幻の姫君
「う~! こんなお店に居るだけで頭がクラクラしてきそう! 私このお店嫌い! 早く帰りたい!」
「こいつは一体どうしたんだ?」
「事務室と店内じゃ空気が違うのは分かるよ。俺達はすぐ逃げられたけど、ずっと居たら気まずいんだろうな」
未成年とか関係なしに、三人とも夜のお店の空気に苦手意識を持ってしまった。ただ一秒でも早くここから出たい一心で営業を見守る。苦手意識による結束は固く、カメラ越しに得られる情報は耳というよりも最早皮膚で感じ取っていた。それくらい、集中している。
『方林さん! こんばんはーっ。今日は……むむ、待ってください。良い事があった顔をしてますねー。良かったら聞かせてください! 今日は何を頼みますか?』
『こ、こんばんは……新人……です。な、名前? 名前は、明子だ。精一杯楽しませられるように頑張る、な? それで、何を頼む?』
『いらっしゃい! 私は薪菜って言うの! 名前はあるけど、好きに呼んでくれてもいいわよ! それで、お酒を頼むのよね。何頼む?』
「諒子さん、しれっと偽名言ったな……」
「源氏名って奴だな。それはそうと……客は一見さんが一人と、後は常連だな。赤羽彩夏が対応してる人は方林充流。金融系で働くサラリーマンで、趣味は車集め。家に何十台も車があるらしい。犬が一匹、恋人は居るが関係性は冷めてるみたいだな。出会ったきっかけは彩夏が落とし物を拾った所からで……」
「そこに全部書いてあるの?」
「ああ。常連と言いつつお店での付き合い前から虜にしてるように見えるな。時機をみてお店で働いてる事を伝えて、客入りさせたんだろ」
十郎が書類を独占しており、ずるい。あんなに沢山情報が書かれた紙が手元にあったら幾らでも気を紛らわせるではないか。俺と梧はそわそわしっぱなしで、落ち着けない。特別心が読める訳ではないのに、何故だろう。下心丸出しで話しかける男を傍から見ると、とてもむずむずする。
「きっもちわる……」
「ごめん」
「え? 何で?」
「いや……」
メイドの皆と混浴して、間近に詠奈の裸体を見ている俺もこんな風に見えるのだろうか。まじまじと大事な部分を凝視されて俺も恥ずかしくない訳じゃないけど……でも下心は抑えきれなくて、どうしても興奮してしまうから。だから詠奈に限らず、皆が発散させてくれるのであり。
『このお店で一番高いですよ! 大丈夫ですか!?』
『彩夏ちゃん。君の為には惜しくないよ。君の言う通り今日はとてもいい事があったんだ。聞いてほしい』
単に営業を見せつけられているだけのようにも見えるが、情報収集はお酒が入ってもう少し口が緩くなってからなのだろう。彩夏さんは流石、詠奈に買われただけあって、人の心を―――特に下心を理解している。監視カメラ越しにも、方林が彼女の谷間を見、酒を取り出そうと背中を向けた時にはカウンターに手を突いて前のめりになってまでパンツを覗いていた。
諒子さんの方は手慣れた様子は一切なく、どうも直前の様子まで含めて本当に騙されて連れ込まれたニオイがプンプンする。だがその初々しさが接客している相手(方林に連れてこられた一見さん)には良く刺さっているようだ。びくびくおどおどしている様子が嗜虐心をそそられるのか、酒が良く進んでいた。
「あの薪菜って子、凄いな」
「え? 何が?」
気を紛らわせる方法がない以上、映像に集中するしかないが、こんな悍ましい光景はとてもじゃないが直視出来ない。だけど十郎が感心している原因は直ぐに分かった。
彩夏さんがお手本を行い、諒子さんがおぼつかないながらも会話で楽しませる中で、薪菜が接客する相手は無言で酒を飲んでいた。彼女の顔から片時も目を離さず、その顔を肴に酒を進めている。注文されるお酒は決まって何故か丁度後ろ手で取れる位置にあり、薪菜は一歩も動いていない。
「幾ら顔が良くても早々ないぞ。アイツが特殊なだけ……いや、情報によると話すのが好きって書いてあるぞ。自慢話が大好きで、話の腰を折ってでも自慢したがるってかいてある。そんな奴が黙々と酒を飲むなんておかしいな」
「面食いなんじゃないの?」
「それにしても限度があるぞ。もしそんな顔が実在するならどんな顔か気になるな。さっき見ておくんだったか」
「詠奈よりデカい人って初めて見たかも……」
「は?」
「あ、いや何でもない……」
カメラにはその深すぎるI字の谷間と煌びやかに艶やかな金髪しか見えない。八束さんよりも―――いや、金髪と呼ぶのも何だか違う。強い光源があればそこに視線は吸い込まれ目を細めてしまうように、あまりにも人間離れした綺麗な髪から視線が離せない。
『明子ちゃんは休日何してるの? お、俺は結構運動してる! 身体つきに自信はあるんだよ、ほら、腹筋!』
『わ、わあ……凄いな。わ、私の休日か。興味ある……のか? で、でも恥ずかしいし……あ、お、お酒があれば話せるかもな……』
成程、本来はあんな風にねだるのか。彩夏さんの方も同じようにねだって、互いに酒を楽しんでいる所か。
「……まあ、形態はさておき、情報収集って意味なら悪くはないと思うぞ俺は。深酒させればガードは緩くなるからな。普通に聞き出すよりずっと簡単だ。問題は……いつ仕掛けるかだが」
「あの、文化祭に来た人を探すんでしょ? そんな話題にならないとなんか唐突感生まれて尋ねにくいと思うんだけど、どうなのかしら」
「分かりやすく成果を生まないからじっくりやってるんじゃないか? トラブル起きなさそうだし、もう帰りたくなってきたよ」
