政治的令嬢大戦
「詠奈。こんな時間まで起きてて大丈夫なのか?」
「仮眠を取ったから問題ないわ。それでも……あんまり良くはないのだけれど、君が帰って来るのを見届けずに寝るのもどうかと思ってね。二人は一足先に戻って来たのを確認済みよ。君は……彩夏と何をしていたの?」
「え、えっと……情報整理を少々」
「へえ。獅遠のお腹が安定してきたからって少し気が緩んだ?」
「いや……そういうつもりじゃ。うわ! な、何を」
寝室だからって何をしてもいい事にはならない。詠奈は俺の股間に顔を近づけると、すんすんと鼻を動かしてニオイをかぎ取っている。そんな事されなくても彩夏さんが綺麗にしてくれたからバレる事は……なんて言わない。近くに水場がなかったから方法も必然限られるのだ。
「…………はぁ。彩夏の欲求不満にも困ったものね。私に知らせないのも出し抜かれている感じがして微妙に腹が立つわ。獅遠なら、今はやる事がないから許したのに」
「……俺の事は怒らないのか?」
「君は外で自分から襲うタイプではないから。代わりと言ってはなんだけど次は獅遠の相手をしてあげてね。あの子、今日は性的にずっとイライラしてたから解消してあげるのは夫の務めよ」
「な、何か俺だけ仕事違うよな。あの人がいつ来るかも分からないのに悠長というか、平和っていうか」
彩夏さんの誘いに食い気味に乗った俺が言うと全く説得力はないけど、詠奈の為に何かしてやれている感覚は存在しない。しかしそれは感覚的な話であり、今回はきちんと情報を持ち帰った。夜も遅いから誰もまだ報告をしていないのだろう。詠奈は何も言わないから、恐らく報告を待っている。
「えっと……今日は彩夏の手伝いをして、色々情報を得た。まず、これが写真だ」
「……長身の女性の写真ね。殆ど違うけど、これは確実にアイツ」
「何処に向かってるかとかは分からないけど、結構この町の中で目撃情報があるみたいだ。日付はそれぞれバラバラだけど、少なくとも近辺には用事があるな。ここまでが彩夏さんの情報で、次は諒子さんなんだけど……なあ詠奈。あの人って一体何の職業なんだ。お前が買った訳じゃない様に見える。でもなんか、薄幸そうな気配を節々から感じるんだ」
「薄幸どころかとても幸せだと思うわよ。彼女は…………お友達の紹介で頼ってるだけだから詳しい事は知らないわ。でもいい人だったでしょ?」
「はあ……話を戻すか。その人は運送屋をしてるらしくてな。あの人がわざわざ会社にやってきて社長と話しに来たらしい。で、何処に何を運ぶかって話なんだが……荷物と、大量の人だ」
「人……? 普通に考えたら違法だと思うけど」
色々と例外規定はあるが、トラックが大量の人間を運送し始めたらそれはもう軍隊というか、何処かで軍事作戦が展開されるのではないだろうか。それは普通の人間ではなし得ない行動、及び権力だ。権勢を振るったとしても限度がある。上限がない権力は一つだけ。
「だから多分お前の名前を使ってるんだろうな。会社の名前は―――」
「私の名前を知る会社は大手ばかりだからそっちは問題ないわ。それで、荷物の内容、人数、所属は?」
「流石にそこまでは。でも不思議な事だから覚えてて、それを話してくれたんだ。どうも俺達がこっそり動いてるみたいに向こうも表向きはまるで意図の掴めない行動をしてるな。後は……ああそうだ。写真で気になる事があって、俺が単純に聞きたいんだけど」
「何でこの人は……全部顔が映ってないんだ?」
詠奈が彼女を判別出来るなら細かい事だが、どうしても気になってしまう。俺達が頼ったのは民間の人の些細な目撃情報だ。目的を曖昧にしたまま使っているせいで王奉院詠奈を発見する精度は著しく悪い。写真の殆どは長身なだけの別人。そんな中でいざ写る写真を見ると決まって顔が映らない。
「アイツ、昔から写真が嫌いなのよ。写真に写ると魂が吸い込まれるとか訳の分からない事言ってね。私とは一枚撮ってくれたから……本当にそう思っている訳じゃないだろうけど。或いは特別な理由なんてないのかもね。現実の多くはそんなものよ。物語性のある理由なんてない。現に一枚しか撮ってくれなかったし」
「いや、そういう理由だったらあの人はこういう誰でもない人からの撮影にも気づいてるって事になるけど」
「あんなに美人で背が高いのよ? 肖像権の侵害と言われようとも初めての経験ではないでしょう。嫌いな事なら猶更アンテナが鋭くなる。不思議な事ではないわ。深い考察なんて必要ないわよ。私との写真も決して笑顔ではなかったし、ただ単に嫌いなだけだと思うから」
「…………」
あの人は平気で感情を偽る。身分を偽る。全てが正直な人間とは正直言い難い。詠奈を悲しませる結果になるだろうからと秘匿していたけど、今となっては誰でもない人間を一番良く知るのは詠奈だけだ。
文化祭で撮ったツーショットを、恐る恐る見せてみる。詠奈はぎょっとした表情で携帯を奪い取ると、まじまじ見つめて固まった。
「…………ごめん。隠してた。怒られそうだったから」
「その件はもういいわ。明かす気にならないようにそれとなく誘導してたんだろうし…………」
俺の謝罪など些事であるかのように見入っている。嫉妬なんかではない、単に驚いている事は見れば分かった。その理由を俺は知らない。『王奉院詠奈』を知るのは今となっては詠奈か……
そういえば、詠奈さんは?
