夫婦の歩みは愛を育む
物語の流れはそう複雑じゃない。人を誑らかす妖怪の話だ。特に出店とかもないが狐が人を化かす時に美女になるように、この妖怪もまた絶世の美女へと化ける事が出来る。その美貌で以て人を誑かして権力者に取り入り、数多の男の種を抱えて多くの妖を生んだそうな。
「……この妖怪に付け込まれた家が衰退するのは、曰く彼女が生んだ妖怪の数々が跋扈してしまったから、か」
「一応筋は通ってるみたいだけど……ほ、本当なのかな」
「本当って言うか、これはお話だろ? お話としての都合を通した結果こういう表現になったんだと思うな。思うにこれは……俺が今まで読んだ資料からして、王奉院の歴史とその不自然な活躍、歴史の表に現れない奇妙さを妖怪に見立てて綴ったんだろうな」
妖怪は一括りに化け物という分類で括っていい。古来から人はこの手の怪しい存在に弱い……というか、言い伝えで大抵物理的な攻撃が効かない事が多い。抗えない存在という点で恐怖を強調したいのだろうけど、今回はその非現実感で王奉院という成功者の存在を代替している。
人に化けた妖怪が数多の子供を作り、その子供が増えて領地を荒らしたから滅びた……妖怪でなければ成立しない筋書きだ。ここにあるという事は王奉院に関係ある書物という事で、体裁は違えどこれも歴史を知る為には必要な本か。
「出版されてないってのは妙だな。ちゃんと本っぽいのに……本当だ。初版がどうとか書いてない。ここだけに置いてある本なのかな? この本をどれだけ真に受けるかはとにかく、王奉院の血は案外広く広がったのかな」
「ど、どうして? 王奉院なんて名前、一般的じゃないけど」
「俺も詠奈以外は知らないよ。でも……いや、他の資料とか見る限りまるで王奉院が各地を転々として栄光と破滅を引き起こしたように見えてたけど、ひょっとしたらその血族が散らばって同じ事をやってたのかもしれないな。それが全て王奉院の血筋だったらまるで一人が歩き回っているように見えるのも納得だ。一人が歩き回っているように見えるなら人として普通じゃないから妖怪扱いも分かる」
「沙桐…………偉い人の血筋だからって同じ事が出来るとは」
「まあな。所詮は親と子も他人だ。理解し合えない事もあって、相性が悪い事もあるよ。飽くまで考察だ」
「それより考察するべきは出版されてない事だって思うけどな」
梧の疑問は他の疑問を殺す程度には深まっているようだ。俺はそうは思わなかったものの、考えてみるとおかしな話ではある。出版されていないのに本としてまともな体裁を持っているのはどういう事だろう。
「……他の本って出版されてるよね?」
「一応されてる。時代が古かったり全然出回ってないってのが殆どだろうな。特に王奉院について多少言及されてるものは。ただこれだけが……見た感じそもそも世に出回ってない。じゃあこれは何の為に存在してるんだろうな……」
考えても考察材料が圧倒的に足りなさすぎる。口から出るのは憶測ばかりで真実足り得ない。この書庫にあるのは詠奈が興味を持った本ばかりなので、この本も興味を持ったという事にしたいが、残念ながら世間には出回っていない。どうやって回収した?
