創世料理
「あれ、沙桐君。厨房に顔を出すなんて珍しいですねー。何か御用ですか? それとも私の顔が見たかっただけ?」
厨房に向かうと、最初に出会うのはここの管理者でもある彩夏さんになる。屋敷の中で一番忙しい場所を担当している都合上、どうしたってストレスはあるだろうに、やはり何度顔を出してもニコニコしており、お陰様でここには活気がある。俺もこの人の笑顔には何度も元気をもらった。
「いや、今回はコックさんに会いたくて。用事があるんです。会えますか?」
「丁度夕食の準備が終わる頃なので、時間作っても大丈夫ですよっ。ただ、奥に直接突撃はやめてくださいね。沙桐君は庭の方から裏口で待っていてください。私がコックさんに言ってきますから」
「すみません。有難うございます」
「あ、それと後でお時間貰ってもよろしいですか? 沙桐君とふ た り き りでお話ししたい事があるのでっ」
「…………? まあ、いいですけど」
珍しく、というかそれが自然なのだが、彩夏さんは俺の調査に協力していない。発想として頼るには配置場所が遠すぎたからだ。だから二人で話したい事なんて皆目見当もつかないけれど、日頃から色んな人の時間を貰っている俺が断れる道理はない。舌の根の乾かぬ内にこっちは用事がないからと断るのはやめるべきだ。
玄関から裏回って庭の方に回る。裏口はまだ鍵がかかっているようだったが、手持ち無沙汰に待ちぼうけを食らっていると扉が開いて、お目当てのコックが姿を現した。
「よお。俺に用事があんだって? 俺みたいなジジイに用事なんて生まれるとはな。お前さんみたいな奴は女にしか興味ねえと思ってたよ」
「言い方!」
「事実だろうが。直接関わった事がなくても分かるよ。いっつもいっつも鼻の下伸ばしやがってよ。たまな用事で地下に行ってみりゃ、キャピキャピ楽しそうな声で盛り上がってる事もあったよな。お前が買われてから一年とちょっとくらい……用事がないなら殆どの女ぁここから出る事はねえ。そこら中動き回る男はお前だけだ。そりゃおめかしもお前の為になるよな。若い内だけだぜそういう状況に喜べるのは」
コックさんは階段にしゃがみこむと、身体のあちこちを鳴らしながらのんびり大きな欠伸をした。
「女に囲まれる生活が地獄だってのは考えなくても分かる。俺がそうだからな。正直息苦しくはある。まあ、お嬢は俺に料理しか求めてねえからそこは気が楽だが」
「俺はコックさんに話があって来たんです。薪野創玄の経歴について聞きたい事がありまして」
「ほう? そうかい。ま、何でも聞けばいい。数少ない男同士のよしみだな」
「王奉院詠奈の父親について、何か知りませんか?」
「………………」
「口止めされてます?」
「いや、そんなんじゃねえよ。多分お嬢はその事を知らねえ。俺はそれを売り込んだ覚えはねえし、お嬢が生まれる前の話だ。把握しておかないとまずい話なんてねえ。ただ飯食わせただけだしよ」
コックさんは首をバキバキと鳴らすと、改めて俺に向き直った。
「で、何が聞きてえよ。悪いが知った所でなーんもないぜ」
「どんな印象だったかって覚えてますか?」
詠奈にとっては穢れた歴史。この国にとっても闇に葬っておかなければならない王奉院の素性。詠奈さんが毛嫌いしていたように、詠奈がひた隠しにしたその男の事を聞いてみたい。純粋な興味として。
「あー……別に、大した話はねえぞ。そもそも俺は偉さがどうとか聞かされてねえんだ。失礼のないようにするのはいつもの事だしな。遠くから見てる感じは横暴な男って感じだったぜ。ただ、料理を粗末にするみたいな事はしなかった。俺の料理が美味すぎたか?」
「詠奈も粗末にはしないですよね。そこは一応親子なのかな」
「そりゃいいんだが、人当たりはかなり悪いな。まず自分の付き人を足置きにしてたし、済んだ皿を持ってきたのも付き人だった。不幸そうな顔つきだったぜ、みんな。こんな奴の首輪がついてる事が恨めしいって感じだ」
「……無理やり買ったんですかね」
「一応交渉するだけお嬢のがマシだな。だが俺への態度は普通だった。ちょっと高圧的なくらいで、基本的には褒められたよ」
…………それだけ?