沙桐景夜。
主に家庭内で精神的虐待を受けていた男性であり、その後遺症として自立的判断に欠けるようになり、またその恩恵として極端な受容能力の高さを得た。本来あるべき人間の形は醜く、どんな環境に置かれてもそれとなく受け入れてしまえる彼は、まるで子供のまま育ってしまったようで。
―――だから、あの子との相性がいいのかしら。
大人と言えば、私だ。他の大人の誰よりも物事の先が見えている。幻想的な思考回路を持った父親には到底理解されなかった。この国の腐敗は私が生まれた頃には進み切っていたのに。
幾ら私が天才でも、あれはもうどうしようもない。
維持は出来る。見せかけの繁栄も作り出せる。だが衰退だけはどうにもならない。国営に関わる資料を全て読み終えた私の感想はそれだった。それは十年先や二十年先と言った近くの話ではないけれど、終わりは必ず訪れる。王奉院の玉座も、いよいよ壊れかけている訳だ。
だが父親にはそれが分かっていなかった。王奉院は万能であると信じて疑わず、ほんの気分で次の当主は女にしようなんて言い出すような頭は、本当にこの国を支配した一族かも怪しい。出来ないものは出来ない。解決策があるとすればそれは随分……破滅的なモノになる。
何故出来ないかは簡単だ。それはこの国に民主主義があるから。独裁を悪しとされる風潮が王奉院の権力を欠陥たらしめている。体裁を維持出来るなら何をしてもいい―――言い換えれば、維持できない様な事は何も出来ない。
私は逃げたかった。
王奉院の責任というモノが嫌いだった。絶対王者であるようで、その権力を振るえる土台が腐れば共に雁字搦めになるどうしようもない立場だ。見え透いた未来の為に、敢えて負け戦の指揮を執る。それのなんて馬鹿らしい事か。
「後継争いなんて提案するべきではなかったわね。結局、私以外に出来る人材は居なかった。負け戦にも収め方がある。どちらにしても適任は私しか居なかったって……前から気づいていたのに、やめられなかった。私がおチビさんに任せたのは単なる逃避よ。現実の見えてないおバカさんに何もかも擦り付けたかっただけ」
「……もしくは、羨ましかったのかしら。私の愚痴に対して、この国を変えてみせるなんて事が言えるその純粋な心が…………結果的にそれは嘘だったけど、私なら嘘でもそれは言えなかった。それで今は……王様気分で恋人とイチャイチャ? 本当に呑気な事。ねえ、貴方。傍に居たなら分かるでしょう。詠奈は……幸せそうだった? 教えて下さらない?」
「…………邪魔を、してあげないでよ。あの子は今、ようやく幸せなんだから」
「そうはいかないの。王奉院が腐ってしまえば権力はいよいよ機能不全を起こす。王奉院に頼って来たツケがあらゆる勢力に回ってしまう。私達は毒よ。毒は自分で制さなければならない。国の為を想えば―――あの子には、消えてもらわないといけないの」
影武者の額に銃口を突き付けて、私は目を閉じた。
「王奉院詠奈は死なないの。それを踏まえて襲ったなら愚かとしか言いようがないわ。ねえ、どうせ詰みなのだから最後くらい協力しなさい。私が王位を取り戻す手伝いを」
「……断るよ」
「私は……詠奈のお姉ちゃんだからね」