過ぎた金は身を亡ぼす
「え、マジでいいの?」
「断られると思ってたか?」
「そういう訳じゃないけど、でも無茶苦茶なお願いなのは分かってるからさ。でもマジで有難う。いやーやっぱ面倒押し付けるならお前だよな! ありがとうありがとう!」
「で、どうやって俺とその子を引き合わせるんだ? 悪いけど俺はその子知らないから何にも出来ないぞ。クラスカーストっていうのも良く分からない。女子なら詠奈が一番可愛い」
「それな! ってそんな事は分かってんだよ。金でつるなら詠奈だったなって思うけど、去年は違うクラスだったし」
お金で詠奈を釣ろうとすると相当な金額を用意する事になるのだが大丈夫だろうか。家が裕福らしいけれどもしかして俺が世間知らずなだけで億単位のお金はポンポンと動かせるものなのか……
「じゃあ呼び出すからちょっと教室で待っててくれよ。お金を払うのは別の奴になったから俺とは手を切ってくれって呼び出す。いいな?」
「ああ、いいよ」
お金は放課後までに詠奈が用意してくれた。いつ誰に持ってこさせたかは定かじゃないが、とにかく俺の椅子には一億円の入ったアタッシュケースが用意されている。普通大金を動かす時は現金というより口座間で移動させるのだろうけど、まず俺に口座がないし、振込先なんて指定された覚えもないからこうなった。重いとか言われても知らない。
―――今日はやけに素直だったな。
詠奈の事だから、自分も同じ場所に居る事が条件とか言い出すと思っていた。そのお金を貢がれた女子は自分より可愛いかどうかを見極めたいみたいな、そんな欲求はないのか。
「来るってよ。じゃあ俺は行くから後は任せたぜ」
「ん。これで手を切れたらいいな」
雅鳴が教室から出て行くと誰も居なくなって特にやる事もない。黒板に落書きをして遊んでいると、セミロングの髪を金髪に染めた女子が姿を現した。因みに顔も名前も知らない。クラスメイトでもなければ屋敷に居る訳でもない奴の顔なんて覚えている方がおかしい。
「えっと、雅鳴に呼び出された子だよね」
「アンタ誰?」
「アイツのクラスメイト。お金を無心されるのに嫌気が差してるのは聞いてるんだろ。代わりに俺がお金を払う事になったんだけど……」
「聞いた聞いた。でもアンタそんな金持ちに見えないけど。アタシは結構高いよ~でもま、当然っしょ。彼女のフリしてあげてるんだから高いに決まってるって。こんな可愛い子を彼女とか、普通じゃあり得ないから。雅鳴もそうだけどアンタとか見る感じ冴えない優男って感じで全然好みじゃないんだよね~」
「そっか。まあそんな事はどうでもいいからさっさと用件を終わらせよう」
「…………え?」
俺も別に、目の前の女子は好みじゃない。それ以前に何も知らないから何の感情もないと言った方が正しいけど、今日は告白しに来た訳でも友達になりたくて来た訳でもない。
アタッシュケースを持ち上げると、教壇の上に置いてロックを開けた。
「幾らか知らないけど、これでアイツに付き纏うのはやめてやってくれ」
「何か大袈裟に出すじゃん。まあでも私はお高い女ですからそう簡単にはああああああああああああああああああああああ!?」
ケースを開けた途端、女子は絵に描いたような二度見をして大きく飛び退いた。まるで一億円を初めてみたような反応に俺は安心してしまう。そういう反応をしてくれると気が楽で助かる。
「に、偽札……?」
「そう思うなら銀行でも警察でも確認して来ればいい。そのケースはきっかり一億円入るようになってるから一億。これで足りるかどうかを確認したかったけど、その反応を見た感じ足りてそうで良かった」
「足りたり足りたり足りた、たたたた……ちょちょちょちょちょ、ちょ。え? う、うそ、か、数えさせて!」
札束を一つ手に取って、慣れない手つきで数えていく。日が暮れそうだ。俺はまた黒板に落書きでもして時間を潰す事にした。時々横から聞こえる「百万!」とか「一千万!」とか驚いてくれる反応が面白いのはすっかりあの家に染まった証拠だ。
―――金に目が眩んでる奴って、醜いよな。
馬鹿にするつもりはないけど、俺の中では母親の姿がチラついてあまり良い気分はしない。大金を目の前にすると人は理性を失う。そう言われても仕方ないような例を見てきたから、お金には魔力があるという話は本当だと思う。
「そろそろ数え終わったか?」
「い、家に帰って数え直す! あり得ないこんなの! 嘘、アンタマジ? マジで言ってる?」
「じゃあ、俺は行くから。今後アイツに付き纏うのはやめてやってくれよ」
「ま、待って!」
足りないなんて言わせない。そういう奴なら反応はもっと淡白になる。流石に手持ちは今ので全額使ってしまったから補填も出来ないし、これ以上無心されるのは困る。
そう思っていたのだが、どうも用件は違うようで。
「か、彼女とか欲しくない?」
