告白
随分久しぶりに屋上へ来た。詠奈の手を引いて俺から進んでここに来たのは初めてかもしれない。いつも基本的には彼女が先に来ていて、俺が後から合流する形だし。
「文化祭の最中にでもしてくれればいいのに、告白だなんて空気が読めない人ね」
詠奈はあちこち見回して、外から学校の景色を何となしに見回す。ここがもうすぐ会場になる。一般公開もされるので人がごった返すだろう。そう思うと、この静けさと遠くの喧騒も名残惜しいような。
「しかし君を顎で使うなんて大した度胸ね。誰が私に告白するつもりなの? さっさと終わらせて戻らないと」
「ごめん詠奈。それは嘘なんだ。お前に用事があるのはどっちかっていうと俺なんだ」
ただ連れ出せればよかったので嘘を貫く必要もない。素直に謝罪すると、詠奈は驚いたように見開いて、俺の肩に手を置いた。
「やめて。君にそんな事してほしくないわ。別に怒ってる訳じゃない。もしかしてそう見えたかしら」
「いや……付き合いは長い方だし、お前が幾ら無愛想でも多少は分かるよ。連れ出したのは……お前が疲れてるんじゃないかと思って」
誰にも邪魔はしてほしくない。屋内に続く扉を閉めると、詠奈をベンチまで引っ張った。彼女は終始困惑した様子で、抵抗の素振りもない。それでも一応、逃げて欲しくないので、脇から腕を通して、ぐいっと顔を近づけた。
「……な、何? 今日はとても……積極的ね?」
「みんなお前に頼ってる。お前は王様として人を扱うのには慣れてるのかもしれないけど、無理してる気がするんだ。お前が表立って独裁しないのは、こういう面倒を避ける為なんじゃないのか?」
「それはそうだけど……これくらいは何でもないわ。欲と保身に塗れた大人を相手にするよりは……同じ穴の貉と言われたらそれまでだけど」
「いや、お前は疲れてる。俺には分かるよ。仕事してる時も似たような顔してる。楽しいのも分かるよ。でも最近仕事してるから、楽しみきれてないように見える」
絶対に譲らない。詠奈がたまに強がる事も良く知っている。本当は体育祭で競技を挟むだけで息切れが止まらず肩で息をするのもやっとなくらいへなちょこな体力なのに、いつも余裕を見せる事が王者の振る舞いであるかのように見栄を張る。
退屈だ何だと、常に私を愉しませてみろという姿勢の割にはベッドの上では弱弱しく、足をがくがく震わせて精一杯身を寄せてくれる。
そういう所も可愛いと思うけど、無理をするのは良くない。詠奈の瞳に問い質していると、彼女は観念したように脱力して俺の胸に顔を埋めた。
「……………君に隠し事は出来ないわね。ちょっと驚いちゃったけど、確かに少し疲れているわ。去年と何が違うのかしら。君が……傍に居ないからだったりして」
すりすりと胸の中で顔を動かし、しなやかな指が背中を捉える。学校の中では飽くまで友人関係を装っているけれど、今は必要な気がして、髪を手で梳くように撫でる。
「寂しいわ、景夜。全部私が命じた事だけど、獅遠にずっと取られているから、ずっと寂しい。女性の本能というのはままならないものね。眠る時に君が居ないと心なしか寒くて……一人ぼっちの世界に生まれてきてしまったみたい」
「…………詠奈」
「獅遠から取るつもりはないの。妊娠経験があってくれた方が後々私が助かるから…………一々効率なんて考えるから辛いのね。でも考えちゃう。何も考えないで行動なんて出来ない。みんな、私が必要なの。それはスケールの大小に拘らず変わらない。誰かに責任を押し付けたい。従順で居て無責任なまま甘い汁を吸いたい。みんな、そんな人ばかり」
