愛した君の見分け方
「沙桐君。こっちですよー」
コックさんから核心的な情報は得られなかったが、物事には順番がある。彩夏さんを探していたら、ゴミ置き場の近くで彼女を見つけた。呼び出されたという事ではなく、ただ偶然。
「もう、遅いですよっ」
「呼び出された記憶ないです」
「そうでしたっけ? うふふ、沙桐君と二人きりになれるって分かって舞い上がってたかもしれませんねー! 一番最初に妊娠したのが私だったら、独り占めでした?」
「そ、そうかもしれませんけど。よ、用件。俺に何か言いたい事があるんじゃないんですか?」
ハグされたかと思うと耳元でひそひそ囁かれて身体が落ち着かない。生理現象としてこの状況は興奮してしまうし、それは多分彩夏さんにも伝わっている。揶揄うような、喜ぶような微笑みを浮かべてまた一言。
「今度は私ともデートしましょうね! 見せかけじゃなくて、ちゃんとしたものを」
「あ、う、は、はい……」
「約束してくれますかー?」
「や、約束します。落ち着いたら……はい」
「私と昔した約束は覚えてますか?」
「え……」
約束と言い出したら、みんなとしている。
小さな事から大きな事まで漏れなく殆どの子としている。その場しのぎの発言だったつもりは一切ないけど、彩夏さんとの約束は―――
「一緒にデザート作る、でしたよね」
「ぴんぽーん! 覚えてるならいいんです。私、その約束ずっと待ってますからっ。それさえ確認出来たらもう安心! 少し時計の針を戻しまして……コックさんと詠奈様のお父様について話していましたね?」
彩夏さんは俺の調査には一切関与していない。王奉院の隠された歴史や現状、国との関係性について把握している道理はないし、それを分かっているから俺も詳しい事情は言わなかった。
だが今、確実に。確かに詠奈の父親について。
「え、え、どうして彩夏さんがその事を……?」
「んー。どうしてだと思うか聞いてもいいんですけど、イジワルはまた今度! 実は私も詠奈様のお父様を見かけた事があるんです」
「―――俺の記憶違いじゃなければ、彩夏さんって違法風俗の客引きをほんの出来心でやってた一般人だと思うんですけど」
「それ、本当に善良な人に失礼ですよ!?」
「だって、他の人に比べたらそうだし」
樹海に引き籠っていたり。
怪しい宗教の神輿として担がれたり。
海外で奴隷扱いされていたり。
それと比較したら幾ら何でも普通すぎて反応に困る。振れ幅が大きすぎて詠奈が何処から情報を仕入れて、買うべきか否かを判断しているのか謎だ。
「その風俗に来た事があるんですよ。横柄な感じだけど金払いだけは無駄に良くて、だから上客って事になったのかな」
「……誰が目当てだったんだ?」
「さあ? 誰に対してもあんな態度だったから私も内心ムカついてましたよっ。女性を物としてしか見てない感じ? たまにそういう人は居るんですけどあの人は別格。それが詠奈様のお父様だとは思いませんでしたけどね?」
「彩夏さんはいつ気づいたんですか。詠奈の父親だって。確か色々失って放浪してた時にスカウトされたんですよね。王奉院だって聞いてたら印象が悪いんだから受けるはずがないと思うんですけど」
「それは違いますよ沙桐君。その人は金払いが良かったって言ったじゃないですか。王奉院なんて苗字中々ありません。あの人の関係者なんて確かに嫌でしたけど、詠奈様はまだまだ幼い女の子だったし。お金出してくれるならまあいいかなって! 蓋を開けてみればここには女の子しか居なくて気が楽でしたしね!」
俺の先入観は飽くまで詠奈との出会いありきだ、と彩夏さんに指摘されてしまう。言われてみればその通りで、王奉院の歴史を掘るきっかけも詠奈、俺の人生が楽しいのも詠奈のお陰、俺が男女の一線を超えられたのも詠奈のお陰。詠奈ありきで父親を探る俺に対して、彩夏さんやコックさんの言う事が本当なら二人は父親の後に詠奈と知り合っている。