「好きでもない奴と嘘でも交際するのはお互い嫌だろうし。それに俺には好きな人が居るから。じゃあそういう事で」
今度はついてこなかったので、一安心。
まさかお金をこんな風に使うとは思わなかった。俺の価値が買った時のままなら年間で使える残金は残り二億か。そうそう使う事もないけれど、大して得もしていないからそれ程気分も良くない。
昇降口を抜けて校門を出た所で、外周を走っていた雅鳴と鉢合わせた。
「マジで終わったのかよ……」
「おう。部活頑張れ」
「……携帯にアンタなんかもう要らないとか言われたから分かってたけど。幾ら払ったんだ?」
「それは本人に聞いてくれ。話がややこしくなりそうだ」
部活の邪魔をするのもいただけない、挨拶も程々に坂道を下りていると見慣れた黒い車が止まっていた。近づくと後部ドアが開いてくれたので乗り込むと、詠奈が膝に手を置いて目を瞑っている。
「…………寝てる?」
「いいえ、君を待っていたの。どうかしら、交渉は上手くいった?」
「一億に腰抜かす勢いだったから問題なさそうだ。好きでもない子にお金をあげるってのも何だか複雑だけど……」
「悪銭身に付かずとも言うわ。普段は使いきれないような量でも思いがけない大金で感覚が壊れてしまう事もある。誰も得はしていないと思うわよ」
「悪銭なのか……?」
「彼女のフリをしてあげる代わりのお金でしょ? 契約としては妥当だけど、そのお金の使う先は何処なのかしら。自分磨きに使ったり、趣味で使うなら結構だけど……」
「何が言いたいんだ?」
「―――何でもないわ、忘れて。君にこれ以上関わらないなら私も興味ないから。それじゃあ帰りましょうか。二人の愛の巣へ」
家に到着して寝室に戻るなり詠奈は夕食まで睡眠を取る事にした。今日俺が眠かった理由にも関わっている。今度旅行へ行くとしたら何処へ行きたいかを話し合っていたら思ったより盛り上がってしまって珍しく夜更かしをしてしまった。俺は学校で普通に眠っていたからもう何でもないけど、彼女は模範的生徒でもあるから辛かったろう。
「景夜様。私が淹れた紅茶の味はどうですか?」
「ん、美味しいよ」
夏の日没は随分先だ。サンルームの椅子に腰かけてのんびりとした時間を楽しめるのもこの屋敷の良い所。対面の椅子は普段は詠奈が座っているけど、今は眠っているから空席だ。そこでワゴンと一緒に控える春には座っていいと言ったけれど、座りたがらなかった。
「えへへ……彩夏さんに教わったんですよー! この片編みも教わりました!」
「あの人は何でも出来るな。じゃなきゃあそこまで価値も高くならないか……そうだ春。実は詠奈の発言がちょっと引っかかってるんだけど」
どうしても気になったから、同じ女性である春に意見を求めるのも悪くないかと考え直した。車中でのやり取りを一言一句正確に伝えると、春はうーんと顎に手を当てて首を捻る。
「多分……その子は本命の彼氏が居るんじゃないんですか? その彼氏をお金で繋ぎ止めていたけど足りなくなったから供給先が欲しいみたいな」
「でも他に彼氏が居たら浮気になるだろ。表面上は交際してるんだから」
「逆ですよっ。本命との交際を表向きにしてないからそれが出来るんじゃないんですか? 表向きにしない理由は色々考えられますけど、彼氏が表向きにしたくないって時点でその子の事は別に好きじゃなくて遊び……もしくは遊びではないけど表向きに出来ない関係なのか」
「表向きに出来ない……俺と詠奈みたいな?」
「それはまた別の話で……学校で表向きに出来ないって事は、彼氏が先生とか! きゃはは! 全部妄想ですからね!」
先生が交際相手…………。
恋愛は自由だろうけれど、俺にとって教師とは怒ってくる人でしかないから如何せんそういう相手としては想像し辛い。広大な庭を眺めて再びティーカップを手に取った。
「…………そうだ。春。君はここに来る前は学生だったろ? 先生を好きになった経験ってあるか?」
「うーん…………年上好きの子なら居ましたけど、うちの学校はオジサンばっかりでしたからね。何も若くて精悍な顔立ちのイケメンが最高とは言いませんよ、年齢に応じたかっこよさがあるのは分かります。でもみんな冴えない感じだったからなかった……と思います。あったら面白いですけど、禁断の関係だから知る由もなかったと思います!」
「冴えない奴はモテないんだな。俺もついさっき言われたよ」
「えー! それは見る目ないですね……景夜様が冴えないとか目が腐ってますよそいつ。誰ですか名前は? ちょっと文句言ってきますよ」
「―――俺は怒ってないから穏便にな?」
スカートの内側からサバイバルナイフを取り出した春をやんわりとたしなめつつ、そう言えば名前を聞いていない事を思い出した。
――――まあいいか。
どうせこの先関わる事はない。そんな人の名前なんて知った所でどんな意味がある。
「春。それよりもおかわり頼むよ」
「はい! お任せを!」