知りたい君の結末
「獅遠、調子はどう?」
「詠奈様。毎日様子を見に来られるおつもりですか?」
「出来る限りはね。勿論文化祭とか仕事があるからそう簡単にはいかないけど」
迷惑だと言ったところで彼女に拒否権はない。だから詠奈も獅遠もそのやり取りは省く。彼女の帰りは夕食の直前であり、命琴に付き合って余計なカロリーを摂取したので食事前に運動をするようだ。上からブラウスを羽織ってはいるが中はジッパータイプのタンクトップに着替えている。スカートも制服にしては短いと思っていたらフィットネス用の物だった。
「調子が悪いなら控えた方が良いと思うけど、一緒に運動する? 私はちょっときついメニューでやるけど、例えばエアロビクスダンスなら妊娠していても問題ない筈よ。怪我をする可能性も低いし、もし怪我するような事があってもなかった事にするから」
「今日は……遠慮しておきます。働きづめだったので暫く休ませていただけたらと」
「そう。景夜は引き続き彼女の傍に居てあげてね。君、これから忙しくなるのよ。孕んだ子が増えたらあっちこっちに奔走しないといけないんだから」
「お前は…………その。原理とか全く分からないんだけど妊娠のタイミング遅らせてるんだよな。やっぱり最後になるつもりなのか?」
「勿論。だって君を独り占め出来るじゃない。それじゃあ今度は夕食でね」
詠奈は去り際に頬へキスをすると、緩く手を振って部屋を出て行った。特に深い意味はなく、単に顔を見せに来ただけだと思われるが、やっぱり獅遠は少し緊張しており、聖はやっぱりあの一件以降怖がっていた。
「……この人生を選んだのは私の責任だし、お金さえ払えれば自由と人権を得られるんだろうけど、どちらにしても行く場所なんてないってのが詰んでると思うんだよね」
「……景夜さん。姉さんの価値は幾らですか?」
「俺が見た時は一億三千万円だったけど、今は見てないな。それと……お金で自分を買い直すのは結構だけど、あのノートにあるのは諸々の事情を抜いたその人のスキルや外見の価値だから、獅遠が抜けた際の損失とかそういうのを含めたら買った時の値段じゃ済まないって分かってるよな? 特に今は子供いるから、猶更手放さないと思うけど」
「聖、やめなさい。詠奈様についていくって二人で決めた事でしょ。ちょっと都合悪いからって逃げても、もう生きて行ける場所なんてないのよ」
「…………」
「それとも今度こそ、本当に身体でも売る?」
「…………どういう事だ? 身体を売るって。二人共処……あ、いや初めてだったよな」
そう信じていたとか申告されていたとかではなくて実際に確認した。これ以上ない説得力を自分でも感じている。以前も一度聞いたことがあると思うが、同じように二人は揃って口を噤んだ。
が、先に沈黙を破ったのは獅遠の方だった。
「……本当は教えたくないんだけど、子供の事とか考えると教えた方がいいか。聖は悪いけど席を外して。聞いてるだけで辛いでしょ」
「…………失礼します」
座って、と促されたので聖が居なくなって空いた席に腰を下ろす。誰も彼も訳ありなのは、そういう人間でもないと詠奈が買う状況に至らないか、特殊な状態に居なければならない程突出した能力があったかのどちらかだろう。
「隠すつもりは……うん。あったけど、旦那様に隠し続けるのって何か嫌だよね。だからちゃんと、話す」
「嫌なら話さなくてもいいと思うよ俺は。辛い事なんだろ?」
俺の方から気になっていたなら、その限りではないけど。基本的に辛いと思っているなら気を遣う必要なんてないと思う。人権の所有者は詠奈だから、俺には関係ない。八束さんや彩夏さんの時はどうしても気になっちゃって聞いたけど、二人の隠そうとしている事柄は見るからに聞いてはいけないような―――迂闊に踏み込むだけでも傷つけてしまいそうな鋭さを感じる。
