仙姿玉質の邂逅
詠奈は自由な恰好をさせてくれる程度の意味合いで言ったのかもしれないが、俺は他人様と出会う時に身だしなみを整えろと言われた事がない……語弊があるか。お洒落は教わっていない。
「獅遠~助けてくれー」
『頼るのはいいけど、詠奈様には多分バレるよ。それともバレないような嘘を吐ける?』
「…………頑張る」
『うん、私の言い方が悪かった。詠奈様に嘘を吐けるの?』
言外に、多分悲しむよと獅遠は言った。言葉にはしていないけど確かにそれは忠告で、服のセンスなぞより余程効果的であった。ただ、問題は何の解決もしていない。お洒落に関心を持てるような環境ではなかったし、交友関係は隔絶されていたのでその芽生えすら許されなかった。
今の余所行きの服は全部詠奈が勝手に用意した物だ。勿論俺が試着して、一番良いと思ったものを言ってはいるが、用意したのは詠奈なので大抵気に入ってしまう節もある。
そんな知識ゼロの俺が詠奈に好きな服を着せる……難しい話だ。何でも似合うからと言っていたけどそうは思わない。世の中にはイメージカラーみたいな物もあるし、センスのない俺が選ぶなら猶更事故が起きる。
この服がダサいかダサくないかみたいな事なら曖昧に分かる。例えば全身に銀ギラが塗された服なんかどう考えてもダサいし、それがあったとしても選ぶ事がない程度には区別がつく。ただ、それだけだ。むしろ半端に分かってしまうから分からない事が分からない状態。面白さもないから一番つまらない可能性がある。
「ああ…………どうしよう。本当にどうしよう」
詠奈は遠くの席でワクワクしている。
―――いや、ワクワクしているとしか言いようがないのだ。
椅子に座ってゆらゆら揺れている。俺が何を持ってくるのかを期待するような動き。ていうか目が合うと笑い返してくる。一言で言ったらそうとしか言えないだろう。
「うちにファッションセンスのある男って居なかったかな」
『コック呼ぶ?』
「そこは十郎って言って欲しかった……ってアイツは学校か。コックさんのセンスは一時代くらい違ってそうだからいいよ。うーん…………思い切って店員に聞くのもありだよな。参考意見って事で」
『詠奈様がどう取るかだけど…………いっそ全部言って頼れば?』
「いやそれは……」
あれは嫌だがそれも嫌。折衷案は飲めないのに一丁前に悩む事には耽ってしまう。どうすればいいのかなんて誰にも分からない。漠然と服を見ながら呻き声を上げていると、ぽんぽんと肩を叩かれた。
「こんにちは。何か困っているご様子だけど、助けた方がよろしくて?」
「えっ…………」
身長は優に一八〇を超える。八束さんと同じくらいか身長の高い女性を外では初めて見た。綺麗に整ったショートカットがやや幼い雰囲気を与えるが、所作の節々から見える気品もしくは威圧感がそれを打ち消している。シンプルなフレームの眼鏡をかけており、奥から真っ黒い瞳が覗き込んでいる。
綺麗だ、と思った。
詠奈と初めて会った時によく似ている。この人は別世界の人間で、根本的には自分と違うと思わせる何かが女性にはあった。同じ人間だったとしても、何らかの方法で分類されるなら同じ場所には居ないだろうと。生物的な本能がそう語り掛けてくる。
「店員さん……じゃないですよね」
「ええ、通りすがりのお客様よ。だけど売り場でいつまでも頭を悩ませていそうな人を見かけたら手を貸したいと思うのは当然の事よね。何にお困りなの、見ず知らずの御方」
「…………えっと、実は―――」
参考意見を聞いているだけだ。それにこれは不可抗力。せっかく受けた厚意を無碍にする事も良くないと思った。
「連れの女の子が喜びそうな服を選びたい? 貴方には悪いけど、自分が気に入る服なんて自分が選んだ方が後悔しないわ。その子に選ばせればいいだけの事を、何に悩んでいたの?」
「いやあなんていうか、遊び? 嗜好? 俺に選んで欲しいみたいで……せっかくなら喜んで欲しいなって思ったら分からなくなってしまって」
女性は服の陳列棚の上から透かすように俺を待つ詠奈を見つめている。覗き込むと、先程散々遊んで疲れたのか椅子の上で船を漕いでいた。
「…………綺麗な彼女さんね。名前は?」
「え、詠奈です」
「そう、素晴らしい名前ね……あんな素敵な彼女さんに喜んでもらいたいと思うその気持ち、素晴らしいわ。貴方さえ差し支えなければ私が選んであげてもよくってよ?」
