王?院 詠?
「詠奈? いるか?」
寝室には居ないだろうと踏んで執務室へやってくると、俺の恋人は机の上にパソコンを置いて誰かと話している様子だった。カメラでもついてオンラインでやり取りしているのかとも思ったが、それにしては随分リラックスした姿勢で臨んでいる。多分、違う。
『感謝はいいわ。お陰でもう電力の心配は要らないでしょう? 良かったわね、私が仕事をする気になって。どうあろうと私には関係のない話だけど、節電のお願いなんて醜い事はやめなさい。国民に分かりやすい負担を強いれば反発は免れないわよ。私は誰が政権を取ろうが興味ないけど、やりたい事があるのでしょう』
『…………環境団体なんて無視しなさい。問題は私が関わっている限り解決しているし、あんまり邪魔をするようなら私が後ろについてる団体に話をつけてあげる。後ろ盾がないなら怖がる必要はないわ。支持率に対して影響はない。だって元々投票率が悪いじゃない。それもこれもこれまで貴方達が積み重ねてきた愚かな行いの報いよ。清濁併せ呑む事の出来る政治家がどれだけいたのか……貴方は違うわね』
『そもそも国益を考えられる人がどれだけ残っているという問題もあるわね。私は首輪のついた犬を全員把握しているけど排除はしない。交渉のカードに使える可能性があるもの。ただ、国益の観点で見れば彼らは完全な無能。その無能を軽々排除できないのもまた貴方の弱さね。仕方ないと言っている内はきっと変わらないでしょう』
詠奈はさっとパソコンを閉じると、俺の存在に今更気づいたみたいにわざとらしく首を傾げた。
「あら、景夜。何か用? 私は君の居ない寂しさを仕事で紛らわせている所よ」
「……何か、難しい話してたな」
「話の内容が気になるのね。でもそんな大した話ではないわ。何もしない癖に文句だけは言うような奴を黙らせる為に、原子力発電の問題点をこっちで解決したっていうね」
「あー……ゴミとかか」
「処分できないから埋め立てがどうという話はニュースでも取り上げられるわね。その問題は全部私の方で引き受ける事にした。詳しい事は言えないけれど、ゴミは完全に消滅するから場所なんて考えなくていいのが一つ。それと働いている人に被曝するリスクもあったけど、それも完全にリスクを消したってだけ」
「え? でも……そういうのって、無理なんじゃないか。科学的にそれが可能ならみんなやってるし悩まないだろ」
ここが科学の終着点とは言わないが、だからこそ未だに万能ではない。出来る事と出来ない事がまだあって、出来なかった事が出来るようになるのが科学の進歩だ。
そしてここが科学最先端の国でもない。この国が出来るなら何処でも出来るという程の最低値でもないが、先進国と呼ばれるような国なら再現は出来ると思う。
「それを言いだしたら、雨雲を完璧に消すのも今は不可能よ。人工降雨だってゼロから降らせるのは今は無理。つまり?」
「―――――お前にしか、行使できない技術か、力がある?」
「そんな所ね。私にしか出来ない事でエネルギーの供給源をリスクゼロで増やせる。こういう美味しい話がないと誰も従順になってくれないから。仕事の話はもういいでしょう。用件は何?」
執務室から電話の音は聞こえなかったようだ。そうじゃないかと思っていた。詠奈は電話を重要視しておらず、殆ど誰も電話をかけてくる様子がない。勿論ゼロではないが、大抵反応するのは侍女の誰かで、それから詠奈に繋がる程度には本人に関心がない。
そう思うと大した用事ではないような気もしてくるが、あの話の文脈で指されるおチビさんとはどう考えても―――
「電話が掛かって来たんだけど、そのまま内容を言うな?」
「…………?」
余計な憶測を挟んで色々と前置きをしても話がややこしくなりそうだと思って、電話で聞いた内容をそのまま伝える。どういう反応をするか次第で途中で打ち切ろうかとも思ったが、その顔が段々険しくなっていくのを見て、それはあり得ないと悟った。