獅遠はしかし、その気遣いこそ最悪とばかりに頭を振って、俺の額を指で押した。
「話さないと、後でもっと辛くなる」
王奉院の歴史を知るより遥かに簡単に、侍女の結末を知る。結末というのは間違った表現ではない。人権を失った彼女達にはこれ以上自分達の人生をどうにかする余地がないからだ。
詠奈は価値を感じない限りその人間を買う事はない。価値がつけばいいという物でもなく、欲しいと思わせる程の価値が必要だ。下働きの子だって何かしら欲しいと思わせる事が出来たから買われたのである。それでやらされているのは雑用ばかりかもしれないが、物は言いようだ。詠奈から直接顎で使われないで過ごせるという見方も出来る。
さて、偶然も三度続けば必然という言葉もある。どうしても話したいというなら拒否ではなくて受け止めるのが俺の役目だろう。
姉妹はどんな必然から、詠奈に買われたのか。
「景夜さんは他の人の事情を知ってる感じ?」
「身近だと春とかは全く知らないな。友里ヱさんとかも詳しくは聞いてない」
「そう。まあ関係ないか。他の人ってさ、詠奈様から解放されても多分何とか生きていけるんだよ。友里ヱさんはそもそも有名人だったし、コックさんもそうだね。元々超有名だったなら、俗世に戻っても生きていける。薪野創玄なんて世界的に有名だったから解放されても羽ばたいていけるでしょ」
「いや、どうだろう……文字通り死ぬ程美味い料理作って殺しちゃった人だし、密かに雇われるくらいが限度なんじゃないかな……?」
「実際どうなるかはさておき、他の人には買われる前のステータスがあったでしょ。私達にはそれがないの。元々あったステータスに戻る事は叶わない。いや、戻りたくないが正しいね」
話さないと後が辛いとは言いながら、やっぱり話す事には抵抗がある。複雑な心境が言葉に現れている。あまりにも表現が直接的でないばかりか抽象的だ。具体的に何を言いたいのか見当もつかない。
誰だって戻りたくないからここで詠奈に奉仕しているのではないか。八束さんなんて、詠奈が買わなかったら今も樹海で隠れていたのだろう。よくよく考えれば前提条件が破綻している。突っ込むのは野暮だ。話したくないけど話さないといけないという複雑な気持ちのままそれでも話そうとするなら、自分に言い聞かせないといけない。特別な事情が自分にはあって、それを明かすのだと自らを追いつめる。
「…………私達が大体中学生くらいの頃に海外に旅行行ったんだけど。そこで誘拐されちゃったの。外国だから当然言葉なんて分かんなくてさ。私達は訳も分からないまま引きはがされて……両親は撃ち殺されちゃった」
「…………それ、で」
「何だかよく分からないけど、私達も殺されると思ったんだけどね。その犯罪組織の偉い人になんか気に入られちゃってさ。育てられる事になったの。その人の女として」
獅遠は目を逸らして俺に目元を見せたがらない。ただ話しているだけでも言葉が詰まったり、声がうわずったりして不安定だ。布団に零れる水滴については、敢えて何も言いたくない。
「本番は身体が育つまでなしだったけど、そんなの殆ど誤差だったよ。着せ替え人形扱いだったね。色んなところ触られた。大人として判定されるまであともう少しだったんだ」
「まさか、詠奈がそれを助けた?」
「ううん。助けてくれたのは別の人。ただその人は助けてくれただけでそれ以上は何も提供出来ないらしくて放り出されちゃった。監禁中に英語は覚えるしかないっていうか、勝手に憶えちゃったから、身体を売るしかないって時にね、出会ったの。今考えたらもっと頼れる何かがあったのかもしれないけど、私も聖も追い詰められてて……もう限界だったから」
自由と引き換えに待っていたのは、困窮。
詠奈が何を二人に見出して買ったのかは分からないが、成程。
この二人は、確かに断らない。