「沙桐に見せたかったって線はある?」
「そもそもここに積まれてる本は王奉院に関係ある本を管理人が持ってきたものなんだ。しかもそれは俺から頼んだ。俺に見せたかったなら管理人が最初から持ってくると思うんだけどな……」
千癒は発言からして王奉院の歴史を知らない素振りだ。見せたくて紛れ込ませたという線はあまりしっくりこない。
「一旦この本は置いておこう。それよりも他の本を―――」
「沙桐君、詠奈様が呼んでますよー」
声を掛けなければ夢中になってしまうと思われたか、実際それは正しい。二人で考察を勧められると何かに気づけてしまう様な気がしてもっと集中するつもりだった。彩夏さんに声を掛けられなければきっと身体を触られるまで誰かの存在に気づく事はなかっただろう。
彩夏さんは梧を一瞥すると直ぐに視界から排除して俺に向かって微笑みかける。
「夕食の支度も整っていますからダイニングルームに向かってくださいねっ! 詠奈様もお待ちですよ、後、獅遠ちゃんも!」
「獅遠も? 働かないんですか?」
「妊婦さんを働かせるのはいけない事……ではないですけど、給仕って結構体に負担かかっちゃいますからねー。言いたい事もあるみたいですからどうぞ? そこの子は私がどうにかするので放っておいてください」
「………」
梧は電流を流された経験から俺が離れる事を良しとしていない。一方で彩夏さんからは圧力こそ感じないが俺が従うと信じて疑わない好感度は分かる。ここでゴネても良い事はない。席を立って、本を梧に寄せた。
「悪い。俺は行かないといけなくなった。彩夏さんは比較的優しいから頑張ってくれ」
「え、あ、ちょ……………うん。おっけ」
書庫から出る直前、気になって振り返ってしまう。梧は取り残される事が負担なのか机に突っ伏して溜息をついている。それよりも視線を引いたのは俺達の事を見向きもしなかった影武者詠奈の様子だ。こちらを見て、小さく手を振っている。手元の髪には大きな文字で簡潔に。
『これからも詠奈をよろしくね』
「え、詠奈様。私を景夜様の傍に置くのはその……」
「なあに? これでも気を遣っているのよ。主人に気を遣わせて逆らう物が居る?」
食事は大抵、詠奈と肩を並べて食べるのだが、今度ばかりは獅遠と俺が並び、その対面に詠奈が座るという形になった。本来はこれが正しいのだろうか。正しさがどうと言い出したらそもそもメイド服だって詠奈の趣味だから好きにやられても何も言えない。
「さて、景夜。貴方は獅遠を孕ませたわね」
「は、はい。すみません…………」
「……何でまた謝るのかしら。いいって言ってるのに。一人こうなったくらいでそんな怯まなくてもいいわよ。どうせ続々と同じ状況になりそうだし、そうなってくれた方がサンプルが取れるからいざ私が孕んだ時に楽を出来るでしょう。取り敢えず、暫くは獅遠の傍についてもらうわ。起床も就寝も彼女の部屋で行ってくれる?」
「え…………詠奈は?」
「私、君が来るまで元々一人で眠っていたのよ。大丈夫、寂しくはないわ。それに、直ぐ状況が変わると思うの」
詠奈は友里ヱさんに命じると、小さなカレンダーを持ってこさせてパラパラとめくり始めた。
「あのプールの日から数えて君がどれだけ一線を越えてしまったのかが書かれているわね。御無沙汰な子は全然居ないから、タイミングが合うなら他にも孕んでしまう子がいるでしょう。そうなったらまた指示を変えるわ。今は獅遠だけだから一先ずね?」
詠奈はステーキを一口サイズに切って口に放り込む。あまりリアクションはしてくれないが、美味しそうに中で転がしているような頬の動きだ。
「質問はある?」
「え、詠奈様。景夜様と一緒に居られるのは―――光栄ですけど、私を業務から解放した前例は当然他の人にも適用されると考えます。それでは屋敷の運営がままならないのではないかと思うのですが」
「それなら問題ないわ。コックさえ無事なら何とでもなるでしょう」
「外部の人間を入れるのか?」
「外部は外部だけど、信用せざるを得ない人が居るの。その人達を呼ぶわ。顎で使うからにはタダでは済まないし、実際手痛い出費なのだけど、仕事をしているから大丈夫。国に影響はないわ。他に質問はあるかしら」
「え、えっと」
実はここに呼ばれて指示を受けた時からずっと気になっていた。手厚いサポートがあると言っても孕ませたのは俺の責任。獅遠の事はきちんと女性として意識しているし、ここから目を背ける事は出来ない。
「ほ、他の人との行為って……控えた方がいいかな。もしかしなくても周りに結構迷惑がかかるような」
「君がいいなら構わないけど、あんなに激しい人が我慢出来るのかしら。獅遠とする時は優しくね、それで欲求が収まるなら好きにすればいいと思うわ。ああ、でも私は駄目ね。これから暫く一緒に寝られないんだから夫婦の営みくらいして欲しいわ………………仕事のストレス発散も兼ねて」
「は、はあ。分かったよ」
詠奈の抑えきれない独占欲に獅遠は微笑みを抑えきれない。それが癪に障ったかどうかは分からないが、間もなくその表情は己自身の羞恥、及び報いへと変わる。
「それと妊娠中にまぐわる時はどうするのか興味があるから、撮影するか私に直接見せるかどちらか選んでくれる? 今から見ればお腹が膨らんでいない時といる時とで変化がみられるでしょう? そういう事だから獅遠。今すぐ選びなさい」
「………………」
「私も参加させる、という選択肢も追加してあげる。ああ、なんて心が広いんでしょう。さあ、早く、今すぐ。さっさと。食事が冷めてしまうから早く」