祭囃子の黄昏
文化祭という言葉はその大層な響きとは裏腹に気軽な行事でもある。一言で言ってしまえば一般人も混ぜて模擬店を開いてわちゃわちゃと盛り上がるだけ。売上の勝負くらいはあるけど、それもそこまで本気の物ではなくて、頑張ろうという意気込み……或いは目標だ。それがないとやる気が出ないという人向けと言い換えてもいい。
「景夜君。今日は楽しみましょうね」
「詠奈……」
「お前がどう考えても一番ワクワクしてるよな?」
「えっ」
詠奈は自分がいつ着るかも分からないメイド服をわざわざ家から持参した上で早速着替えようとしている所だ。まだ何処のクラスも模擬店は開かれていない。彼女が用意したメイド服を接客を務める女子が着替えようとしている所だ。
そうなると普通は更衣室を使うなり、何処かの教室を代替として使わせる方が良いのだが、詠奈は準備があると言って俺を伴いプールの方の更衣室へ。着替えの全てを俺に任せている。互いに向き合う形で着替えさせているから俺はどうにも煩悩が抑え込めないし、詠奈は手を布の上に置いて愛おしい手つきで手持無沙汰を慰めている(切実に自分で着替えて欲しい)。
「し、下着まで着替える必要あるか?」
「着けない方が好きなのね」
「そうじゃなくて! 形から入るって言っても必要なのかなって……」
「形から入るってそういう事よ。心の身分を入れ替えているような、そんな気持ちね。それに、このメイド服なら誰かに見られる心配もないでしょう。それなりの頻度で私がパンツを履いていなかった事なんて誰も知らないわ。努めてそういう状況を維持したから」
「……詠奈がこんなに淫乱だって知ったらほんと、クラスはどうなるんだろうな」
「淫乱なんて失礼ね。好きな人には何もかも見て欲しいと思うのは普通の事よ。何もかも見て欲しくて、知って欲しくて……だから私を調べる事にも制限は設けていないでしょう。それはそれとして、ミステリアスなままで居たい気持ちもあるけれど。いずれにせよ、階段を先に上ってあげたらスカートに顔を入れる勢いで覗き込んだ君には関係のない話ね」
「それは別に……下着履いてても、やっちゃったし」
「他の子には駄目だけど、私は許可してるんだからそんな申し訳なさそうな言い方しなくてもいいのよ」
服は着せたので、次は靴下―――ハイソックスか。椅子に座ってもらうと、つま先から布地をゆっくり入れていく。足のつま先から頭のてっぺんまで詠奈の身体は綺麗だ。他の、詠奈とは無関係な女子に視線が行かないのは単にそういう理由。同じ下心に由来しているから詠奈も信用しているという訳だ。断じてそこには高潔な理由なんてない。
誤解を恐れず言うなら詠奈の方がエロいから、というだけ。
「……このメイド服だと絶対領域とかって生まれないけどそれはいいのか?」
「これは、単に寒くなったら嫌だから」
「あ、そういう。まあ露出ない方が女子も抵抗ないもんな。好きな人以外に見られるの嫌って人はそりゃ当然多数派だろうし」
「メイド服はむしろ露出が少ない方がお洒落だと思うの。気品も感じるし、多少雑な動きでも雅やかな振る舞いに見えるかもしれない。ミニスカみたいに足を見せるモノは脚線美に自信がない子が嫌がるでしょうし、胸を強調する、もしくは谷間を見せる様な服装はある程度胸が大きくないとそもそも不適格だし。でもこれなら問題ない。個人のファッションセンスも問われないからその点も心配無用。素晴らしいでしょう?」
「本当に一家言あるっていうか、俺も賛成するけど譲らないよな」
「露出と美貌はイコールではないのよ。露出をするなら勿論、美貌を持ち合わせていた方が大きく有利だけど、真に持ち合わせた美貌なら露出を抑え込んでも関係ないわ」
もう一足も履かせて、不自然がないかをチェックする。毎日彩夏さんとか獅遠のメイド服を見ているのだから、妙な所があればすぐに分かる―――問題なさそうだ。