―――確かに、認識は偏るか。
「ただ不思議なのは、コックさんと彩夏さんで生活圏は別に被ってなかった筈。何でまた二人が遭遇してるんですかね?」
「それは沙桐君が一番分かってないと駄目ですよー。影武者をお忘れですか?」
「え? ああ……」
詠奈さんの存在がノイズになっているが、俺達の生活には関与しない影武者が日本中には大勢いる。その人達は顔だけを詠奈に整形したまま普段の生活を送っており、それが詠奈を良く思わない人間に大勢殺されているのが現状だ。彼らはきっと何も知らされていない。美人な顔になれるならと承諾したのだろう。
躾けのされていない影武者なんて効率が悪いとは思いつつも、実際デコイにはなっているので何も言えない。
「でもお世辞にもかっこよくはなかったんですよね? だったら影武者なんて引き受ける奴が……ああいや、無理やりやらせればいいのか。でも無理やりやらせても野放しだったらその通りに振舞うとは限らないような」
「影武者って本来相手から見てどっちか分からなければいいんですよ。コックさんの方でフルネームを名乗ったなら別ですけど、私の時は苗字しか聞きませんでした」
「…………えっと……?」
「どっちかが偽物なんじゃなくて、どっちも偽物って可能性もありますよね? 詠奈様がおかしいだけで影武者は性格まで似せているべきです。だから特徴も一致する。どっちも偽物なら生活圏が被らなくても問題ないですよね?」
「ああ…………でも、なんで偽物がそんな事を」
「影武者って狙われていいんですよ? むしろ本体を守るなら進んで狙われて然るべきと言いますか。だから悪目立ちしてるんじゃないんですか? そもそも詠奈様だって本物とは限りません。そりゃ、私達を勧誘したのはあの詠奈様ですけど、電話一本よこすだけでろくに顔も見せない人の言う事を国が聞くと思いますか? もしかしたら向こうによく似た人が居て、その人が指示を出しているのかも……なんて!」
影武者が殺されたら、恐らくそれだけで色々と情報が割れてしまう。この国は法治国家で、そして警察は詠奈の言いなりだ。捜査情報などは全て提供されるし、犯罪組織までも網羅しているなら裏の情報まで筒抜け。誰が何を企んだか簡単に判明してしまうだろう。情報を渡す側も、詠奈に恩を売っておいた方が後で得になると分かっているから意地を張る意味はない。力関係は飽くまで王奉院が上だ。
「―――確かに、とんでもなく性格の悪い奴が一々現場に出てたら幾ら何でも暗殺されますね。それでも死なずに女性を誘拐した挙句に勝手に子供産ませて……ってのが出来たのは、実は全然表に出てなかったとすれば辻褄が合うか」
「話したい事は以上です。これを知って何かが変わるとは思いませんけど、どうしても沙桐君に話したくてっ!」
彩夏さんはエプロンの皺を直すと、手を振って帰ってしまった。用件が終わればさっさと帰ってしまう所は妙にドライというか割り切っているというか。
―――詠奈が偽物か。
権力を行使しているのはまた別の詠奈という可能性。彩夏さんはああいったが俺はないと確信出来る。詠奈さん曰く『オリジナルは死んだ』し、そもそも詠奈は最近まで腐っていたと自称している。もし彼女が偽物で、真に権力を持つ王奉院詠奈が何処かに居るなら腐っていても問題ない筈だ。今の詠奈さんがサボっても何の問題も起きないように、詠奈だって俺と過ごしていれば至って問題はない。
―――問題ないよな?
調べれば調べる程王奉院の歴史は詠奈には無縁で、全ては過去の話だ。例えば現在にとある謎があって、過去を紐解く事でしか分からないみたいな事もない。お忘れだろうか、発端は詠奈の事を知りたいという俺の我儘だ。そこには緊急性もなければ事件性もない。
だから調べるだけ、『そういう過去もあったよね』という結論で丸く収まってしまう。それだけに。
『やくそく』
ただその一言だけが、何も繋がらない。