真剣で交する一夜の恋
「えっと…………詠奈様。これは一種の拷問でございます。一対一ならばいざ知らず、どうして景夜様まで」
「ほら見ろよ。獅遠困ってるじゃないか。賭けは俺の勝ちだって」
「まだ何も言っていないと思うけど。幾ら勝ちたいからって勝負を急ぎ過ぎよ。それで、どうなの獅遠。貴方は……私に勧められる? それともやめた方がいいって先人として警告出来る?」
まずこの状況がどうしようもなく下らないのは置いといて、家に主人が帰って来たかと思えば突然過ぎた事で問い詰められる獅遠が可哀想で仕方ない。いや、詰められるという表現は語弊しかないけれど、答えに窮しているのは間違いないから。
「…………うう」
俺に視線を配っているのは助けて欲しいのか、それともこの状況について説明して欲しいのかどちらだろう。見つめ返していると心なしか俺を責めているように見える。そんな謂れはない。
「さあ、早く答えなさい。答え如何で処分なんて事はしないわ。これはちょっとした景夜との遊びだから。どんな答えを言っても何もしないと約束しましょう」
「え、詠奈様。隣でずっと見てた筈じゃ……」
「百聞は一見に如かずだから、聞くまでもないって事を言いたいのかしら。私はそれでもいいけど、自己解釈に委ねてしまって本当にいいのかしら。ねえ、景夜」
「獅遠! お願いだから自分の言葉で言ってくれ!」
「ええ……そ、そうですね。胎内の子への負荷を考えない物とするならば……それは通常有り得ない過程の話になりますが」
「ええ。知ってる」
「…………………………………………………………結構、良かったです」
「イカサマだ!」
やにわに声を上げると、二人はぎょっとして俺の方を振り向いた。
「よく考えたら全部おかしい! だって獅遠は詠奈の所有物だから、主人の望む返答をするのは当たり前だった! この賭けは成立してない!」
「何を言い出すかと思えば。たった今の会話の何処に強いるような場面があったの?」
「明言してなくても空気読むんだよ! 見た目がどんなにちゃらんぽらんでも詠奈に従わない奴は処分されるんだから、みんな根っこは真面目なんだ。こんな状況だったら空気読むに決まってる! 騙された!」
『王奉院詠奈』がどうかは知らないが、名前を継いだだけで同じ星の下に生まれるなんて奇蹟は起きない。詠奈が自信満々だった理由はそこにあったのだ。最初から勝利が確定した賭けのように見える予定調和は、万に一つの敗北もないのだから誰でも自信に満ち溢れる。オールイン上等、外れは無し。
これを負け惜しみと捉えてくれても構わない。詠奈は小さく息を吐くと、獅遠の頭を撫でながら呆れたように俺を諭した。
「賭けはその場その場の出たとこ勝負ではなく、それまでに何をしてきたか―――下準備が大切なのよ。必ず勝ちたかったら勝つ準備が。負けたくなかったら負けない準備をするべき。イカサマなんて言われても、この為に用意をしなかった君に問題があるわね」
「クソ、開き直りやがって!」
「ふふ」
もし俺に勝算があるとすれば最初からこんな賭けに乗るべきではなかったのか。詠奈と何か勝負をする時は気をつけよう。そこには必ず勝算がある。理由もなく勝利を確信しているのではなく、こちらが何も準備しなかったらまず負けないような状況が作られているのだ。
「賭けは私の勝ち。具体的にどう良かったのかを改めて聞いてみたいから、少し席を外してくれる? そう言えば、圀松十郎が貴方を呼んでいたようだし」
「え? 十郎が?」
「彼への躾けはまた今度。今日はとても楽しいパーティーの日よ。どんな用件かは知らないけど、行ってくれば?」
十郎は学校では碌に絡んでこなかった。すれ違ってすらいないがちゃんと学校には来ていたのは放映の際に確認済みだ。結果的に相手が偽物だったとはいえ詠奈に刃を向けた事がきまずくなったから必然傍の俺にも絡まなかったと考えたが、違うらしい。
お言葉に甘えて退室する。庭では早速詠奈の指示を受けた侍女達が一夜限りの会場設営に取り掛かっていた。もう当たり前で誰も気にしていない事実だが、男手が非常に少ない。普段この敷地に居る男は俺とコックさんの二人だけど、呼んでいるなら十郎も何処かに居るはず。
そして暇を持て余しているなら、設営を手伝っている筈。
―――いた。
やはり重い物を任されている。八束さんの代わりと言った所だろうか。指示を受けて黙ってこなしている。会話は特にないが、侍女達からは比較的受け入れられているようで何よりだ。
「おーい、十郎。お前、俺に用事があるんだって?」
作業を止めてしまうのは少し申し訳ない。怪我なんて最初からなかったように元気な様子の青年は、机を一旦その場に置くと、俺を手招きしてゴミ捨て場の方へと移動する。
「お前、俺に刺されといてよくもそんな態度が取れるな」
「別に気にしてない。逆の立場なら俺もそういう事するだろうし。それより用事だよ用事。言っておくけど、真実は教えられないからな」
「……それはもういい。俺がお前を呼んだ用件はただ一つ。今夜のパーティーのパフォーマンスについてだ。何で俺も参加させられないといけないのか甚だ分かんねえが、やらないといけないらしい。そこでお前の出番だ」
「何処にも無さそうだけど!?」
「いつだったか俺に剣を教えろって言ったよな。ふざけたお願いだけど、丁度良かった。今から速攻で教えるから少しは振れるようになってくれ。それが出来ればパフォーマンスとして多少斬り合ってもいいだろ。質問あるか?」
ありすぎるよ、と目で非難を浴びせても十郎には届かない。知りたければきちんと言葉にして、質問しよう。ただ夕食までに時間はないから全部は無理だ。
「なんで斬り合いたいんだよ。パフォーマンスならもっとこう……あるだろ」
「このままだと約束を果たす機会に恵まれないのが一つ。どうせしなきゃいけないならせめて身が入るパフォーマンスをしたいのが一つだ。それと……雇い主からその指示があった」
「……詠奈から?」
「剱木八束の万が一の離反をケアする為に、真剣な欲求を解消しろ……ってな」
八束さんに忠誠心がない訳ではないだろうが、あの人の人格は少々おかしくなっている。今までは権力で並ぶ者が居なかったから不安もなかったが『王奉院詠奈』であれば話は別だ。合法的に詠奈を斬る為に離れる可能性は無きにしも非ず。
「でも八束さんは今妊娠中で……」
「お前が俺に教わろうとした理由もそれだろ? 何もかもタイミングが良いんだ。まあ無理にとは言わないが……俺も剣を教わった身。ちょっとくらい恩返しはしてえよ。なに、ガチで殺し合うんじゃない。飽くまでパフォーマンスだ。お前の動きに合わせて俺が受けるから、お前はただ攻める事を覚えてくれればいい。出来るか?」
「―――ああ。そういう事なら断る理由がない。八束さんが満足するかは分からないけど、頼むよ」