そんな事はちょっと考えられない。詠奈の父親が、そんな程度で終わるものか。
「その付き人みたいに誘われなかったんですか? こんな料理人を放っておけないからうちに来いって」
「言われたが、断ってやったさ」
「は!?」
「私の腕を評価していただける事は光栄ですが、しかし誰かの専属料理人になってしまえば腕も鈍りましょう。そう遠くない内に貴方様が求める基準を満たさなくなるでしょう。今の私の腕前を認めていただけるなら、どうかそのお誘いは御遠慮させていただきますってな。そうしたら納得してくれたよ」
王奉院からの誘いは基本的に断れない。だから付き人もそんな不幸な顔ばかりしているのだろうと想像する。自分の人生を無理やり奪い取られたに違いない。だって王奉院にはそれが許される権力と癒着がある。
詠奈にその手の不満が現れないのはお金で繋いでいるからというのもあるが、特に価値を見込まれた侍女はその境遇から断らない方が難しい。下働きの子だって日本中の何処かで何かしらの優秀なスキルを見込まれて買われたのだ。そうでなければ激務に耐えられないばかりか、減損評価が連なって最終的に処分されてしまうだろう。
ギリギリまで評価を下げて自分自身を買い戻すという抜け道自体はあるのだが、誰もそれをしない時点で一定の人望はある。価値ノートを閲覧出来るのが俺だけで、俺も口外禁止を言いつけられているのでそのギリギリを見極められない所が最大のリスクにはなっているが。
「詠奈に買われたのは……追放されたからですか。やっぱり」
「そうさなあ。行き場所を見失ったのもあるが、一番はお嬢の殺し文句にぐっときたからだぜ?」
「殺し文句?」
「『貴方が料理で人を殺した事は存じ上げているけれど、生憎、私、死なないのよ。世間が貴方を要らないと糾弾するならば私が貴方を引き取りましょう。さあシェフ、貴方は幾らで買えるのかしら?』ってな」
―――詠奈らしい誘い方だ。
死なないって、そういう意味ではないのに。一体何処からその自信は来るのかというくらいに言い切ってしまって。
「俺はな沙桐景夜君。確かに人ぉ殺しちまったが、それについてなーんも後悔してねえんだよ。毒殺はしてねえ。美味しすぎた結果たまたま死んだだけだ。俺はまだまだ自分が実ったとは思ってねえ。お二人さんの食事に結構な割合で創作料理を入れてんの知ってるか?」
「いや、料理にはあんまり詳しくなくて……美味しいのは分かりますよ! 最近だと鴨肉のソテーみたいなのが好きでした!」
「はっはっは。そうかそうか。まあそんな感じで色々試せて正直良い環境だ。山に閉じ込められてるくらいどうってこたあねえよ。変装すりゃ外出は許可されてるしな」
「―――話、逸れましたね。戻すんですけど、やっぱり付き人って男の人だけでしたか? 女の人を伴ってたとかは……」
「いーや、俺は知らねえが。女性を胎盤呼ばわりしてたのは知ってんぜ。付き人と話してた。どんな内容だったかは分からねえが。ざっくり『胎盤』『不妊』『流産』みたいな単語は聞こえて来たな」
「……それはまた、とんでもない奴ですね。女の子をそんな風に扱うなんて」
「そんな年齢だったかは知らねえぞ? 十代孕ませてんのはそっちな? 料理の仕込みだって無限にやらねえんだが、お前は何処まで種を仕込む気なんだ? お? 全員妊婦になっても知らねえぞ」
「いや……それは……………………」
………………。
「あはは…………」
「無自覚にしろ粉かけまくった末路だな。ここで常識語るなんて野暮はやらねえが、お嬢が居る限り生活の心配はねえんだ。ちゃんと全員の心の幸福くらいは守ってやれよ。じゃなきゃおまえは、あの男以上のゴミになるかもな」
話は終わりだ、とコックさんは立ち上がって厨房に戻ろうとする。その手を引き止めると、俺は最後の質問をぶつけた。
「名前、どうして言わないんですか?」
「そりゃ、教えられてねえからな。王奉院って苗字以外は何も。言っとくがお嬢を見た時から娘だと思った訳じゃねえぜ。苗字を聞いて重なったんだ。つーかお嬢は鼻筋以外は全然似てねえ。大体母親似なんじゃねえか?