巫ノ姫は価値なき衆愚の追憶を
「はい、景夜君。あ~ん」
「と、友達設定はもういいのか?」
「いいのいいの。今は誰も見ていないんだから。ふふ、ふふふ……」
俺が啖呵を切った事がそんなに響いたのだろうか。放っておいたら今にも口笛を吹きそうな詠奈を見ているととても健康に良い。表現は間違っているかもしれないが、いつか病気になった時に見たら忽ち快癒するのだ。
病は気からというし、間違いない。
「詠奈。そう言えば今日はクラスが騒がしかったような気がしてるんだけど、俺の気のせいだったかな」
「気のせいじゃない?」
「いや、お前が天候を変えた時くらいには騒がしかった。絶対何かあったぞ。俺はSNSをやってないし、知る手段がお前に聞くくらいしかない。教えてくれよ」
「大したことじゃないわよ。ただ、友里ヱが表舞台に上がっていっただけ」
「……んえ?」
あの人は確か……いや、詳しい事情を一から十まで把握している訳ではないが、かつての立場に戻る事を嫌がっていた。今世最後の救世主だったか、とにかくあの人には不思議な力があって、実際多くの人間を助けた実績がある。ただ多くの人間の悪意に振り回されて、疲れてしまった事だけは分かる。
そんな人が表に上がったという事は。
「お前の指示か?」
「ええ。あの子がかつて残した奇蹟は今も尚多くの残党を抱える程眩いモノよ。それを利用しない手はない。これは恐らくだけど……政府を介したアイツの捜索の成果は期待できないわ。多分、アイツも王奉院詠奈の名前を借りて介入してる。指示が二重にあれば、身動きが取れないでしょう?」
「…………でもあの人は、名前を捨てたんじゃ」
「名前を捨てたとしても、私兵部隊を用意できているでしょう? アイツは私と違って、裸一貫でも生きられる。また一から成り上がるなんて訳ない。ただ王位を継いだだけの私には想像もつかないけれど、出来るわよ、絶対に。だからこうして命令して復活させた。今まで死んでいた情報ルートを蘇らせる。文化祭での集客を伏線にしていればこそ、復活も違和感なく行える。他の子も外に出しているわ。それが私に出来る全力。あの子達だけが、一切干渉を受けていない私の手駒になる」
彼女達にある程度の戦闘力がある事は俺も確認しているが、しかし気になるのは八束さんと獅遠の状態だ。特に八束さんが妊娠している状況は、こんな場合においては具合が悪い。
「私兵部隊とやらで各個撃破される危険性は考えなくていいのか? 幾らみんながある程度強くて武装があっても、数の差を覆せるようには思えないんだけど」
詠奈にお弁当を食べさせてもらいながら質問をしていると頭が混乱してくる。彼女はこれ自体に大した考えも印象もないようだ。出来る事はやり尽くしたから、後は結果が出るまで身を任せると言わんばかり。だから意識が向けられているのは俺と違ってお弁当を食べさせる方であり、俺が少しでも思考に気を取られて反応を鈍くすると不安な表情を見せる。
―――。
可愛いけど、ちょっと不安だ。危機感を持てばいいってものじゃないけれど、緊張感は流石にもう少し持った方が良いと思う。
「アイツもそこまで大事にする気はないと思うから、そこは大丈夫。これは飽くまで水面下で行われる戦争よ。大々的に出来るなら最初から山に火を放つとか、空から爆撃するとか色々出来るじゃない。それをしないのは国民の混乱を考えているから。曲がりなりにも……本来の後継者だから、国の事はよく考えているのよ。私よりも遥かにね」
詠奈の横顔が陰に滲む。雲が太陽を横切っただけの事だが、俺にはどうも後ろめたさが見えた。
「…………聞かないでおこうと思ったんだけどさ。約束ってのは……具体的に…………」
箸が、止まる。
「…………王奉院詠奈を継ぐという事は、この国の行く末を決められるという事よ。御存じの通りだけど、私は極力干渉をしていない。最近は仕事を入れていたけれど、ほら、以前までの私は腐っていたから。でもアイツだけは本気でこの国を見ていて……そして嘆いていたの」
「……?」
「私にもそのビジョンは理解出来なかったけど、今のままではこの国が繁栄する事はないって確信していたの。初めから分かっている未来でわざわざ指揮を執るのは気が進まない、それをあの山で話してくれたの」
「……何で? 詠奈さんに聞いたけど、お前は……その、落ちこぼれだったんだろ。候補者の中では」
「それも分からない。ただ私は可愛がられていたから……話したかったのかもしれない。アイツも人間だから、抱え込むのは嫌だったんじゃないかしら。それで何かが変わる訳じゃないとしても、一人で鬱屈とするのは気分が良いものではないでしょう」
お弁当を食べ切った。二人で合掌をすると、詠奈は箱を閉じて脇に追いやる。
