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メメント・ヴィータを抱きしめて

「…………」

「…………」

 学校が終われば寄り道する事もなく帰宅する。いつものパターンだ。詠奈と帰路で合流して車に乗る。梧とは屋敷で合流する手筈になっており、彼女は春と八束さんに連れ回される事が確定しているから大分遅い合流となるだろう。

 詠奈は珍しく俺にしなだれかかったまま眠っており、交わす言葉は特にない。気まずさなどはなく、愛おしい時間だ。人間関係において最良の状態。言葉を交わさなくても心地よいというのは究極の友好ではないか。

「…………」

 詠奈のお腹を撫でると、彼女はくすぐったそうに身体をもじもじ動かして俺の手を握った。


 ―――夏休みの俺はどうかしてたよな。


 詠奈が珍しく身体を求めてこないのは一週間もの濃密な日々に満足したからだ。その身体の中には確かに俺の種がある。甲斐性とか倫理とか法律とかどうでもいいからとにかく愛されたいという彼女の欲望は知性に反する原始的感情であり、最初は付き合う事に抵抗感もあったが絆されて解放されてきた身で言わせれば今はもう逆らう事なんてとてもとても。

「詠奈。俺が成人したらさ……ワイン飲むみたいな話があっただろ? 二人で一緒に飲む記念のワインみたいなの……見繕いたくないか?」

「いいわね。夕食の前にする? それとも後?」

「後の方がゆっくり選べそうだな」

「じゃあ、そうしましょうか」

 さて、これで時間は作れた。お楽しみは後に残した方がいいというし、調べ物を先に済ませておいた方が心置きなく詠奈との時間を楽しめる。

「…………君も寝る?」

「ん。そうだな。少しだけ寝ようかな……なあ詠奈、その。お前的にはどうなんだ? クラスメイトが同じ顔の知らない奴になった事について」

「別に何とも思っていないわよ。ただ私の言う通りに動くようになったのは楽で助かるわね。思い通りにならない存在が苛つくのは、支配者としての性かしら」

「じゃあ俺はお前の思い通りに動いてるのか?」

「君はもう私の物よ。思い通りになってもならなくてもこの掌の上にある。なあに、不安になってしまった? それとも思い通りになる事が嫌だったとか?」

「母親なら嫌だったけど、お前ならいいよ。隷属先が変わっただけって話でもあるけど、別にそうでも構わないよ。待遇いいし。御主人様は可愛いし」

「もう…………主を口説くなんて」

 詠奈は瞑っていた目を開くと俺の上半身に抱き着いて、後部座席の上で押し倒した。

「駄目よそんな事しちゃ。容姿を褒められる事には慣れているけど君は別。好きな人に褒められる事よりも嬉しい事はないわ。寝室でずっと君からの愛を聞いていた時、頭がおかしくなりそうだった。幸せの溶液に付け込まれているみたいな……他の子にそんな事言わないでね。私が独り占めするの」

 確認の必要もない。車の揺れにも惑わされずキスをする。元々好きな人として買われたからそう大した出来事でもないが、愛情の提示はいつでもしていい筈だ。互いに目を瞑って、唇の感覚に全神経を研ぎ澄ます。いつか何も視えず聞こえなくなってもこの感覚だけは忘れずに居たい。

「…………そう言えば、獅遠が話したい事があるって言ってたわね」

「―――? あるのはいいけど、詠奈に対してで俺には関係ない話だろ」

「それなら別にいいのだけど、朝にすると遅刻するからって言ってたから君にも関係ある話なんじゃないの? この流れだと把握してないのね」

「把握してない……っていうか心当たりもない。映画撮影の時にそんな素振りがあったとかなかったとかそういう話もない。詠奈も知らないんだよな」

「幾ら私でも思想の統制までは不可能ね。閲覧も勿論出来ない。心が読めるなら苦労しないのよ。確かに私は買った子の全てを貰っている。嘘を言う事も許さないし裏切る事なんて以ての外。だけども考えてる事まで垂れ流しにしろとは言わないわ。それはきっと大変だし、言語として成立するのかしら。独り言の癖があっても思考速度に口がついていけるかは微妙な所よ」