「詠奈は頑張ってるよ。それは隣でずっと見てる俺が保証する。でも頑張りすぎだ。少しくらい休んだ方がいいよ。そうやって無理するからみんな頼るんだ。俺はそんな、人を悪意的には見てないけどさ、頼れる人がずっと普通だったら頼り続けるってのも分かる」
「…………男の子としては、弱みを見せた方がいいのかしら」
「そりゃ、完全無欠みたいな子が自分にだけ弱みを見せてくれたら、嬉しいかもな。俺なら絶対に勘違いする」
「じゃあ、お言葉に甘えて、少し休ませてもらうわ。告白という理由で来たのだから、君はせめてロマンチックな文章を考えておいてね」
「…………」
心拍が、安定していく。詠奈は心から気を許して、俺に甘えてくれている所だ。今なら話せない様な事も話せるだろう。普段はしないような空気から切り出すのだ、落ち着かないのは俺の方。
―――タイミングがあるとすれば、それは今しかない。
俺も詠奈も確実に忙しくなる。二人の時間は幾らでも作れるかもしれないが、二人きりで正直な事を話せるタイミングは……二度と来ないとは言うまいが、次はいつ来るのか。ここで話さなかったらいつ話す。
「詠奈。お前はさ…………退屈が嫌いだったよな」
「ええ」
「お前の事、色々調べたよ。沢山の人に協力してもらって。お前が、お前の一族の頑張りがあったから今この国があるんだってな。にわかには信じがたいけど、でもどんな偉い人もお前の言いなりになってる時点で多分それは本当だ。お前は何でも出来る。望めば全てが手に入る。何でお前は退屈なんだ?」
「……全てが手に入るから退屈なんて、よくある話じゃない」
「いや、それでも退屈じゃなくなるものを探すはずだ。現にお前は思いつきで映画を撮った。そういう行動を他には全く見ない。お前が退屈に飽きてるのは本当だろうけど、飽きてる事にまるで満足しているみたいだ」
「…………」
詠奈は何も語らない。続けて俺は畳み掛ける。
「本当の事を教えて欲しい。俺はお前を満足させられないのか? 俺じゃ退屈を凌げないのか?」
「…………君との生活は毎日が幸せよ。それは変わらない。信じて欲しい。だけどこればかりはどうしようもないの。ええ、君の言う通り私は足りない事に満たされている。だって仕方ないわ。これ以上は市井の迷惑になってしまう。今も全くかけていないとは思わないけど、超えてはいけない一線もあるのよ。脳みそが腐っていたのだって、それが隠れた人間の正しい在り方だと信じたから」
「俺はお前の退屈を癒やしたい。お前の歴史を知って、お前を支えたいと思った。歴史を紡いだのはお前じゃない、お前は一族の歴史を勝手に背負わされただけかもしれない。それでも王奉院たらんとして頑張るお前を、どうにか助けたい」
「……景夜。それは駄目よ。所有物の分際で、身の程を弁えていないわ」
「じゃあ結婚しよう」
詠奈が顔を上げて、呆気に取られたように口を開いている。俺は真剣だった。
「本当はもっとロマンチックな場所で言いたかったし、結婚するのが既定路線なんて知ってるよ。だけど俺の方から改めて言わせて欲しい。お前の運命を俺に背負わせてくれ、詠奈。王奉院詠奈さん。俺はお前が望むような面白い人間にはなれないかもしれないけど、好きな人のためならなんでもする覚悟はある」
「……………」
顔が徐々に赤くなって、特にその耳は燃え上がりそうなほどに色を変えて。
「………本当に、馬鹿な人」
顔を埋めたせいで乱れた髪を広げて、その顔の輪郭に沿うように両手を添える。
「指輪はまた今度選ぼう。きっと暫く忙しくなってそんな暇もないだろうからさ!」
「…………きゅう」
声にもならない不思議な音をあげて、詠奈は俺の口付けを受け入れた。
「……好き。景夜君」