「私は、そんな弱さに付け込んだのよ。そうでもしないと生きられない事は、何となく分かっていた。今まで生きていられたのはアイツが私を可愛がっていたお陰。正式に継承するのがアイツであると決まれば、幾ら私でも殺されてしまう。王奉院詠奈は二人も要らない。だから……私がこの国を変えてみせるって言ってやった。退屈しなくてもいいように、悲観しなくてもいいような国にしてみせるって言い切ったの。そしたらびっくりしてくれてね!」
「…………あ、悪質だな」
「ええ、悪質ね。アイツは私を信じたの。そんな、明らかに根拠もない発言を信じてくれたの。だから私に名前を譲った。自分は死んだ事にして全てを放棄し行方をくらました。そうでもないと私の願いは叶えられないと知っていたから。父親が私を後継者に選んだのもそういう理由なのよ。『殺害を狙うのは結構だがアイツを殺せるとは思っていなかった』ってね。言い換えれば……今この瞬間までの私は、全てアイツの配慮のお陰。君が私に人生を彩られたと言ってくれるなら、私はアイツに人生を造られた」
チャイムが鳴れば、昼休みは終わり。無理やりにでも延長する事は可能だが、詠奈はそれを望まなかった。立ち上がって、俺に手を差し伸べる。
「騙した私を殺したいと思うのは結構。そうする権利も、される覚悟も出来ているわ。ただね……私はシステムじゃない。王奉院詠奈が私個人の為に用意された名前ではなくとも、私は一人の人間よ。自分の為に生きる権利がある。我儘でも何でも、国の為に全てを捧げて生きるなんて冗談じゃない。システムの存続に私が犠牲になるくらいなら、抗ってみるわ。運命が私に微笑まなかったとしても―――」
雲間から太陽が顔を出すように、その生に満ちた笑顔を俺は生涯忘れる事はないだろう。他の全てを、失ったとしても。
「君が、そうやって笑ってくれる限りは」
学校で拾える情報は精々がSNSで、それは詠奈の言う通り友里ヱさんの復活で話題が持ち切りだった。時代を反映してか彼女は生放送を行って人々に語り掛けている。それはいうなれば有難いお話であり、宗教色の強い世界観を語られたが―――暫く俗人のように振舞った成果か急に態度を崩して軽薄に振舞ったりして、それがギャップになってウケている。俺の知る友里ヱさんとは服装からして大きく異なっているが、真っ白い儀式装束のようなモノを着ても、あの緩い口調が戻るとああ友里ヱさんだ、となる。
『これを見ている皆様、当世に救いは必ず存在します。八百万の神に紡がれた願いの軌跡を私が引き受けましょう。お困りの事があれば私のプロフィールにある番号にまでお電話下さいませ。お望みとあらば、堅苦しい振る舞いを止めて、相応に振舞いましょう―――そんな訳でさ、困ってるなら私をじゃんじゃん頼って下さいよ~。助けられる事ならば、パパっと解決してあげます!』
誰も彼女を偽物とは思わないらしい。トレンドを追ってみると、病院に原因不明の高熱で入院していた子を治したのだとか。それ自体が真偽不明と言われたらそこまでだが、彼女には過去の実績がある。彼女を担いだ宗教の悪行もまた残っているが、その力は確かなモノだ。現に今も、街をぶらりと散歩しながら困っている人に声を掛ける生放送を行っている。信者を伴って国内を行脚するその様子はちょっと異様に見えたが、誰もが彼女を歓迎した。
「でけえ……」
「つかめっちゃタイプ。俺入信してくるわ」
「いや怪しいってやっぱ!」
散々な言われようも、本人はきっと慣れているのだろう。しかしこれでは巫女とか救世主というより単なる配信者にも見えてくる。投げ銭で笑顔を注文されればそれに応えるし、何か祈りを求めれば言われた通りに捧げてくれる。
これが新たなタイプの宗教組織なのか……?
「でもここまで庶民的なら、情報収集くらいは確かに出来そうだな」
「ねえ、これが私にいつも電撃流してる人の姿なの? 信じられないんだけど」
梧と帰路を共にしながら配信を眺めていると、後ろから遅れて十郎がやってきた。手には竹刀袋、だが中には日本刀が入っている。
「広範囲はそいつがやってくれてんのか。じゃあ俺達は近場で色々やろうぜ。こっちは誰が担当してるんだ?」
「彩夏さんだけど…………ただあの人、情報収集のやり方が滅茶苦茶だからこのまま行く訳にはいかないんだ。学生だってバレると最悪だから一旦家で変装して合流しよう」
「どういう事?」
「詠奈が買い取ったガールズバーでキャストとして働いてるらしいんだけど…………分かるだろ。制服だとまずいんだ。後はキャストの関係上、トラブルが発生しかねないからお守りって所か」
「へえ。そんなに接客が上手いのね」
「多分、そんな次元じゃない。彩夏さんは―――その気になれば、完璧に人を依存させる事が出来ると思う」