「…………そう」
詠奈は椅子から立ち上がると、窓の方に向かって腕を組んだ。
「景夜。物は相談なのだけれど、そろそろ学校の方でも恋人として振舞わないかしら」
「え! そ、それは……公然といちゃいちゃしたいって事です、か」
「それもあるけど、一番はその電話の主から君を守る為ね。君が乗り気じゃないのは大方私の事を好いているクラスメイトからの反感を買うからって所でしょう」
「その通り……だよ」
ぶっちゃけ何処かでリンチを食らっても文句は言うが抵抗は出来ない。詠奈でしか興奮できなくなって彼女と別れた奴も居るくらいだ。公然とした恋人関係が学生生活にどんな影響を及ぼすかは想像もつかない。
「君には楽しい学生生活を送って欲しいからそれは私もそれは気にしてる。仕方ないわね。文化祭で放映する時はキャスト席を設けるつもりだったけど、私達だけは裏に席を作りましょうか。それで、悪いけど以前彩夏にやったみたいなアプローチをお願い。恋人って事を認識させるにはそういう行為が手っ取り早いから」
「えっ」
「肩から手を回して胸を触ったり、或いはキスでもしながら下の方を……両方でもいいけど、そういうのをね。ただ手を繋いだりしてるだけだと信じてくれないでしょうから」
獅遠の事があるのにごめんなさいね、と詠奈は珍しく頭を軽く下げた。ありえない。口で謝る事はあっても基本的にはふんぞり返っている彼女が、権威に傷がつきそうな下げ方をしている。
「……電話の人、誰なんだ?」
「…………私のトモダチよ。たった一人だけの。これ以上増えて欲しくないというのが本音かしら」
「え、詠奈様のご友人?」
詠奈が居ないのについ敬ってしまうのは職業上の癖だろうか。彩夏さんから両方の薬を貰ってきて早々、就寝準備を整えた獅遠にその話をしてみた。
「命琴の話じゃないぞ。多分」
「多分っていうか、そんな訳ないじゃん。詠奈様が頭を下げるなんて信じられない……妊娠してなかったら私も調査したい所なんだけど、気になるな~。また何か分かったら教えてよ。詠奈様の事が分かるのは、なんかイケない事知ってるみたいでドキドキする」
俺は暫く獅遠と同衾しないといけない事にドキドキしている。布団の中で抱きしめる彼女の身体はとても暖かい。膨らみこそ控えめだが、だからこそ強く密着出来るという利点も存在する。
まあ今は、しない。手を繋ぐくらいで、獅遠が楽な姿勢で眠れる事が大事だ。
「何日景夜さんと一緒に寝られるんだろうね。他の人がしたらそっち行かされるんだろうし、出来れば一秒でも起きてたいな」
「夜更かしは身体に悪いぞ」
「それ以上に悪そうな妊娠初期のエッチしといて今更だよね。流産の危険があるんだって。それでも詠奈様がやらせたのは大丈夫な方法があって、その動作確認とかかな。そう考えたら納得が行くよ。自分の時に誤作動が起きて流産したら嫌だろうし」
「…………もしかして技術的なのじゃなくて、詠奈の超能力とかなのかな」
「超能力? ないない。あったら友里ヱさんを買わないでしょ」
獅遠は呆れたように指を絡ませて、俺の推測を嗤った。
「詠奈様は価値を感じない物を買ったりしないのは分かるでしょ。友里ヱさんの事少しは知ってるなら買われた理由も分かる筈。あの人が買われたのはそっちの専門家だから。詠奈様が能動的に使える何かがあるなら、それはやっぱり技術とか人脈だよ」
「人脈……詠奈の事何にも知らないから想像もつかないな。でも人脈で雨が降らせたりするのかな」
「ね。それは言ってて思った。詠奈様ってほんとミステリアス」
概ね雑談に満足した所で、お休みのキスをして眠りにつく。文化祭は単純に少し楽しみだったのに、何やら不穏な空気を帯びてしまった。これ以上は何もない事を願いたいが。
時が過ぎて、文化祭まで一週間を切ろうかという頃。
「申し訳ございません詠奈様。妊娠していたようです」
文字通りの懐刀であった剱木八束が妊娠した。