一夜限りの残光
「型とか一先ずどうでもいいから、まずは息切れせずに振れるようになれ。刃筋が立つとか立たないとかこの際どうでもいい」
「本当にいいのかよ!」
庭では侍女達が総出で(帰還した彩夏さん達も含めて)作業をしているので俺達が汗臭く剣を振っているのは森の奥深くだ。最初は型に合わせた素振りでもやらされるのかと思っていたら、開幕早々投げやりな指導をされた。十郎はふざけた様子もなく頭を振って俺の文句を否定する。
「日本刀を使うとでも思ってるのか? あんなもんで打ち合ったら余裕で刃毀れはするわ、そうじゃなくても弱腰の部分辺りから歪んだりするわで消耗品みたいな扱い方になってしまう。実際間違ってはないんだが、たかがパフォーマンスだぞ。使うのはもっと厚みのある、打ち合いに適した西洋の……まあロングソードの事だ。ゲームで流石に見た事あるだろ」
「剣によってそんな違いがあるんだな……? 因みに八束さんのは」
「日本刀だな。どう見ても。何処に居るか分からないが、お抱えの刀工でもいるのかね。師匠の使い方してたら刃毀れ大変そうなんだけどな。とにかく、あれは使わない。あれでパフォーマンスするとしたらお互い剣戟を躱しながら斬り合う事になるが、俺が予め斬る方向を教えてても躱せるか怪しいからやりたくないんだ……死にたくないだろ?」
王奉院詠奈は死なないから、そんな彼女に愛された自分も死なないなんて思い上がりは間違ってもしてはいけない。八束さんに直接刻まれた殺されるイメージは今でもその気になれば鮮明に思い出せる。あの人が確かに、首輪が無ければ俺を殺したいと考えているからこそ、本気で感じ取れる。それがあれば殺される恐怖なんて存在しないのと同じだ。
だがそれは恐れを上書きしているだけで本能の欠落ではない。死にたくないものは死にたくないし、それ以前に痛いのも嫌だ。
「話は終わりだ。打ち込んで来い!」
「わ、分かった。行くぞ!」
一先ずどうでもいいと言われたなら、思うがままに剣を振るだけだ。鋼の棒はとても重い。八束さんはこんな感じのモノを片手で振り回しているなんて正気じゃない。両手でも精一杯どころか……振り回す度に重心が崩れてむしろ俺が吹っ飛んでいた。力一杯叩きつけてるつもりでも、十郎はその場からぴくりとも動かない。
「まだ手加減してるな。俺が信用出来ないか?」
「いや、なんか……意識的に出来ないんだよ!」
「…………ああ、そうか。俺が悪かった。そう言えばそうだな。暴力に慣れてない人間は無意識に加減するだろうさ。頭に血が上ってたりでもしなきゃ無理だ。何度か受けてるけど、そっちにも衝撃が伝わって手が痛いんじゃないのか?」
「さ、流石にまだ音は上げたりしないぞっ!」
「ちーがう。手加減っていうのはそういう痛みのフィードバック、或いは来るかもしれない想像からかかる制限だ。壁に向かって本気で正拳突き出来るか? 何か硬いモノで自分の事を本気で殴れるか? 高所を隔てて違う場所へジャンプしようとすると、その間合いが自分の足幅以上だった場合に助走が減速する事は? 想像が恐怖を与え、恐怖が危険から体を遠ざける。だからお前は手加減をしてしまう。思わない様に努めても俺をうっかり斬り殺してしまう想像は避けられないだろうし、打ち付ける度に届く衝撃に手が痺れ、それは痛みに変わっていく。繰り返す内に嫌にもなるだろ。困ったな…………俺はどんな風に克服したっけか」
「慣れだろ、慣れ。回数こなせばきっと……怖くなくなる筈だ!」
時間がないのだからゆっくり対処法を思案している暇もない。十郎が考え込んでいる間も必死に打ち込んだが、彼の思考を逸らすどころか、結果は想定通りの有様だ。手が痛くて、途中から剣を持つ事もままならなくなった。
「いって……」
「幼い頃からがむしゃらに振って来たならまだしも、やっぱり一朝一夕じゃ身につかないもんだな。少し休憩しよう。俺も何か考えてみる」