「じゃあどっちも知らないのか。そう思うとちょっと気になるな。一体何を知らせるつもりなんだろう。不吉な話じゃないといいな」

「それなら朝に知らせるでしょう。緊急性を要しておらず、私や景夜の都合を考えられる程度には他人事である話と考えるべきね。それって何? 勝手に処理出来るような事ならわざわざ知らせないだろうし、朝に思わせぶりに言う必要もないわ。ふむ……少し真面目に考えれば分かると思うけど、せっかくだし驚いてあげましょうか」

「中々珍しい余裕の出し方だな。お前はそうやって合理的に考えるけど、獅遠が同じ考え方をするとは限らないんじゃないのか。もしかしたらアイツが……急に冴えなくなっただけかも」

「私は一切の例外なく尸位素餐を許さないわ。これでも彼女の事は高く評価しているの。たまたま冴えなかったなんて偶然は許さないわよ。だからそれは考慮しない。もし本当にそんな事があったら獅遠を処分するわ」

「……じゃあ、ないか。ないよな。うん」

「ええ、精々驚かせてくれる事を期待したいわね」
















「?」

「…………」

 この神妙な空気は何だろう。わざわざ三人で話せる場所が欲しいというからダイニングルームに来た。食事をしないならここは殆ど空き部屋だ。詠奈は緊急性を要さないと言っていたがこの空気はまるで正反対の事柄を示しているようにしか見えない。

「……詠奈様。景夜様。いつかはこんな日が来る事を覚悟しておりました。それで……」

「前置きはいいわ。丁度その話題をさっき景夜と話していたの。正直な所、少し考えたくらいでは思い当たらなかったわ。こんな形で何か伝えられたのは初めてだし、この予想が当てられなかったら私に何か起きるという事なら今から本気で考えてもいいけど……家庭のちょっとした問題に一々真面目になる必要もないわ。だから話は率直にお願いね」

「はい。では……」

 獅遠は見覚えのない白い棒のような物を取り出すと、机の上に置いて、顔が見えなくなるまで俯いた。





「…………妊娠しました」






「えっ。あっ!」

「……成程」

 それを今朝聞いていたら、確かに学校どころじゃなかった。獅遠の判断は正しいが、これを正しいと言うのは人の道に悖る。本気で考えていたら分かるだろうという詠奈の発言も胡散臭くなった。実は分かっていたのだろうか。

「まずはおめでとう。そんな怯える必要はないわよ。私は自分が妊娠した時に問題が起こらなければそれでいいの。経験者としての手厚いサポートをお願いね」

「それは御存じですが、しかし。詠奈様は」

「私は消極的に避妊をしているの。ちょっと変わった方法だけど、だからまだ大丈夫だと思うわ。それよりも検査をしたという事は初期症状でもあったのかしら。詳しく聞かせてくれる?」

「え、あ、はい」

 詠奈は獅遠の隣に回り込むと、震える手を抑え込んで耳元で囁くように語り掛ける。

「景夜。女の子同士の大切なお話があるから席を外してくれる? もしかしたら少し時間がかかってしまうけど、外にさえ出なければ何をしてもいいから」

「お、俺に出来る事ってあるかな……? 一応なんか、何もしないのは無責任みたいで嫌なんだけど」

「それも後で伝えるわ。何かするにせよ、私を介さない事が一番無責任だと思わない? 当人だけで勝手にやってもらっても困るわ。だって二人は私の所有物なんだから」

「そ、そうか」

「やっぱり法律が邪魔しなくてもうっかり孕ませてしまうと罪悪感があるのかしら? …………後ろめたく思う君も、好きよ?」

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[一言] ついに妊娠する人が出てきたか
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