―――そのまま一時間が経過した。
『お互いちょっと酔ってきて、楽しくなってきましたねー! 方林さん、ちょっと個室で遊びませんか? ゲームでもしながら、もっと色々話したいなって思って!』
彩夏さんは自分が抜けても問題ないと判断したのだろうか。実際その通りで、薪菜さんが接客した客は一切の例外なくその顔を肴に飲んでいるとしか思えない程静かである。諒子さんは、ずっと頑張っている。
個室のカメラの方を覗き込むと、彩夏さんが先に客を入れて、カーテンを閉めている所だった。
『方林さん、そう言えばこの前話した事って覚えてますか?』
『も、勿論! 背が高くて高価な服を着た女性を探してるんだったよね! 彩夏ちゃん、その人に彼氏を取られたって……そう言えば彼氏は出来たの?』
『や、やだなー。彼氏なんて私早々出来ませんよー! もしかして他のお客さんとも話してる事に嫉妬してるんです? お仕事ですから……方林さんとは……ふふ♪ どうでしょうね』
男が彩夏さんの太腿に手を置いている。すりすりと掌で撫でるような動作は身体をどうしても触りたいという意思の表れだ。そういうお店ではないらしいから、一応お障りは咎められるべき行動なのかも。
「これ、写真。謝って欲しいって話だけど。もしこの写真の中に居なくても安心して欲しい。俺が彼氏だったら、そんな奴に取られたりなんかしない! こんないい子を泣かせるなんて最低の男だ!」
「方林さん……! な、何でしょう。身体が熱くなってきちゃった! そ、そうだ、何して遊びますか? せっかく来てくれたんだから疲れた体を癒してって下さい! 何に―――」
その後も彩夏さん目当ての男性は個室に連れ込まれ、それぞれ頼みごとをされている事が明らかになった。自分の性を上手く使う事に躊躇がないと言うか、思い切りがいいというか。正しい意味で正に虜であり、彩夏さんを振り向かせる為なら何でもするというレベル。
最初の男が特別だっただけで、殆どの客が彩夏さんに求めているのは理解であった。愚痴が零れたが最後、泣きだすまで聞きつくすのが彼女の誠意か。だからみんな、彼女を『真の理解者』と信じて憚らない。傍から見れば何てことのない対応も、その悉くがクリティカルであるからこそ、彼女は相手を思い通りに動かせる。
キャストの身体に触るのは禁止らしいが、密室空間において頻繁にその禁は破られていた。一番おいしい思いをした客なんか彩夏さんの胸にキスをしたし、それを見て梧は具合が悪くなった。
トラブルらしいトラブルと言えば薪菜さんが接客した人は全員酔い潰れたまま店の外に出された事くらいだ。中毒になりそうなペースで飲めばそうもなる。俺達の出る幕は最後までなかった。
「彩夏さん。これ俺達要りませんでしたよね?」
「いえいえ、沙桐君が見てくれるって知ってたから安心して接客出来たんですよー。一番いいのは事件が起きてから解決するんじゃなくて、起きないような工夫をする事ですっ。沙桐君、もし私が襲われてたりしたらきっと助けてくれましたよね? その安心があったお陰で色々分かりましたから!」
「実際、諒子が接客した相手からも情報が得られた。聞き方は不自然だったが、ずっと小動物みたいに怯えてたから怪しまれなかったんだろうな。音声を拾えるのは俺達だけだから、そういう意味じゃ確かに居る意味はあった。俺達である必要性は……」
「ねえ、もういいかしら。私帰りたい。何もしてないのに、なんか疲れた……」
「迎えが来てますから、お先にどうぞ? 私は沙桐君にちょっとお話したい事が……」
恐らくは詠奈が手配した車に二人が乗り込んでいく。時刻は深夜0時。俺だけは店内に連れ戻されて、伽藍洞のカウンター席に座らされた。
「率直に、今の気持ちはどうですか?」
「え…………っと。何に対してですか?」
「私が他の男の人に良い顔して、身体を触らせてたりした事に対して、です。幻滅しました?」
「まさか。ああいう何の関係もない人を使って情報を集めるのはリスクもケア出来てるし、彩夏さんみたいな事が出来るなら確実性も高い。詠奈の命令をこなす為なら合理的な手段ですよ。まあその…………あんまり気分は、良くなかったですけど」
「ほうほう?」
「か、勝手な気持ちですけどね。彩夏さんの本当の顔を知ってるのは俺だけって優越感はあっても、それはそれとしてなんかムカつくっていうか。勝手な。勝手な気持ちですからね!」
「それで疲れちゃいました?」
「まあ……それが原因じゃないですけどね。主にお店の空気が気まずくてが九割くらいでして。ははは」
「沙桐君、まだ未成年ですからねー。こんなお店には縁がないでしょう。詠奈様も許しそうにないし」
それはその通りで、行く気も起きない。所謂下の世話は、一から十まで全て詠奈がやってくれる。身体が正直だからこそ、彼女はそのケアを忘れてくれない。精神的な繋がりだけの健全な愛を偽りとは言わないが……生物の本能として、なんだ。女性の裸体を見ると、著しく知能指数が落ちる。快楽が全て、みたいな。
「でもでも、詠奈様への手土産は十分で、このお店は営業終了しました。ここには私と沙桐君の二人だけしか居ないんです。それでたまたま、私は制服から着替えてません」
「そ、そうですね」
ぴらっ。
彩夏さんは服の中に手を入れて下着をずらすと、中身を取り出しながらもう片方の手で指を立て、唇を塞ぐように目の前へ。
「……吸います?」
「二時間も何をしていたのかしら、君は」