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刻下告解国家令嬢

「…………ん。ここ、は」

「屋上だよ。良かった。ようやく目覚めてくれたんだな」

 詠奈が気絶していた経緯は分からないが、意識を取り戻してくれたならそれでいい。壊れたテレビでも治すみたいに叩く選択肢も考えたけど、好きな女の子を殴りたい男が何処にいる。 

 詠奈は立ち上がると、直ぐに自分の服装が変わっている事に気が付いた。

「……私、は…………君が起こしてくれたの?」

「ああ。詠奈さんがお前を連れてって何事かと思った。それで……どうやっても起きなかったから、目覚めのキスをだな」

「…………」

 詠奈は口元を隠すように手を置くと、ほんのり耳を赤らめて首を振った。

「……いいえ、そんな場合ではないわね。まずは有難う。お陰で目覚める事が出来たわ。どれくらい眠っていたかは分からないけど、一般公開は?」

「もうすぐだ」

「じゃあもどらな―――」


「待てって」


 行動力があるのは良い事だが、直ぐにでも取り掛かろうとするのは一長一短だ。お嬢様なんだから『俺が居ないと仕事に穴が生まれる』みたいな社畜精神はやめて欲しい。引き止めると、詠奈は存外すぐに足を止めた。

「君も知っての通り、うちのクラスは私の努力で成り立っているのよ。戻らないと怒られてしまうわ」

「詠奈さんが代わりにやってくれてる。本物が行ったらむしろ混乱しちゃうよ」

「……あの子も、余計な事を」

「多分代わっていいと思ったら向こうから代わってくれると思う。今は少し……待ってくれないか?」

 詠奈さんは生きる事に疲れたと言っていたが、それと詠奈への想いは別だ。あの人は自称姉として、妹に当たる彼女を心から心配している。そうでなければ影武者なんて出来ない。俺に死にたがりの印象を与えたかったのだろうけど、妹に生きて欲しいから自分の命を賭しているようにしか。

「……露出が少なくて助かったわね。危うくスタイルの変化でバレてしまう所よ」

 詠奈は諦めたように溜息をついて、俺の隣に座り直した。

「幾ら男子が胸ばかり見てるからって簡単に気づけるかな。体育祭で気づかれなかったのに」

「でも私よりお尻は大きいわよ」

「気づくポイントは沢山ありますよじゃなくてさ。まず似た顔の人間が二人いる想定が難しいと思うんだ。ちょっと自分の中で何か違うと思っても詠奈に似た顔が居るなんて想像つかないじゃんか。元々一人の想定なら、気づけるポイントがあっても分からないと思う」

「君のように沢山えっちな事しないと分からないものなのね……不満はあるけれど、まあ納得してあげるわ。疲れているのは本当だし……実際、今の私がまともに働けるとは思えないから」

 詠奈の肩にぴたりと身体を添わせると、向こうも縋るように腕を絡ませてくる。身体は微かに震え、指先は少し冷たくなっていた。

「何があった? 俺は正直、お前が自分のキャパを超えて過労状態になって倒れたとは思ってないんだよ。体力は少ないかもしれないけど、それを弁えてるのが詠奈だ。夜も……そんな感じだし」

 普段はこんなに威圧的で冷静な彼女がまるで生まれたての小鹿のように頼りない動きで縋ってくる時と言ったら、嗜虐心のような征服欲をそそられる。所有物の分際で、何とか屈服させて自分の物にしてやろうという思考にさせられるのだ。

 誰かを信頼するに至ってそこに理由は伴わないといけない。理由のない信頼は理由のない疑念へと変わる可能性がある。心の動き一つで変わってしまうような信頼は信頼ではない―――詠奈が一々お金を絡ませるのもその為だ。

 その理由が俺という奴は大分下世話だけど。夫婦であり恋人であるならむしろ大切な事だ。

「君の言う通り、私も自分の体力の少なさは把握しているわ。確かに疲れていたけれど、ここまでじゃなかった…………私は…………」

 詠奈は不自然な場所で口を噤むと、そのまま黙り込んでしまった。

「詠奈?」

「うん……ええ…………ごめんなさい。自分の弱みを見せるって怖いのね。君に嫌われるかもなんて思ってはいないのよ。ただ自分が……自分の…………」

「俺はどうすればいい?」

「―――少しだけ、抱きしめて欲しい」

 歯切れの悪さは不安に由来しているのだろう。詠奈を力一杯抱きしめると、彼女は俺に顔を埋めて、ぽつりぽつりと続きを話し始めた。

「―――トモダチは、確かに大切な存在よ。でも、怖いの。私は彼女を恐れている。こればかりはどうしようもない。子供の頃から刻まれた……トラウマというか。苦手意識がある、の」