「ちょっと回ってみてもらえるか」
詠奈はその場で軸足を決めて華麗に一回転。スカートが円を描いて綺麗に回る。
「―――そういえば、ブリムはいいのか?」
「そこは自由ね。私はいいわ。それよりも次は髪をお願い。こう長いと危ないでしょう」
普段は肩に流すくらいで対策をしない人が何を言っているのだろうかと思いつつも、くるぶし程まで伸びた髪は動き回るには確かに危険だ。物臭で切らないという訳ではない。出会った頃に俺が夢中になっていたら詠奈がずっと維持してくれているだけだ。
お風呂に入った後にベッドで嗅ぐと、とてもいい匂いがするから今でも気に入っている。何なら夜は詠奈に乗ってもらいながら髪を嗅いでいる時もあったっけ。
「―――いつもお前の髪を世話してるからかな。髪の扱い慣れちゃったんだよな」
「結び方は任せるわ。動くのに邪魔でなければなんでも」
「……団子にしたら似合うかな」
「あまり急がないけど、時間が掛かったらみんなが探しに来てしまうから気を付けてね」
髪を結んでいる間、詠奈は呑気に鼻唄なんか歌って俺の仕上げを待っている様子。この日をどれだけ待ちわびていたのだろう。映画の事なんていっそどうでも良さそうなくらい、模擬店を楽しみにしている。
「……詠奈の友達はもう来てるのかな」
「…………さて、どうなのかしら。本人は来てなくても間者くらいは居るかもね。近くに居れば私が分かるからその時は伝える。空気感が違うの。来て欲しくはないけど……あんな電話があったら来るのでしょう」
「―――なんか、俺も怖くなってきたよ。お前がそこまで警戒するなんて何だかな。恋人の様に振舞えっていうけど、ちゃんと出来るか―――」
と、そこまで言いかけて思い至る。不安を吐露するなんて駄目だ。普段は詠奈がフォローしてくれるかもしれないけど、今はその詠奈が一番不安を感じている。友達の事なんて何も知らない俺が恐怖を覚えるのはおかしい。
恐怖とは未知であるけれど、未知は無謀を与える魔法でもある。俺が頑張らないと。
「―――そう思ってたけど、詠奈があんまり可愛いから出来ると思う。ほら、こんな感じでどうだ?」
手鏡を見せると、詠奈は髪を少し触って、満足そうに頷いた。
「これで大丈夫。後の問題は恋人としてどう振舞うかだけど……流石に私は接客しないといけないから、君は入り浸った方がいいかしら。そうすればあの子からは簡単に見分けがつくと思うけど」
「詠奈さん呼んだ方がいいかな? 接客を任せて俺達は店を回ってた方がそれっぽい気がするけど」
「詠奈さん?」
「あ。影武者の事……だけど?」
「いつからあれをそんな呼び方するようになったの?」
そういえば、この呼び方は。
王奉院家の中で起きた話を知ってからの呼称だった。
鏡越しに、詠奈が無表情のまま俺を見つめている。
「いつからそんな気安くなったのかしら。じっくりと話を聞かせてもらいたいわね。デートはした? キスは? 身体の関係は? あれを偽物と知った上でしたの? それとも私と勘違いしちゃった? ねえ」
「お、落ち着けって詠奈! お前が想ってるような事は何もない! えっとえっとえっと…………十郎とちょっと揉めてその時に仲裁してくれたのがあの人なんだって!」
「何かあったの?」
「いや………………あ、あったけど。手を怪我したくらいにはあったけど。勘違いするなよ! 絶対に勘違いしないで欲しいのが、俺は気にしてないから! 十郎を処分するなんて言わないでくれよ! アイツには頼みたい事があるんだからさ!」
「そうなの。じゃあ処分はしないでおくわ。けれど……好きな人を怪我させられて黙ってる程、私も愚かではないわ。躾けをし直さなきゃ。二度とそんな馬鹿が出来ないように」




