秘密の賭け
文化祭の売り上げ発表については言うまでもないだろう。詠奈が居るクラスが一番だ。所詮は学生がやる模擬店と侮るなかれ、詠奈を忙殺する為に陰で働いた侍女の働きもあってちょっとしたお店よりも遥かに売れ行きが伸びてしまった。
気がかりなのはSNSに詠奈の事が拡散された事だが―――いや、何処の誰とも知れぬアカウントに性的な目で見られる事が嫌なんじゃない。誰かが暗殺を企ててくるかもしれない事の方がずっと気掛かりだ。
詠奈は偽物を国中に作ってデコイとして放置しているようだけれど、それもいつまでもつのか。『王奉院は死なない』なんて、自信たっぷりに言われたとて……心配なものは心配である。
「いいわよ別に、そういう目で四六時中みられる事にはとっくに慣れているわ」
すっかり立ち直ってくれた詠奈は、やっぱり気にしない。疲労困憊と言った様子だが、全体重をかけて俺に体を預けてくれる。仲直りの証というか、こう露骨に示さないと詠奈自身もまた強がってしまうのだろう。自分の感性を良く分かっている。
「本当に打ち上げ参加しないで良かったのか? 一応功労者だぞお前」
「功労者というのなら、せめて望み通りに慰労して欲しいものね。私は君と一緒に居た方が労われる。だからいいのよ、家に帰って。庭でゆっくり夕食でも摂りましょうか。ワインでも飲みながら」
「おい、未成年」
「冗談よ。ただワインは私が買った子には成年者も居るから用意はするわ……君と同じ時代を過ごしたいもの。背伸びする様な真似はしない。ちゃんと適齢になったら一緒に飲みましょうね」
腕を組みながら、詠奈は眠そうに目をゆっくりと瞬かせる。夢の一時を―――或いは既に微睡みの中か。幸せそうな横顔を見ていたらまともに考えるのも馬鹿馬鹿しくなった。
「そう言えば庭って事はランドリーの子も一緒か? それはもう、凄い盛大な感じになるな」
「花火でも打ち上げる?」
「打ち上げってそういう意味じゃないけど……まあ庭が広すぎると思ったし、たまにはこういうイベントもいいかもな。後片付けを考えると―――凄く申し訳ない気持ちになるけど」
「主人の命令に従っているだけを申し訳ないなんておかしな事を言うのね。私をここまで働き詰めにさせたのは誰? 私は確かに慈悲深いけど、甘くなったつもりはないわよ」
取り留めもなく、言ってしまえば益もない。無為な会話も、好きな人となら幾らでもこなせる。それは決して特別な事じゃないけれど、特別な人とだからこそ為せる奇蹟だ。
―――だからみんな、車に乗らなかったのか。
詠奈に気を遣って……少しでも休めるようにと二人きりの空間を手配したのだ。それはついさっきも存在したけれど、状況が違うだろう。それに侍女が知る筈がない。彼女達は彼女達でお祭りを楽しんでいただろうから。
「何だか俺も疲れたよ…………」
「一緒に少し眠る? アイツの事があるから君も必ず安全とは言い難い立場になってしまったけれど、この車は防弾仕様だから襲撃されても安心安全。自宅につくまで何ら心配する事はないの」
「凄く物騒な事を言われて安心とは言い難いけど、寝た方が良さそうだ。少しだけ。ほんの少しだけな」
「……夜更かしはいけないことだけれど、夜に騒ぐためには必要な事よね。楽しい事をする時はいつも夜更かしをしないといけないの。ああ、今から楽しみ。一体どんな事をしようかしら」
「何考えてんだよ夕食で」
「せっかくだからパフォーマンスでもやらせてみようかと思って。買った子の特技や出来る事は一通り把握しているつもりだけど、分かった気になるのは良くないわ。ひょっとすれば私が気まぐれに映画を撮ったように、何か面白い物が見られるかも」
これは、家に帰ったら早速通達されるのだろうか。ただ主人の帰りを待って職務を全うしていただけの侍女が、まるでにわか雨にでも遭ったような些細な災難に遭う。可哀想だ。
でもそれが詠奈の指示なら、やっぱり逆らえないし、本当に何も用意出来ない子は頑張って夕食までに考えないといけない。もし頼られたら手伝おう。