「……仲は悪かったのか?」

「どちらかと言えば、良かったのかしら。一方的に仲良しだったとも言えるわね。さっきまで私は働いてて……そしたら急に電話が鳴ったから、場所を移動したの。この携帯にかけられるのは君かもしくは所有物の誰かか……だと思ってたから」

 心拍が早まる。呼吸は荒くなり、背中を掴む力がぎゅっと強くなった。初めて見る反応だ。人が目の前で死のうとも何も思わない少女が、ここまで露骨に拒絶しているなんて。

「……友達の子だったんだな」

「『随分、楽しそうだこと』って言われて……私は、冷静になれなかった。あの子は怒ってたから。それで………………私……」

 気絶する程拒否感を示すくらいの恐怖を俺は知らない。八束さんに切り刻まれるイメージが個人的には最高潮だけれど、それとはまた系統が違う。あれは恐怖なんてする暇もなく、抵抗などする余地もなくただ崩れていく無力に伴う恐怖だ。


 ―――既に一般公開は始まった。


 屋上に居るから分かりにくいが、耳をすませば地上の喧騒も明らかだ。詠奈は空気が違うから分かると言ったけど、それ以前の接触でここまで取り乱すなら来るその時まで顔を合わせない方がいい。映画を放映する時にはどうしても顔を合わせないといけないだろうけど、それまではせめて。

「……せっかく模擬店開いてるし、何か買ってきて食べよう。食べれば落ち着く筈だ。詠奈、何が食べたい?」

「…………確か、外で肉を焼いてるクラスがあった筈。串焼きとして。それが、少し気になるわ」

「分かった。じゃあ買ってくるからお前はここで待っててくれ。ここから出なかったら何も心配する必要はない。いいな?」

「………………一つだけ」

「何だ?」

「もしもあの子に出会ったら……貴方も直ぐに正体が分かるわ。話しかけられたら……靡かないで。どんな要求も拒絶して。お願い。出来る事なら関わって欲しくないから……それだけ、徹底して」
















 グラウンドの方であれば屋上からも位置が分かるものの、詠奈がモロに顔を出すとそれはそれでややこしくなるというか、俺がいない内に詠奈の友人が屋上に来てしまう可能性がある。彼女には努めて顔を出さないでもらって、詠奈さんには本来の役割通り影武者を演じてもらう。

 肉を串に刺して焼くだけだ。焼き加減の問題こそあるが手間はそれほどかからず、外で店を開いているのである程度の混雑も対応出来る。女子生徒は主にレジを、男子生徒が主に鉄網と向き合っているようだ。

「すみません。串焼きを……六個セットで」

「あいよ! 少々お待ち!」

 会えばすぐに分かると言っていたけど、そんな人物は周りには居ない。そう都合よくは出会えないか。それもその筈、詠奈の友達とやらは俺の事なんて知らない。だから当然俺の近くに現れたかったら偶然性にかけるしかない。

「おら、お待ちどう!」

「おう、ありがとな」

 料金を入れて直ぐに屋上へ戻らんとすると、見覚えのある人影を雑踏の中から発見して。



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「あ、あの。貴方って」

「ん?」

 周囲の人間全てが彼女に注目している。美しく整えられたショートカットにシンプルなフレームの眼鏡、何より奥から世界を覗く真っ黒い瞳を忘れる訳がない。

「あら、ごきげんよう。貴方とは洋服売り場で出会って以来ね」

「お、覚えてますか俺の事!」

「ええ、私は覚えているわよ。全てを、まるで今日あった事のように。そう言えば名前を聞いていなかったわね。よろしければ、聞かせて下さる?」

 目を細めて笑う女性に、俺は元気よく自己紹介した。

「俺は沙桐景夜です。あの時は本当にありがとうございましたっ」

「気にしないで。それでも気にしてくれるというなら、この学校を案内してくださる? 気心の知れた導き手が居た方がよりこのお祭りを楽しめると思うの」

 女性は串焼きを指さすと、くるくると指を回して俺に向かって首を傾げた。

「それ、お一つ貰ってもよろしくて?」

「え。あ―――は、はい。欲しかったらまた買えばいいだけですもんね! あ、そう言えば貴方の名前は何ていうんですか? 呼び方分からないと……ちょっと困るんですけど」

「景夜君の好きに呼んでくださる? 生憎と名乗れる名前が無くて……A子とかB子とかでも構わないわ」

「な、名前教えたくないんですか?」

「貴方の回りにもそういう人は居ないかしら。居るなら話が早いのだけど、そういう事情があるの。でも名前なんてなくたって、貴方と私の縁には無関係よね。ふふ…………運命なんて言ったら、少しロマンチックかしら」

「や、やめてくださいよ……もう!」

「ふふふ」

 

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