「じ、時間がないんだろ?」
「時間がないのと無策で挑むのは別の話だ。考えてみろよ沙桐、パフォーマンスに失敗したらどうなるか。お前を巻き込んだ挙句にそんな事したら、俺は『泥を塗った』って怒られて処分される可能性もある……お前を刺した手前、レッドカードまでもうすぐだろう。失敗はしたくない。考えてみるさ」
待ち時間すら素振りをするのが弟子としては勤勉な姿なのだろうけど、手が痛いとそういう事も出来ない。今からでも彩夏さんに薬を縫ってもらおうか、いやこのタイミングで仕事を増やすのは申し訳ないか。
色々考えていると、不意に庭の方から手槍が飛んできて、横の木に突き刺さった。
「「うわああ!!」」
「景夜様! 何かお困りのようですね!」
「春ッ。お前槍……いや、槍が飛んできた事に困ってるけど!」
詠奈以上の矮躯である彼女の何処にそんな筋力があったかは謎だ。装置を使ったのかもしれないが、いずれにせよとち狂った行いである。十郎はとうの昔に剣を抜き、今にも切りかからんとする勢いだ。
「……あれぇ? 詠奈様に手出し出来ないからって景夜様に嫌がらせしてるように見えたんだけど、違うみたい」
「夜のパフォーマンスに向けてちょっと練習をな。こんな物騒な威嚇されるような事はしてねえよ。お前はメイドだろ、そっちこそ油売ってていいのか?」
春は幹に突き刺さった槍を引っこ抜くと、頭の上の方で槍を回して逆手で返し後ろ手に持った。短い槍だからって同じ事は出来ない。俺がやったら多分、自分に落とす。
「私はちょっと別の仕事を受けてんの。本当は私だってメイドのお仕事やりたいんだよ? だって可愛いし! でもでも、そう都合よくは行かないよね。残念」
「は、春はパフォーマンス決まったのか? みんなやらせるつもりだろうから、考えてないと後が怖いぞ」
怒るかどうかは別として、評価が下げられる一因にはなりそうだ。質問よりも俺がその場に放り出した木剣に興味があるらしく、春はまじまじとその場にしゃがみこんで見つめている。
「これ、本番は何使うんですか?」
「ロングソードって聞いてるけど」
「練習の時から重さに慣れろって言いたいんだろ、そいつは。こんな危なっかしい奴に最初から剣持たせられるかよ。碌に振れないぞ」
「そうじゃなくて、お互いもっと軽い剣を使えばいいんじゃないんですか? レイピアとか」
「あ、刺突用の剣って事か」
「いや、レイピアは普通に切れる。それと俺の方が扱い方を知らねえ。武芸百般を極められるような時代でもないだろ。分かるのはお互い事故を起こすって事だ。仮にそういう問題がなくてもフェンシングみたいになるのはちょっと見栄えがな。そういう試合が見たいなら競技選手呼んだ方がいいだろ」
「そう。パフォーマンスなんて何でもいいのにそういう所は凝りたいんですね」
それは思った。
何でもいいとは言わないが、そこまで厳密にする事はない。ただ、十郎のイエローカードの事情を考慮するとここまで力が入っても不思議ではない。春とは立場の強さも、気に入られ方も違うのである。
「その割には直ぐに習得出来そうもない事をさせてるけど、景夜様のかっこ悪い所なんて見たくないですし、私も混ざっていいですか? この春ちゃんが武器の何たるかを教えましょう!」
普通の大学生だった彼女に何が出来るのだろう。
とはいえ時間もないし、頼みの綱の十郎も名案は思い付いていないようだ。話を聞くだけ聞くならまあ…………
「もしもし。私。そっちの状況はどうかしら」
『 』
「へえ、パーティーの準備中なの。それは非常に楽しそうね。……気になさらないで。二人の関係が親密な事について特に意見はないわ。私は空虚な存在をオスとは認めていないもの」
『 』
「ただ、腑抜けてもらっても困るのよ。私一人だけではサプライズが足りなかったみたい。取り敢えず―――」
「全員、殺して下さる?」