剣ノ屍は新たな価値に一命を
「ああもう! 私は職務から解放されて自由なのに! 夜になると無性にイライラしちゃってぇ…………景夜さん! 責任取ってよ!」
「ちょ、獅遠、まっ…………」
欲求不満を抑えられなかった獅遠に襲われたのが翌日の事。上に乗られるとどうしても身動きが取れなくなる。両手を握られながら獅遠のリズムに付き合っていると、不意に扉が開かれた。
「失礼します」
「うきゃああああああ!」
「……ああ、これは失礼。出直します」
「ちょ、ちょっと八束さん! 駄目、入って、入り直される方が恥ずかしいから!」
「……八束さん、わざと入りましたよね」
「わざとと言いますか、獅遠にどうしても尋ねたい事が。しかし声以上に熱中していたものですから申し訳なくなり」
淡々と言う辺りに悪気なんてなかった事が窺える。八束さんはいつもそうだ。欲情で俺の相手をしてくれる時だって淡々としている。感情がないというよりは表し方が下手なだけだ。この人が激情を秘めた人間というのは剣を持たせれば明らかである。
腰のあたりに布団をかけて獅遠との繋がりを隠す、服を着るのはまあ、無理だ。時間がかかるし、これ以上恥ずかしい目には遭わせられない。
「で、で! 聞きたい事とは何ですか!」
「獅遠。声を荒げてもこの状況は誤魔化せないよ」
「うっさい馬鹿! 早く用件を言ってください!」
「ああ、はい。では手短に済ませますね。用件というのは他でもない、貴方のそのお腹の事です」
「…………はあ」
寝っぱなしでやる事もないのでいよいよ隠すのも難しいくらいに膨らんだ獅遠の腹部を触る。当たり前だがここには俺と彼女の子供がいる。万が一にも他の誰かという可能性はないらしい(詠奈側が幾らでも調べられるようだ)。
「現在、景夜さんの子種を貰っている侍女は大勢います。周期があからさまに違うのはその後の回数というよりは、詠奈様の方で抑え込んでいるのでしょう。まして今は非常時。暫く獅遠と私以外には増えないと思われます。私の記憶が確かならば貴方は彼の子を孕んでから暫くは辛い時間が続いたように思います」
「ま、まあそうだけど。別に後悔はしてないよ。周りのサポートは沢山あるし……優越感に浸りたい訳じゃないけど、景夜さんの子供を最初に産んだって何か、嬉しいし」
「それが、私は全く辛い症状が存在せず……諒子の診断を受けましたが正常らしくて。個人差で片付けても良い状態なのか判断しかねているのです」
「それは、八束さんが痛みに強すぎるからなんじゃ?」
「本当に何も感じないんですか?」
「ああ。強いて言えばお腹に異物のあるような感覚が」
「「それだよ!!」」
あんまりにも当然のように、まるで『そんな事は気にしても仕方がない』口ぶりで語りだすから反応が遅れてしまった。獅遠との声が被ったのでは決して狙ったのではなく、同じ様に遅れたのだ。
「これなのですか?」
「八束さん……無痛なんてあり得ないでしょって思ったけど、景夜さんの言う通り痛みに強かっただけとか信じられないんですけど。いつもお腹痛いんですか? じゃなきゃ分かると思うんですけど。思いましたけど」
「いえ、獅遠の様子を見るにもっと耐えがたい痛みであるのかと思っていました。そうですか……これが命の胎動ですか。不思議な気分ですね。私が誰かの母になるなんて」
―――八束さんの事情を知るからこそ、俺は息を呑んでしまった。
決して萎えさせない様に獅遠が定期的に動くから、ではない。あの人は両親を訳も分からず奪われ。人として有り得ない生き方を強いられた人間だ。死ぬことを選べたなら楽だっただろうに。それをしなかった。
最早あの人の過去が嘘か本当かなんてのはどうでもいい話だ。確かな事は両親は居ないという事。でなければここまでの世間知らずにはならない。産まれがお嬢様という訳でもないだろうし。
詠奈はまた例外だが、両親が健在であったならその背中を見る事で自分はどう振舞うべきか、反面教師にしろある程度の方針は選ぶ事が出来る。だが親がいなくなればどうだ。自分が参考にするべき材料が何処にもない。
「……有難うございます。おかしくないのなら別に構いません。それでは……失礼します。ああ。鍵は掛けておいた方がいいですよ」
「………………ぅぅ!」
扉が閉まると共に来訪者は姿を消した。言語化したくない緊張感の中、獅遠がへなへなと体勢を崩し、俺の傍に手を突いた。
「も、もう。こんな所で見られるとか…………さ、最悪なんだけど」
「びっくりしたけど……ま、まあいいんじゃないか? きっとあの人なりに不安だったんだよ。それを獅遠が解決した。いい事だ」
「そ、そうかな…………じゃあ、いいか―――って良くない! 景夜さんに迫った事が急に恥ずかしくなったー!」
獅遠が服を新たに着替える事十五分。
「……詠奈の時も思ったけど、朝からこういう事するのって体力要るよな。こういうの妄想する男子が居るんだけど、妄想通りにはいかないぞって言いたいよ」
「でも、私はスッキリしたよ。景夜さんは?」
「…………」
ここには二人しかいないのに、大声で言うのも恥ずかしくなって獅遠を呼び寄せる。囁くように感想を呟くと、彼女はにこっと笑って、俺を優しく抱きしめた。
「良かった♪」
―――でも、体力をぐっと持ってかれた事実は変わらない。
何事もトレードオフだ。今日は手伝いが出来るか出来ないか、それは授業次第といったところ。朝食を部屋で摂った後、詠奈からの呼び出しがかかって食事室に移動。
「おはよう、景夜。昨日はよく眠れたかしら」
「まあ、それなり。学校に行かないといけないから、結構眠いっちゃ眠いな」
「そう。授業は私がノートに書き留めておくから寝ていても大丈夫よ。それよりも重要な事を頭に入れておいて欲しいから、聞いて。友里ヱからの情報。アイツ、最近は国会議員に挨拶周りをしているそうよ」
「へ? 挨拶って…………何でそんな事を。一般人には無理だろ」
「多分、私の名前を使って無理やり会っているんだと思うわ。使者とかそんな感じでね。私の顔を知らない人には本人と名乗っているかも……でも、こっち方面は大丈夫。政治家を親に抱える子供が友里ヱの虜になったみたい。迂闊な真似をしなければ情報は筒抜けでしょう。次は君の番。明らかに法に触れるような存在を運んでる話をしてくれたでしょう? 友里ヱに投げ銭してくれた一人が同じ学校の出身みたいでね。割のいいバイトがあるから気にするな、なんて破滅的な献身をしたみたいなの。私は私で打つべき手がまた生まれたから……悪いけど、君の方でその闇バイトを調べてくれるかしら。もしかしたら、学生が手駒にされているかも」
「……仮にそうだとして、あの人にそんな事するメリットが感じられないんだけど」
「損得勘定であればあるほど動きは読みやすいのよ。メリットはなくてもデメリットはある。多分、私を挑発してる。『王奉院詠奈』は運命に愛されているから、何をしても自分が負ける事はないって自信があるのね。その為にわざわざ私達が通う学校の学生を手駒に何か準備を進める……考えられない話ではないの。人をコケにする為だったら、手段は厭わないのがアイツよ。私に名前を譲ったのだって―――当然継承してくれると思っていた父親をコケにしたくてやったんだろうし」