「え? あ、いやでも選ぶのは俺の方がいいかなって……」
また我儘を、今度は初対面の人に零してしまう。しかし女性は楽しそうに微笑んで、指を鳴らした。
「それじゃあこれは如何かしら? 私が候補を選ぶから、貴方がその中から選ぶの。それなら自分の力で選んだ事になるでしょう? これだけ数が多いのだから、選ぶ事に慣れていないなら目が滑るのも無理はない。如何?」
「それなら……、ああ」
「決まり。それじゃあ―――」
「ふーん。君はこういう服が好きだったのね」
「いや、まあ……ははは」
服は詠奈が全部買ってしまった。俺のセンスに期待などしていなかった事は白状したが、それにしてはチョイスは期待以上だったとも言われた。まさかたまたま同じお店に居た人の助けを借りたなんて、流石の詠奈も思わない様だ。舟を漕いでいたなら当たり前か。
「文化祭と仕事と……後は妊娠が落ち着いたらデートに行きたいわね」
「ごめんって」
「嫌味じゃなくてね。子供は好きよ。何人でも居ていいくらい。制御不能な所が特に良いと思うわね。体型の維持は大変だろうけれど、君の為に頑張っちゃう」
そろそろ帰宅した方が良い雰囲気にもなってきた。詠奈は下着売り場も見たかったようだが、よりにもよって入り違った場所は下着を専門的に扱うスペースであり、試着室もある場所だ。そういう時は大抵俺を中に入れておいて直に見てもらうというのが彼女の魂胆であり、一線を越えてしまった俺に抗う術はない。
警察に咎められる事はないかもしれないが、こういう場所で体を重ねるのはとても恥ずかしい。気が引ける。大体周りを汚すのでお店に申し訳ない。それは諦めてもらった。
「ああ。そうだ。UFOキャッチャーの件だけど、決まったわ。白くてモフモフしたあの……毛玉みたいな生き物のぬいぐるみが欲しいかも」
「お、決まったのか。じゃあ頑張って取ってみるよ」
「自信はないのね」
やった事はないけど、アームの強さとか取り辛い位置があるとか、そういう事くらいは分かる。それも知識だけで、見て分かる訳ではない。だから博打だ。お金は無限に使えると言っていいが、可能なら時間はかけたくない。
詠奈は服の入った袋を俺から受け取ると、お目当てのぬいぐるみがある筐体の傍に並び立った。
「応援してあげる」
「あ、有難う。一発で取ったら褒めてくれ」
「沢山褒めてあげる」
三〇〇円を入れて、まずは挑戦。細かいテクニックみたいな物は知らないから諦める。目押しで位置を調整して、出来るだけアームが引っかかりやすい場所に触れる事を祈って降ろす。問題は持ち上げた後だ。経験が無くても筐体を触る人なら見た事があるから知っている。アームは、まるで麻酔でもかかっているみたいに弱弱しく、一番上まで持ち上がった瞬間に大体物を落としてしまう。これが本当に曲者で、だから素人なりにはしっかり持ち上げる意識よりもアームがタグとかに引っかかって落ちない事を期待した方が良いとも考えている。
「二つ同時に取れそうじゃない?」
「そういう色気を出すのって素人がやる事じゃないと思うけど……まあ、やるだけやってみるか――――――お!」
アームが奇跡的に引っかかって二つを持ち上げた。そこまではいい。持ち上げ切った後が肝要だ。そこで落ちたら何の意味もない。
そう思っていたのだがここのアームは落とす気がないくらいに固くなっており、至って何の問題も無ければ落ちるかもという危機感すら抱く必要もなく取れてしまった。
「…………え?」
「凄いわ景夜君。経験がないのにこんな事が出来るなんて。それともビギナーズラックという奴かしら?」
「そ、そうなのかな。クレーンゲームにそんなのがあるとは思えないけど……一発で取れたからいっか! ほらよ詠奈。大切にしてくれとは言わないけど、直ぐには捨てないでくれ」
毛玉動物のぬいぐるみは存外大きく、だからこそ二つ同時に取れたのがおかしいのだが、取れてしまったものは仕方ない。ここには監視カメラもあるが二人の内のどちらも台に干渉していないのだから。ありえなくてもこれが事実だ。
詠奈は俺から一匹を受け取ると、服を置いて両手に力一杯抱きしめた。
「ううん、大切にするわ。君が居ない間、私を慰めるのがこの子の仕事。よろしくね、毛玉」
「名前ッ」