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国家令嬢は価値なき俺を三億で  作者: 氷雨 ユータ
valueⅧ お嬢様

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潜影兵火の足音発たる

「屋根って、どこに行けばいいの!」

「分からん!」

「傘は買わないの!」

「どう考えてもリスクがある! やめた方がいい!」

 雨はすぐに本降りとなって、王者の庇護を失った俺達に襲いかかった。まるで喧嘩をしているみたいに声を張らなければまともに会話も出来ない始末。それくらい打ち付ける雨音が煩いからだが、不幸中の幸いとして煩いので誰かに聞かれる心配もないだろう。たまたま真横にいるとかでもない限り。

 ここで一つ状況を整理しよう。詠奈からのサポートは受けられず、春も現在は連絡が取れない状態。俺達はなんとかして屋根もとい宿泊場所を見つけて一夜を明かさないといけない。だがまともなホテルを利用しようとするのは思う壺ではないか。向こうは詠奈の権力にタダ乗りしている。調べようと思えばいつでも調べられる。

 コンビニまで監視が詰めていたらしいから、迂闊に何か買うのも得策とは言えない。

「と、取り敢えずここで次の移動先を考えるぞ」

「こんな何もないところで大丈夫なの?」

 たとえどんなに信頼がなくても、梧は俺についてこないといけない。守ると約束したからではなく、それ以外に道がないからだ。警察が保護してくれるならその方がいいかもしれないけど……そう簡単に頼れない。きっとそれは逆効果だ。

 だがそれとは別にバス停が頼りないのも事実である。透明な屋根がついているだけの遮蔽物にどんな信頼を置けばいいのだろうか。

「一応逃げてきた側に遮蔽物があるし、屋根があるから雨も凌げる。少し借りる分には大丈夫だろ」

「思ったんだけど、バスに乗りましょうよ。それで一気に移動出来れば……安全よね?」

「詠奈の権力にタダ乗りしてるんだぞ? バスは言うなれば密室だ。意図的に横転させられたり爆破されたら逃げ場がない。正直な、学校で俺や詠奈を狙わない理由がわからなくて不気味なんだ。何が出来て何が出来ないか不明なら、いっそ全部出来ると仮定しておいた方が最悪を回避しやすい。携帯で地図を見よう。ホテルでも……女の子にこんな事言うのもあれだけど野宿も考えなくちゃな。それとも頼れるアテがあるか?」

「この市には……ないわ。でも野宿は嫌」

 それは俺だって困る。地図曰く付近に宿泊施設は三箇所あった。ただ一つはバイトを受けた倉庫と場所が近い。宿を取っているかもしくは待ち伏せされているか。

 詠奈の庇護が失われたのは偶然ではなく狙いがあったのだろう。だから相手にとって俺達は当然孤立していると考慮される。迂闊な行動は避けたい。

「…………何処でもいいか?」

「こんな時に選り好みしてる場合じゃないでしょ。どこに行くの?」

「……」

 非常に気が進まない。世の中にはトラウマというものがあって、そんな場合ではないと言われてもどうしようもない抵抗がある。

「ついてこい。一番近いから」

「?」

 世の中、何が起こるかなんて分からない。灰色の人生にある日突然絢爛の華が現れるのも。二度とは行かぬと決めた場所が、不確定情報の多い中では安全性が非常に高いという事も。

 詠奈は人生を買った相手を元の家には返さない。人生を買うとは相手に新たな人生を切り開かせる事。かつての関係とは人生の垢であり、生まれ変わるにはそれらを断ち切らないといけない。

「……世の中、分からないよな。必要ないとされた物が突然入用になる。勘弁して欲しいけど、今はこれが出せる最善だ」



 辿り着いた先には、一軒家。



 詠奈の屋敷に比べればどうしようもないですボロ屋であり、暮らしに慣れた人間に言わせれば物置以下の建物だ。だが確かに俺が暮らしていた場所。俺が沙桐景夜として生まれた場所。

「俺の家」

「え。あ、そっか。元々別の家に生まれたならそりゃ家くらいあるわよね。でも今でも両親は住んでるんでしょ? 勝手に入って大丈夫なの?」

「離婚したっぽいから大丈夫だ。あの感じだと俺の母親はもっといい場所に引っ越したはず。父親だけが暮らしてる可能性は……まあ、どうだろうな。別に居てもいいんだ。今回の争いとは無関係だから説得すればいい」

 インターフォンを押してみる。無人ならそれはそれでどうにか侵入方法を探せばいい。最悪窓でも割ればそれで。無人なら細かいことを気にしてはいけない。

 そうでないなら。




「……お前は、景夜?」




 無精髭を生やしたかつての父親、沙桐重蔵が出迎えてくれる。
















 彼は何も言わずに俺達を出迎えてくれた。事情を話すフェーズはどうしたものかと頭を悩ませていたが、実際省けてしまったのは都合がいい。

 梧は雨にずぶ濡れでとてもじゃないがすぐにでも風邪を引く勢いであったため、お風呂を譲ってもらった。まさに丁度沸いたところだったと言う。

「……」

「……」

 梧が居なくなると、リビングに残されたのは父親と俺の二人だけ。かつての食卓で二人は向き合ったまま何も話さない。俺も話したくはないから気まずかろうとこの沈黙を保っていた。

 雨のおかげで雨戸が引かれている。風雨を凌ぎ一夜を越すには十分な環境。何をそこまで震える必要がある。

「ありがとう、家に入れてくれて」

「まあ、気にするな。困ってる人を助けるのは当然の事だからな」

「……」

 会話が続かない。父親もまた、平気な振りをしつつ探り探りな様子だ。久しぶりの再会でも、母親がヒステリックを起こした際の挙動はよく覚えている。何を言えばいいか分からず、答えればいいか分からず、止めるべきか乗るべきかも曖昧。

 同じだから分かるのだ。

「理由は聞かないの?」

「……俺にその資格はないだろう。お前が売られようとしてる時に止めなかった。今更親っぽい振る舞いなんてしちゃいけない」

「お母さんに捨てられたって聞いたよ」

「あの三億が決定的だった。お前がいなくなった後、矛先は全部俺に向くようになってな。なんの因果か味方もいない。だが俺には歯向かう根性もなかった。結果がご覧の有り様だ。俺の出来た事は精々離婚してやって、手切れ金をもらったくらいだよ」

 台所が片付いているのは単に使う機会が減っただけだろう。それでも無気力からか調味料などは一切買い足されていないように見える。詮索はしないが……雰囲気として荒んでいるようだ。

「お前はどうだ? 幸せに暮らしてるか?」

「うん。これ以上ないくらい幸せをあの子から貰ってる。俺は毎日幸せだよ。初恋が実って、しかも好きな子と四六時中一緒にいられるんだから。三億には到底見合わない大きな幸福を今もずっともらってる。自信を持って今の自分は幸せだって言えるし、愛されてると思う」

「…………そうか」

 重蔵は口を噤んだまま顔を伏せた。何か言おうとして口をモゴモゴ動かし、やっぱりやめてしまう。

「なんだよ」

「……俺はお前にとっていい父親とは言えなかった。今更戻ってこいなんて話もしない。契約に反するからな。ただ、それでも今回お前に恩を売った。その対価として、一言言わせてくれ」









「すまなかった、景夜。俺は自分が攻撃されるのが恐ろしくてお前を犠牲にしたんだ。本当に…………申し訳なかった!」

 あんなに嫌っていた父親に、土下座をされた。果たしてどんな気分であるか。された人間にこそ伝えたい。



 最悪の気分だったろう?


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