薬を盛るとは思えないから、つまりは重蔵も何らかの干渉を相手方から受けていたという事になる。だから今も様子を見に来ない。
「一旦全員無力化したので戻ってきましたっ。梧ちゃんは?」
「春! 起きないよ全く! 多分睡眠薬を盛られてると思うんだけど、もうどうしたらいいかさっぱりで……」
「薬? 睡眠薬は意識を完全に絶つような効果じゃありません! あーえっと、どれだっけ。えーと、これじゃなくてこれじゃなくて……これ!」
春はポケットからボタンを取り出すと、躊躇いなくスイッチを押した。次の瞬間、彼女の全身が痙攣。声にならない声を上げたかと思うと、次は断続的に家畜のように醜い声を上げてのたうち回る。
「うぎゃががががががが!」
そういえば彼女の太腿と手首には電撃の走る枷が嵌められていたのだったか。そもそも俺に協力的なのも友人だからという善意はあるだろうが、口にしないだけで殆どの理由は非協力的な姿勢に対するお仕置きが怖いからだろう。処分以前に―――この電撃が。
「な、なに……何なの…………ぉ。いったあ!」
「睡眠薬ってわかってたら最初から使ってましたよこれ。ほら、次が来ないとも限りませんから早く逃げましょう。私が先導します」
「春、逃げるぞ!」
「はあ? ええ? なに、なんなの? い、家は安全でしょ? まだ雨も降ってるしぃ……」
強制的に起こされても寝起きには変わりない。梧の脳はまだまだ理解が追い付かない様子で呑気な返答を返してくる。春が何故ここに居るかと気にならない程度には全く頭が追い付いていなかった。
「いいから早く! 俺達危うく騙される所だったんだぞ!」
「ええ……? 何がぁ……?」
「ああもう説明とかいいですから! 景夜様、その子を抱き上げてください! 私が景夜様持ち上げるんで、下の車に移動しますよ!」
「はえ!? あ、わ、分かっ た!」
春の言い出した対処法にはさしもの俺も寝ぼけたかと思うような強引さだが、従うしかない。
火事場の馬鹿力か重さはさほど感じない。状況を呑み込めないのは俺も一緒の中、春に軽々と持ち上げられ、俺達はベランダから飛び降りる事となった。
せっかく雨から逃れられたのに、またずぶ濡れだ。
「きゃあああああああ!」
直前に感電してくれたらお陰で暴れられる事はなく、誰かの車の上に着地。春はライトを放り投げると光の先に照らされた車へと俺達を運びこむと、開け放された窓に突撃して滑らかに着席。鞄を助手席に置くと、中の手榴弾二つのピンを抜いて投擲。窓を閉めて直ちに発進させる。
「出来れば耳を塞いで景色を見ないでください。スタングレネードは煩いですから」
「ど、どこに行く–––」
喋る事ができたのはそこまでだ。車体に打ち付ける豪雨をかき消す勢いでとてつもない爆音が背中から轟いた。全てに音を消され正確に発音を保証できなくなった耳では黙るしかなく、口は何の意味もない単語を恐らく言った。
「ここまで来れば一先ず安全でしょう。二人とも遅れてしまい申し訳ないです。緊急事態につきこの鞄を取りに行っていました」
車は雨に晒されているものの、俺達は無事だ。木陰に身を隠すように車を停め、ルームライトの下で改めて春と向き合っている。
不自然に浮き上がった血管、膨張した筋肉、首やら顔やらに見える無数の古傷。そろそろ梧にも目の前の景色が正しく理解できるようになってきたらしく、せっかくの眠りを妨害された怒りよりも、春を見て首を傾げていた。
「その傷……何?」
「梧ちゃんには言ってませんでしたね。では改めて、私は殲滅屋という、早い話が邪魔な存在をまとめて消す仕事をしていました。紛争の絶えない地域では結構知られてるんですよ? 四季になぞらえて戦場では『春』と呼ばれています」
「四季が揃ってる国なんて全部が全部じゃないと思うが」
「四季がある国で実績を出した上に交代制だったので仕方ないですよね! この傷はその時に負ったモノばかりです。殲滅屋は無制限の武器供給と引き換えに単独で仕事に及ばなければならないので、怪我くらいはしますとも」
「……」
その説明だけだと微妙に納得がいかない。俺は侍女の皆と混浴した事のある男だ。プールで一線を超えた事もある。その時、彼女の身体にこんな生々しい傷痕はなかった。断言してもいい。というか、今この瞬間になるまで気づかなかったというのも変だ。いくらメイド服で普段身体が隠れていても水着まで行くと隠しようがないというのに。
春はそんな疑問を見透かしたように頷いた。
「傷と言ってももう随分昔ですからね。ブースターを服用しなければ見えませんよ。あー、まあ長風呂しちゃうと出ますけど、景夜様はそうなる頃には詠奈様に釘付けメロメロ骨抜き状態なので気付きませんよね」
「言い方……」
「そうだ! なんで私はこんな所に連れてこられなくちゃいけないのよ! せっかくいい気持ちで寝てたのに!」
不思議なことに、殲滅屋については一応納得したらしい。それよりも理不尽にも攫われたとの認識からか、彼女はベッドが恋しくて仕方なくなっていた。
「俺も気になる。春。お前はどうして通報が分かったんだ?」
「警察を自由に動かせないだけで詠奈様の権力はまだご健在でいらっしゃいますからね。確認くらいは自由ですよ。しかし梧ちゃんを薬で眠らせたとなると、通報者はあの家の住人もとい景夜様のお父さんですか」
「えっ、私、薬なんて服用してないけど」
「盛られたんだよ勝手に。…………親には裏切られてばっかりだな。許すとか許さないとかじゃないけど、追い討ちされた気分だよ」
土下座までしておいてまだ騙す気だったなんて信じられない。それが子供に対してする事か……っと。もう赤の他人だった。
それなら道理。だろうか。
「恐らくですが、詠奈様の名義で電話したのではないでしょうか」
「ん?」
「詳しい事情は理解するなと命じられましたが、敵は詠奈様の権力を利用出来るみたいですね。景夜様のお父さんは書面で契約を交わしたはず。例えば私が迎えに行くから眠らせておいてとか何とか言えば同じ状況が再現出来るでしょう」
「それは……でも外でドンパチやってたんだぞ! いくらなんでも限度があるだろ!」
「法に縛られていない権力に限度はございませんよ景夜様。貴方のお父さんはそれを知っていたのでは。貴方が幾らで買われたかは存じ上げませんが、大金を軽く出せる人が普通ではないくらいは分かるでしょうから。それに、そもそも人身売買は違法ですからね」
父親の真意については不明か。確かなのはもう二度と頼るべきではないという事だ。いつ誰が利敵行為をするか全く予想がつかない。信じていいのは詠奈に買われた人だけ。
「さて、車を手に入れましたがこれで帰宅しようものならまた襲撃を受けてしまうでしょう。安全の為なら今夜は車中泊をする他ありません。私が夜番をしますからどうぞ二人はそこで眠ってください。申し訳程度ですが、毛布も後ろにありますから」