「…………」
「…………景夜?」
意識は僅かにしか残っていない。眠りに落ちるその寸前。彼女は確かに俺の唇を奪った。
「景夜。起きて。起きて」
「………………………んっ。ん?」
揺らされる身体、呼びかける声。車内が明るいのはライトが点いているからだ。最初は声しか聞こえていなかったが徐々に視界は鮮明になり、声の主についても自ずと判別がついていく。
「……詠奈?」
上から俺に跨っているようで、髪の毛が口元の辺りを塞いでいる。喋る時に口に入って危うく吐き出しそうになった。長すぎる髪も考え物だけれど、元から詠奈は長かったし、俺が好きだと言ったから彼女は伸ばしている。責任は自分にあった。
「…………もう着いたのか?」
「ええ。本当はもう少し君の寝顔を観察したかったけど、丁度良かったから一足先に知らせておいたわ。今大急ぎで準備してくれているから、君は獅遠の部屋で少し休んでて」
「……アイツももしかして働いてる?」
「少しは動いてるかもしれないけど、指示は出してないわ。妊婦さんに無理をさせる訳にもいかないでしょう? 大丈夫、今日は沢山君から元気を貰ったから寂しくなんてないわ」
そう言ってお腹を愛おしそうに擦る詠奈は―――確かに避妊はしていないけど―――まだ見ぬ子供を愛でるようであった。仏頂面な彼女には珍しく、恥ずかしそうな笑顔を浮かべている。
「……もしかして今日、危険な日か?」
「ふふ、さて、どうかしら。これでも消極的には対策してきたけれど、あんなに激しく求められたらいっそもう孕んでしまおうかと考えが変わりつつあるのよね。少し真面目な事を言うのであれば―――妊娠したまま君とシてみたくて」
「え、詠奈。それはでもほら、いや、獅遠の時は言われたからそうしたけど実際負担は……」
「天気を独断で変えられるように、権力は多くの事を可能にするわ。とても痛い出費になるだろうけれど、君との夫婦生活に惜しむモノはない。不可能を可能にせずして何が王様かしら」
―――ま、まずい。
ただ仲直りしたかった……もっと言えば『王奉院詠奈』との再会で不安定になった詠奈を元気づけたかっただけなのに、更なる自信を身に着けてしまった様だ。ワインもビールもなく、最初から酔っているかのようにふざけた発言は、しかし彼女がこの国の支配者である限り戯言とも片付けられない。
というか、天気を電話一本で変えてしまうよりは余程現実的である。
「詠奈。お前は疲れてるんだ。悪い事は言わない、お前も獅遠の所に行こう。妊娠中にそんな……快楽を追及する行為がどんなにリスクが高い事か教えてくれる筈だ」
「ふーん? それじゃあ簡単な賭けでもしましょうか。獅遠は私に警告するか、それとも勧めるのか。前もって言っておくけれど、まず勝てるとは思わない事ね」
「それは……無謀だと思うけどな」
獅遠の大変さは身近で見て来た俺も少しは分かっているつもりだ。賭けにならない……と思っているのに、彼女はやけに自信満々。困惑していると、詠奈は自慢げに胸を張って言った。
「王奉院を継ぐとはそういう事なの。王奉院には世界を手にする運がある。そして誰もを動かす力がある。だから―――賭けていいのよ。賭けとして成立しないくらい、勝ちは見え透いているから」
「…………それは、あの人の受け売りか?」
「……ええ。実際アイツは幸運の星の下に生まれたとしか思えない程。ううん、運命が勝たせに行っているとしか思えない程、確実に勝利を掴み取る。そんなアイツから私は名前を継いだ。あそこまで傲慢に振舞うのは難しいけれど、これくらいなら大丈夫」
賭けが成立するには、報酬が必要。勿論それがなくとも、遊びとしては成立するけど。
「もし君が勝ったら―――いつでもいいわ。言う事を一つ聞いてあげる。私がどんなに嫌でもね。私が勝ったら…………仕返しする」
「し、仕返し?」
「君がどれだけ私を愛しているか―――嬉しかったけど、私が負けているみたいで今更腹が立ってきたの。だからその仕返しよ。絶対、負けを認めさせてあげる」